近代日本思想史とエネルギー概念

【先行研究】
・19世紀におけるエネルギー保存則の確立
小山慶太『漱石が見た物理学』中央公論社、1991年。
熱と仕事の等価性に関する実験(1847年)、熱から電流への変換(1821年)、ファラデーによる電磁誘導の発見(1831年)…「というわけで、1840年代に入ると、それまで独立に研究され、互いには無関係と思われてきた諸現象(熱、電気、磁気、化学反応、……)の間に相互変換性があり、それらが仕事をする能力をもつという点では等価であることが徐々に認識されるようになってきた」(p29)
ヘルムホルツ「力の保存について」(1847年)
⇒ボルツマン「熱平衡法則に関する力学的熱理論の第2主法則と確率計算の関係について〔エントロピー増大則〕」(1877年)

ところで、漱石のノートの中に、いま述べたエントロピーについて触れた箇所がある。〔中略〕いわゆる断簡零墨が『断片』として『漱石全集』(岩波書店)の中に収録sれているが、大正四年(一九一五)のところを見ると、「Entropy.力学ノ行キヅマリ」という、何やら暗号めいたメモが記されている。これから述べるように、おそらく漱石寺田寅彦から聞いた物理学の話に興味を抱き、その要点をこうした表現でまとめたものと思われる。(p35-36)

それまでの物理学の法則は可逆的。それに対しエントロピー増大則は不可逆的。つまり過去と現在の区別を科学的に扱う可能性を開いている。漱石が亡くなった直後に掲載された、寺田寅彦「時の観念とエントロピー並にプロバビリティ」(1917年)には「力学が無能となるときに、始めてエントロピーが出てくる」という表現が出てくる。


エントロピーと確率、物質の実在性
竹内時男『物理学的新世界像』春秋社、1931年。

兎も角も第二法則が統計的意味に於てのみ価値を有すると云ひ得る事は、充分驚嘆に値する事である。〔中略〕デバイ教授がアメリカのビュロー・オブ・スタンダーヅに於て講演し、光干渉の現象を量子論と融合せしめんとするには、勢力保存の法則が統計的意味に於てのみ真実なりと仮定する必要ある事を告白した位である。
勢力は小なる消長動揺に於て創生滅却し得るもので、平均に於ては一定に留まり得るとされるのである。(p38-39)

因果律が物理学に於て其厳格なる妥当性を失つた事は、現代量子理論の説く処である。
然し乍ら熱力学の第二原理を統計論に基礎附けてからは、凡ゆる自然法則も、単なる統計的価値にのみ限局される処の運命を負う可能性を持つやうに見えた。即ち自然の正整性とは巨視範囲の意味のものであり、顕微鏡的範囲のものではない、要するに平均的規律性のみしか我等の観測には上り得ないとされた。
之に関する思想は然し動揺してゐた。カントの哲学に依拠すれば、斯かる仮定は許さる可きもない、厳格なる因果関係は微細なる部分にも決して疑はる可きものでないとされるのである。(p40-41)


明治維新期における「熱」理解

高田誠二『維新の科学精神 『米欧回覧実記』の見た産業技術』朝日新聞社、1995年。
黒船以来の蒸気機関への関心、「世界の工場」イギリスの工場参観などを背景に、久米は『米欧回覧実記』(1878年)で蒸気動力技術に関する「要を得た」通史を記述している。しかしながら久米邦武は「エネルギー」の概念に到達せず、18世紀の熱素説に近い立場をとる。

さて、久米邦武は、熱理論の学習にも精励した。例の手稿『物理学』の一節を見よう。

何によらず、熱をうくれば膨張して容量も大きくなる力を有す……。何の理より来ると推論すれば、物質の原点に温素という物ありて、之が周囲を繞れるより起れり

ここで「原点」とは、オランダ語アトームの久米訳で、もちろん原子の意。〔中略〕もうひとつの「温素」とは、史書で熱素すなわち熱物質と称せられるもの。つまり久米の学習は、旧来の熱物質説の水準から脱却しきれなかったといわざるを得ないのである。
『実記』にも、熱を物質と見る<温素>の考えは何回か登場する(スエーデンの気候の項など」。誠に古めかしい理解といわなければならない。(p102)

米蔵書中の『格物入門』日本版(明治2年:米国人ウイリアム・マーティン〔『万国公法』の著者でもある〕が明治元年に中国で出版したもの。全7巻で、蒸気機関を扱っているのは2巻)でも熱の物質説・運動説のどちらが正しいのか決めかねる、と判断が保留されていた。
・中村邦光・板倉聖宣『日本における近代科学の形成過程』多賀出版、2001年。
熱運動説と熱物質説(≒熱素説)について、日本で独自に熱運動説を唱えた人はいなかったが、明治5年ごろ境に熱運動説が主流になったという。広川晴軒『三元素略説』(1865年)のように熱や光の相互変換を主張した人もいたが、そこに定量的把握はない。

これは、別々の不可秤量物質と考えられていたものをエーテルという一種類の物質によって説明しようというものと同じである。だからこれは、エネルギー論というよりも、不可秤量物質一元論=エーテル論、または朱子学の「気一元論」と言った方がよいのである。(p127)

幕末から明治初年にかけては熱物質説が圧倒的に支持されていたが、後藤達三『(訓蒙)窮理問答』(明治5年)で邦語文献では初めて熱物質説がはっきりと否定される。元ネタはG.P.カッケンボスQuackenbosのA Natural Philosophy(1859年)。明治初年の慶応義塾で「英語の教科書として」使用されていた。カッケンボスはエネルギー説にも触れており、寺田祐之訳『理科一斑』(1874年)で紹介されている。
・物質/エネルギーの区別について。

そもそも、「エネルギー保存則」というのは、19世紀半ば頃に〔中略〕などによって、はじめて定量的な法則として確立されたものである。〔中略〕定性的な自然観(思想)だけの問題ではないのである。
ところで、山田慶二の『朱子の自然学』(1978)には、

そもそも物質とは区別されてエネルギーという概念がとりだされてくるのは、近代科学においても、ようやく19世紀になってからにすぎない。それまで人類は、物質とエネルギーを決して区別しなかったのである。中国人もその例外ではない。要するに<気>とは、わたしたちが物質およびエネルギーとよぶものを包括した、未分化な概念であり〔後略〕

と記載されている。これをみても分かるように、儒学における<気>の概念は、「物質」と「エネルギー」が未分化で、連続的な概念である。〔中略〕しかし、前述のように19世紀後半以降、近代物理学における「物質」と「エネルギー」は分化した概念であり、定量的・一義的に定義できる概念である。(p184-185)


鈴木貞美「エネルギーの文化史へ――概念変容をめぐる覚書」金子務・鈴木貞美編『エネルギーを考える――学の融合と拡散』作品社、2013年。
背景:温暖化、エネルギー問題と国家間格差、福島第一原発
これまで近現代のエネルギー概念についての研究は、欧米の哲学辞典、思想史辞典などを眺める限り、まず物理学のそれに限られ、精神文化史における研究は、ほとんど行われていないと思われる」(p220−221)
全10節のうち、8・9節で明治期知識人のエネルギー概念の受容に触れられている。取り上げられるのは西周、馬場辰猪、井上円了西村茂樹夏目漱石幸田露伴。精神(唯心論)と物質(唯物論)の対立を超越するものとしてエネルギーが注目されていることがわかる。〔つまりフェヒナー精神物理学と共通の問題意識〕また進化論とエネルギー論の接合も図られている(→黒岩『精力主義』を参照)

これ〔世紀転換期〕以降の日本では、エネルギー保存則を抱き込んだ、あるいはエネルギー概念を全く伴わない「宇宙大生命」を原理とする大正生命主義が渦巻く精神文化が展開してゆく。そして、エネルギーの語は、大別して、物理学的な用法、生命観や生命感と結びついたスピリチュアルな用法、卑俗な日常的用法の三種に用いられる時代に入ってゆく。(p264-265)

いわゆる国民経済の計算に、その総エネルギーが俎上にのぼるのは、アメリカのニューディール(Newdeal,1933)のころかららしい。(p265)


【進化論とエネルギー】

・進化論と並ぶ19世紀自然科学最大の発見「エネルギー保存則」
内村鑑三『余はいかにして基督信徒となりし乎』1895年(脱稿1893年)
内村が1885年にアマスト大学の学長ジュリアス・H・シーリーと出会う場面で、「神学博士、法学博士と二つも学位をもつ人ともなれば」「頭はいつも「進化」とか「エネルギーの保存」といったことで一杯なのではないか」(『日本の名著』第38巻、中央公論社、1971年、173頁)とある。

Is not his mind always occupied with"Evolution,""Conservation of Energy,"and such like?
内村鑑三全集』第3巻、岩波書店、1982年、110−111頁

・加藤玄智『東西思想比較研究』京文社、1924年

第十九世紀に於いて哲学科学の分業が行はれ、科学は科学、哲学は哲学と分業を行ふことが盛んになつたのである。又科学の中でも精神科学と自然科学の両方面があつて、自然科学には動植物学とか幾多のものがあるのであるが、其自然科学の中で大なる原則が証明された、それはエネルギー不滅の法則であつて、是はローベルト、マイエルが証明してより自然科学界の最大原理となつたのである。斯の如き原理が自然科学の中に起つたのみならず、ダルヰンが進化論を自然科学の事実に依つて確実に証明したといふことも自然科学界の第十九世紀に於ける一大成功といはなければならないのである。(p130)

加藤弘之の「マテリアとエネルギーの進化」
加藤弘之『自然と倫理』(実業之日本社、1912年)。
「エネルギーを意思とする」思想家の例として、ヴントやウィリアム・ジェームスなどを挙げる。それを加藤は進化論によって批判。

但し余とてもエネルギーと意思とを以て全然異種のものとするのでは決してない唯進化したエネルギーの一部を意思とするのであるから乃ち意思はエネルギーの一種とすべきものである決してエネルギー其物凡てが乃ち意思であるとすることは出来ぬ(p4)

進化しないエネルギー=傾向・動向(無意識的な)
進化したエネルギー=意識

マテリアとエネルギーとの合一体を以て本体とする学説の中にも通常甲乙の二派があつて甲はマテリアを本としエネルギーを末とし乙はエネルギーを本としマテリアを末とするのであるがホルバツフ氏やブユフネル氏〔中略〕の唱へたる唯物主義は甲派に属し又ライブニツツ氏やオストワルド氏〔中略〕の唱えた勢力主義(Energetik)は乙派に属するのである。
けれども此両派共に甚だ謬て居るのであつて是れでは真の一元的本体主義にはならぬ、そこで別に又丙なる一派があつて此派ではマテリアとエネルギーとの間に毫も本末軽重の別を立てぬもので、それは所謂力物平等本体主義(Hylozoismus oder Hylonismus)である此主義を最も主張するのはヘツケル氏であるが〔中略〕余はスピノーザ氏やヘツケル氏の主義を是認し又前掲化学物理学の大家の実験的発見に依頼してマテリアとエネルギーとの平等合一体たる宇宙本体を信ずるのである(p11-12)

霊魂不滅説の批判

霊魂不滅の大迷想が本来身心を以て全く二種の異物であると認むる所の迷想より起るのは言ふ迄もないことである(p32)

ところが豈図らんや身心は決して二種の異物ではない身体と霊魂とは決して時に離合すべき異物ではなくして全く純乎たる一物に外ならぬのである是は実にマテリアとエネルギーの合一体説で十分の理解が出来るのである(p33)

加藤にとって霊魂とは端的に脳のことである(p35-37)。脳というマテリア(物質)と精神という意思は「合一体」である、と。

【エネルゲティーク】
・池田菊苗によるオストワルドとエネルゲティークの紹介
味の素の発明者として知られる池田菊苗(1864年)は、1899(明治32)年から1年半、ドイツのオストワルド研究室に留学。帰国後にはオストワルドの化学教科書Grundlinen Der Anorganischen Chemie(1900年。邦題『近世無機化学』)を翻訳している。1911年に東京帝大教授、1913年に日本化学会会長。
『哲学雑誌』295号(1911年)に「一化学者の世界観」としてエネルゲティークを紹介。
この論文で池田はマッハの中性一元論に言及し、「外界の総ての感覚を惹起するもの之をエネルギーという」と定義。電磁気のように直接感覚を刺激することのないエネルギーもあるが、そもそも我々が感じるのはエネルギーそのものではなくエネルギーの変化であり、電磁気も別の形(熱など)に変化することで間接的に刺激するのだから同じことである、という。

即ち吾人の世界はエネルギーの変化の世界であつて此の変化の多様を序づる為に吾人は空間時間数量等の概念を発達したもので喩へて言へば空間時間等は器であつてエネルギーの変化は其の内容であります。

ただし、オストワルドのように「精神的エネルギー」を想定することはしない。その意味ではより徹底したエネルギー一元論である。代わりに池田は「生活現象の少なからぬ部分はエネルギー論に由て記述することが出来る」という。たとえば生物が夏に活発に活動するのは、体内に貯蔵された化学的エネルギーの反応が熱によって活発になるからだ、と。池田は生物の自己保存も「生活」の中に含めるが、それが個体や集団=社会のレベルで行われること、「智情等が其の官能であることは呼吸や消化が官能であると全く同様である」という。きわめてあっさりと精神活動までがエネルギー論で記述できると断定。最後にオストワルドの文化学を紹介している。
この池田の論説は哲学誌に載ったことで注目を集め、『太陽』17巻13号で金子筑水が「科学的人生観」という論評を書いている。ヨーロッパの現代文化が科学思想の影響を受けて成立したのに対し、日本ではいまだ科学的世界観・人生観が発達していないこと、まれにあったとしても西洋の直訳でしかないこと、その意味で池田の試みは丘浅次郎とともに例外的であることを述べている。金子のオストワルドを読んでいたのか、両者を比較。池田のそれはオストワルドに似ているが、心的エネルギーを仮定せず、自発性という特徴を備えた生物現象をすべて普通に言うエネルギーで説明しようとしている、と解説。「ただし氏が、一切の精神現象を生活というエネルギー変化の一官能と見たのは、其の説明が余り簡単に過ぎて、如何にしても、其の本意を解しがたい」という。
(参考:菊池好行「池田菊苗の「唯エネルギー論」再考」『化学史研究』28巻2号(2001年)。講演の要旨)
オストワルドが1895年にリューベックで行った講演「科学的唯物論の克服」は彼がエネルギー一元論を初めて公にした講演として知られているが、1897年に「科学的唯物論を駁す」として『哲学雑誌』に掲載。翻訳者は池田菊苗の異母弟夏苗。
池田菊苗自身も1903年から4年にかけて『教育界」という中学教師を対象とした雑誌に「自然学の統一」「学問の統一」「唯エネルギー論」を寄稿。いずれも「唯エネルギー論」が「唯物論」「原子論」よりも現象を直接記述する点で方法論として優れている、と評価。
1911年論文について:「池田は「エネルギー」を「感覚」とは別個の独立の存在として定位しており、感覚現象の記述を旨とするマッハの立場、あるいは池田自身が以前に唱えていた、「エネルギー」を科学理論の構築に有用な概念上の道具と見なす立場からは逸脱している」(p57)
・桑木厳翼「欧米哲学界の印象」『哲学綱要』(東亜堂書房、1913年)。
明治40〜42年にかけての欧米留学中に観察した哲学界の動向について。その中でのオストヴァルト評。

ヘッケルに比すれば余程説は真面目であるが少し六ヶ敷から、其れほど民間に伝播はして居らぬだらう。然し氏は事々に其エネルゲチックを持出すので、思弁を嫌ふ科学者からは勿論、哲学専門家からも多少非難されて居る。〔中略〕氏の説は到底其儘では承認することは出来まいが、然し莱府一部の思想として、又現代哲学界の一勢力となつて居る自然科学者の哲学の一として注意を値することは疑を容れぬ。(p406)

・桑木厳翼『現代思想十講』(弘道館、1913年)。

オストワルトはヘッケルの如く本体を説かない。エネルギーの不滅と其変化との法則によつて自然並に精神の一切現象を説明しいようといふのであるから、進化論で説くよりは遥かに根本的である。且つオストワルトの自然哲学は其議論の立て方が非常に批評的になつてゐる。批評的であると云ふのは、近代の哲学が特色としてゐる如く、カントの批評哲学に従つて知識の批評といふことを顧慮してゐるからである。〔中略〕然らば此オストワルトの自然主義は実証的精神を徹底せるものかといふに、決してさうではなくて、此中にも理想主義の要素が含まれてゐる。オストワルトの所謂エネルギーは、科学的研究から得たもので、決して空想的のものではない、然しオストワトル〔ママ〕はエネルギーを説くに随て、次第に思弁を混入してゐる。(p116)


・オストワルド『価値の哲学』の翻訳(1914年)
W.Ostwald Die philosophie der werte(1913年)が翌年には後藤格次により翻訳されている。
オストウァルト『価値の哲学』1913年(後藤格次訳、大日本文明協会、1914年)。

古典重学の概念に於ては、総ての出来事は可逆なり。〔中略〕蓋し総ての出来事は、之を逆にし得べきが故に、吾人は其行為以前の状態を再び生ぜしむることに依り、如何なる行為にても、常に其結果を償ふを得るなり。斯くして何事をも評価し得べき能力は明らかに消滅す。〔中略〕是を以て、吾人が思想の及ぶ限り、価値の教義を分散律〔=熱力学第二法則〕以外に依りて、更に『一般的』に建設せんとすることの不可能なりとの証明は、疑ふべからざる事実なるを見る。(p9-10)

・オストワルド『エネルギー』の翻訳 (1938年)
W.Ostwald Die,Energie(1908年)が山県春次訳で岩波文庫に収録(1938年)。
アトミスティークの定着を反映してか訳者の評価は辛いが、

我々が感官によつて外物を知覚するといつても、その際我々の知覚するものは、決して物質そのものではなく、ただ感官と外物との間のエネルギーの差に対する感官の反動が、感覚として直接体験されるに過ぎない、従つて、自然界の究極要素を物質原子となす唯物論に反対して、我々の哲学は先づエネルギーを以てその出発点となさなければならぬと論じ〔中略〕それによつて一切を、エネルギーの「量的不滅と質的変換」から解明し盡さうとする・一元論的な世界観を樹立したのである。(訳者序p4)

然しながら、エネルギーが本来経験、計量され得るものであるといふことを根拠とし、要請として出発した彼が、一元論の全的体系を求むるの余り、終に、神経エネルギー、心的エネルギーの如き最早推測され得るのみなる特殊エネルギーを仮定するに至つたといふことは、エネルギーなる語を余りに万能視し、神聖視することによつて、自然科学から出でて却つて自然科学の本文を忘れる結果となり〔後略〕(訳者序p5

然しながら、私が敢へてこの訳業を企てた直接の動機をなしたものは、我国に於いて屢々口にされながらもその割に読まれることの少なかつた彼の思想を紹介しようとか、或ひは、上に述べた如き物理学啓蒙の好読物を一般に提供しようとか云ふよりは、むしろ、本書中随処に散見される著者オストワルトの熾烈な科学的精神にいたく心打たれた為めであつた。(訳者序p6-7)

エネルゲティークの主張について。
(1)原子論の仮説的性格
「力学的自然観」においては、あらゆる現象を物質の運動として説明。かかる運動が証明されない場合、たとえば熱や電気の場合は、「直接の観察によつては調べ得ないほど微小なる粒子に於いて行はれるものである、と仮定した」(p124-125。熱素説を念頭に置いている?)。」

さりながら、この解釈は二つの点に於いて著しき欠点を蔵するものである。即ち第一に、更に多数の証明し得ざる仮定がそれによって強要されること、第二に、疑ひもなく厳存し、我々各人が日常体験するところの・狭義に於ける物理的現象と精神的現象との間の関係がそれによつて表出できないことである。(p125)

(2)マッハ主義

〔既知の事柄について〕この認識は、何か新しい事態が突発した場合、その事件が如何に経過するかに関して、我々の予見を可能にする故、それが何かしら或る仕方で我々の福祉に影響を与へる如き場合には、その事件を我々の都合よき方へ導き向けるべく、方策を立てることを得せしめるものである。この事実の中にこそ、並々ならず大きな、科学の生物学的意義が存するのであつて、それによつてこそ、世界は我々に住み心地良きものとなつたのであり、また常に益々かくなると思はれるのである。(p126)

斯の如き式、また同じことのいひかへに過ぎないが、斯の如き自然法則は、論ずるまでもなく、それが普遍的なるほど、決定的なるほど、還元すれば其の適用範囲が大にしてその範囲に属する個々の事物に就いて言表し得ることが多ければ多いほど、それだけ有効なるもの、価値多きものと称さるべきである。(p128)

ところで、仮説(Hypothese)とは、それを検証すること不可能であるといふ特別な性質を有つた仮定なのであつて、一方、科学的な仮定は――既に数年前私はそれにプロトテーゼ(Protothese)と命名すべきことを提唱したが――まさしく上と反対の性質、即ち、検証可能といふ性質を有つたものなのである。(p137)

然しながら、我々のエネルギー論的解釈にとつては、更に、質量及び重量が常に相伴つて同一の形体に現はれるのは一体如何なる故であるかに就いての説明が必要である。〔中略〕即ち、『質量をもたぬ形体は決して地上に於いて観察し得べからさるものであるから』である。〔中略〕このことから、エネルギー論的考察は、この世界を我々に対する世界として我々に認識せしめるところのものであることが分かる。〔中略〕従つてこの限りに於いては、我々が世界を知るのはただ、それが如何に見えるかであつて、決してそれが如何に『ある』かではない、といふことを最も力強く力説したカント(Kant)は正しいと云はなければならぬ。然しながらまた、彼は、世界『其自体』を認識する可能性を全く否定した限りに於いて疑ひもなく正しくないのである。(p178-180)

(3)神経エネルギー・心的エネルギー
精神活動を刺激に対する反応として理解する点で、精神物理学に近い発想。

先づ第一に、精神生活の成立は概して感覚の経験に依拠するものである。このことは、先天的に或る一定の感覚器官を持たずに生れて来た不幸な人々に就いて、精密に観察することが出来る。(p201)

され我々は、既に感覚の印象が、特別の機制によつて小なるエネルギー差にも敏感なる如く作られてゐるところの・身体の或る部分と、外界との間のエネルギーの遷移として普遍的に記載し得るものであることを知つたが、同一の機関に作用する種々なるエネルギーが同種の感覚を喚起する(例へば、視神経に対する力学的作用が光の現象を与へる如き)ことがあるといふ事実は、感覚器官内に於いて既に外的エネルギーの他の形への変形が起り、それが神経によつて伝導されるといふことの説明を要求するものである。〔中略〕しかしこの際、之が他の物理的エネルギーと完全に差別さるべき一つのエネルギー種であるのか、それとも、特殊の力学的エネルギーが音の感覚を起す場合の如き、既知の諸エネルギーの特別なる組合せに過ぎないものであるのか、は措いて問はないことにする。(p202)

・オストワルド『科学の体系』の翻訳(1947年)
W.Ostwald Pyramide der Wissenschaften(1929年?)が企画:文部省科学教育局、訳:佐々田肇、校閲:桑木或雄、岩波書店から出ている。
[参考]マッハの思考経済
廣松渉「マッハの哲学―紹介と解説に代えて―」エルンスト・マッハ『感覚の分析』(須藤吾之助・廣松渉・訳、法政大学出版局、1971年)。
要素一元論

マッハの世界観は要素一元論として識られている。しかし厳密にいえば、彼は一義的な世界観、一義的な立場を執ろうとはしない。或る意味では、一義的な立場を採らないというのが彼の立場であり、「世界はわれわれに一義的な世界観を強要しない」というのが彼の世界観だということもできる。彼は世界を観るという「行動」がいかなる目的に基づいて遂行されるか、その目的に応じて観方を変えるのであって、大抵の場合には「常人の観方」「素朴実在論」で間に合う。ところが、素朴実在論では目的にそぐわない場合もある。そのとき、かの有名な要素一元論を採るのである。(332-333)

マッハの学問観

マッハは感覚一元論を採りかつ記述主義を唱導しているが、しかし、彼は決して偏狭な「実証主義」を採るものではない。また、個別科学万能論を唱えるものでもない。(349)

思惟の経済とは、精神的労力を「節約」することの謂いであるが、節約そのことが自己目的なのではなく、それはあくまで「より完全な記述」と相関的である。この点で、単なる「節約の原理」とは区別されなければならに。(350)

普通には説明原理だと考えられているものも、実は記述原理にすぎず、本質的には、博物学における記述原理と異ならない(『通俗科学講義』、二三〇頁)。
科学をもって因果的説明の体系だとみる通説をしりぞけ、マッハが敢て記述主義を標榜するのは、いわゆる因果的把握が不当な発想と結びついており、少なくとも一面的にすぎるということへの洞察に根差している。因果論はプリミティヴな擬人的世界観に発するものであり(本書八二頁)、ともあれ、因果的説明においては、往々、或る「有意的エージェント」が所期の結果を「惹き起こす」かのように語られ、暗々裡に擬人的発想が残留している。この点は措くとしても、因果的説明は実体概念と不即不離の関係にある。しかるに、マッハは宛もE・カッシーラーを予料するかのように、実体概念に代えるに函数概念をもってしようとする。(351-352)


【資料】
・【明治:エネルギーのもつ能動的イメージと進化論】
1.馬場辰猪
専制政府を批判し天賦人権を擁護するための一連の論考において馬場は、自然力(そこには色々なものが詰め込まれているが、熱がひとつのモデルになっているように思われる)を持ち出してくる。自然力はすべてのものに備わっており、熱が高いところから低いところへ流れていくように、障害の少ない方向に流れていくことを好む。これはひとつの「事実」に過ぎないが、馬場はそれを「規範」に高め、天賦人権の主張(=人生の目的は自由を得ることにある)へとつなげる。馬場の「本論」などとは異なり、人間の独自性・心理への言及は薄く、それだけに馬場の自然科学理解がストレートに出ている。
・馬場辰猪「平均力の説」1879年『馬場辰猪全集 第1巻』岩波書店、1987年。

事物の平均は必至の勢なり、人得て争ふべからず、今夫れ二物あり、其含有する温度を問へば各々相同じからず、甲は三十度を有ち乙は七十度を有たしめんに若し試に之を取て相接近せしむれば温気移伝の理に由りて乙は忽ち其過剰せる二十度を移して之を甲に伝へ甲は之を受けて以て其不足を補ひ甲乙互に五十度の温度を保有し二者両ながら平等の地位に至るあり(p43)

人間社会においてもこの強弱を平均化する力は働いており〔ここで馬場は心理的な説明――強者を憎み弱者を憐れむ心――をとる〕、これを妨げることはかえって惨禍をもたらす、という。

若し圧政の政府をして民人の権利を奪取するを目的とし其言路を塞ぎ其結党を禁じ凡そ政府の主義に対頭の説を立つる者は皆抑制するを為さしめば一時、或は偏重の力を政府に保有するを得べしと雖も其不平均の久きに至らば夫の必至の平均力は此の人為の偏重力を打破し其の本位に回復するを務め為めに非常の大乱を醸し以て上位を占むるの人をして其昨非を悔いしむるに至るや明し(p45)

・馬場辰猪「親化分離の二力」同上
趣旨は「平均力の説」と同じだが、平均力を親化と分離の二力に依るものとして論じている。「今や顧みて社会の事情に就て其成蹟を案ずるに実にこの二力の活動に依て進動し以て文明自由の域に進むものなるを知る」(p79)。具体的には政府と国会・世論の関係がこれにあたる(p84)。
・馬場辰猪『天賦人権論』1882年『馬場辰猪全集 第二巻』岩波書店、1988年。
加藤弘之『人権新説』駁撃のパンフレット。「若し単に学識の二字に就て之れを言へば不肖余の如きものすらも敢て多く今日の肉食者に譲らざる所あるを信ずるなり」(p94)という言葉からも馬場の自負が読み取れるが、先の「平均力」を「自然力」に発展させ、天賦人権の存在理由を説く。
加藤が「進化にも良正のものと不良正なものがある」と述べたことを批判し、進化には良正も不良正もないこと、そして天賦人権は「自然力」の表れという点において進化論とも矛盾しない、と説く。
「自然力」とは?→「太陽の一力より起因」する「根源たる自然力」であり、「作用は実に千変万化にして殆ど端倪す可からざるが如しと雖ども其根本とする力に至ては毫も消滅死廃に属するものに非ず、理学家所謂元素無尽の説は則ち此の理に外ならざるなり」(p97)

斯の如く論じ来れば(第一)宇宙の万物は不消不滅の自然力に由りて生じたるものなること、而して人類も他の動植物と共に此の自然の変化力より生じたる現象に外ならざること、(第二)既に変化して人間たるの現象を顕はしたる以上は必ず其目的を達せんと欲すること、他の動植物に異なることあるに非ざること、(第三)其目的を達す可き道理に於ては何れの邦国の人民と雖ども必ず相一致すること、(第四)其目的を達するに就て運動する所の方法は常に障碍の最も少き地に向て進向せんことを求むる者なることは已に明々白々なるに非ずや(p98-99)

そして「天賦人権主義は必ず進化主義に反対せるものと思惟せしこと」を加藤弘之が誤りを犯した原因として指摘(p119)
・馬場辰猪「思想の不滅を論ず」1884年、同上。
『天賦人権論』では原子説を採用しているようにも見えた馬場だが、ここでは「自然力」を「分子」の根底に置く。

蓋し世界に於て此の分子の消滅せざるは分子に自然力を有するに因るなり、凡そ耳目に触れ機関を動かす者は有形と無く無形と無く皆力にして固形体の如き瓦斯体の如き又流動体の如き吾人に感覚を与ふるは皆抵抗力に非ざるはない〔中略〕嗚呼天下の分子は皆一の自然力に由りて存在す、故に此の分子より生出する人類の脳髄の活動も亦必ず自然力に由るものとす、去れば永久存在する自然力の消滅せざる間は人類の脳力の活動即ち思想も亦永久不滅のものたらざるを得ず、是れ余が所謂思想不滅説の因て起る所以なり(p158)

(鈴木貞美が言うように)馬場の「自然力」が「エネルギー」と一致するかどうかは、なかなか難しい問題である。『米欧回覧実記』(1878年)のような熱素説を採用しているわけではないものの、熱の物質説から完全に脱却しているわけではない(「元素無尽の説)とエネルギー保存則の同一視)。「気」概念は物質とエネルギーの双方を含むが、近代科学におけるエネルギーは物質から区別される「定量的」概念である。そこを馬場は理解していない(このことはおそらく後掲の人々の多くに言える。明確に理解していたのは永井潜であり、かれはこの視点からエネルゲティークを批判する)。


2.杉浦重剛
杉浦重剛「理学宗に就て」1893年杉浦重剛全集 第1巻』杉浦重剛全集刊行会、1983年。
勢力=エネルギー。エネルギー保存説を人間社会に適用・規範化を試みた。議論としては粗雑であるが、感情をエネルギーの一種とみなす点では元良勇次郎とも共通(つまりフェヒナー精神物理学の問題圏内にある)。

東洋流の所謂仁義礼智信の如きも夫の物理学上に於ける光熱電気磁気等の如く、便宜名称を附したるのみのことにして、感情の力の外に現はれたる時の状況に附したるのみのことなり。既に此の如く、感情を以て一種の勢力と為す以上は、此勢力が其作用を為すに当りて物理学の定則に従ふと云ふも、亦何ぞ怪むに足らんや。唯此勢力の作用頗る複雑なるが故に、時に或は其因縁関係に就き、未だ之を詳にすることを得ざるものあるなり。(p748)

余は常に理学の定則中、夫の勢力保存説、波動説等は、最も人間社会の事に適用すべき場合多きを信ずるものなり。其一例を挙ぐれば、茲に一人の豪農あり、一代にて莫大なる資産を有するに至りたるものとせん。此人必ず非常の節倹と勤勉の力によりて、之を致したるに相違なかる可し。抑も人間が濫費と安逸に流れ易きは、夫の水の低きに就くが如く、物体が重力に従ひて落下するが如し。之に反して節倹と勤勉とは、重力の抵抗を犯して物体を高所に引上げたる時に要したる力の如し。即ち節倹と勤勉とは勢力を保存したる所以にして、経済学上に於て之を論ずれば、則ち此勢力保存の結果は資本資産と為りて、尚一種の潜勢力たるなり。

「勢力保存」を理解していないのか、それともわざとなのか(杉浦の例だと、浪費してお金を物に変えたとしても、「勢力」の総量は変わっていないので浪費してもかまわない、ということになる)。勢力保存がどの圏域において成り立つか、という設定を行わなかったためにこうした矛盾が生じたのだろう。


3.黒岩涙香
黒岩涙香『天人論』(朝報社、1903年)。

科学者は曰く物質は元素の集合なりと、元素の集合が何故に生物と為り、智情意を具し喜怒哀楽し或は詩歌を作りて天然の美を謳ひ、或は哲学を案出して物質其物の奥秘をまで訐かんとするに至るや、之を怪と云はずんば何をか怪と云はんや(p2)

関心としては生気論に近いが、実際は「すべてのものは生物である」という議論。そこには人間だけを特別視せず、さらには非生物(社会)をも貫く「進化」という法則を唱えた社会進化論の影響がみられる。それは次のような論理展開によって導きだされる。
針で皮膚を刺せば、痛みを感じるのは人であり、針そのものに「痛み」という性質が備わっているわけではない。これは唯心論であるが、針が存在しないのではなく、単に「針そのもの」にはたどり着けないだけである。我々が認識できるのは、見たり触ったりすることで得られる「現象」だけだ(p9)。そう考えると「針そのもの」に生命がないと考える確証もない(なにせ決してたどり着けないのだから)。

人と物質とを区別し、活と死とを区別するは単に自観と他観の別なり、自観すれば万物皆活けるなり、他観すれば万物皆死せるなり、今日の進歩したる学術は総て斯の如く認む、之を一元論と云ふ〔中略〕十九世紀の半に、進化論なる者が学界に現はれてより、学問は全く面目を一新し、其の研究に研究を重ねたる結果は、終に物質の皆活けるを認めざるを能はざるに至れり、今は生物学然り、心理学然り、一般の哲学亦然り(p11-12)

物が生きていることを示す根拠として持ち出されるのは「エネルギー」である。生物は「運動エネルギー」を、物は「ポテンシャルエネルギー」をもつが、それは実は同じものである、と。のちにオストワルドのエネルゲティークを受容する前提になっている。

石は自ら動かざるか、山は自ら動かざるか、金や水は自ら動かざるか、是等の物は絶間なく地球の中心に向て動きつつあり、唯だ地殻の厚く且つ堅きに遮ぎられて目的は達する能はざるも動く力は依然たり、故に理学者は之を伏力(ポッテンシヤル、エネルギー)と云ふ、伏力も起力(キネチック、エネルギー)も実は同じ(p16)

黒岩涙香『精力主義』(隆文館、1904年)。
論文「将に来らんとする『唯力論』」(1903年)はオストワルドEnergetischeの紹介。ただし黒岩は著書を直接読んだわけではない。黒岩はエネルゲティークに賛同して曰く「力無くして物は如何にして生ずるとを得るや」(p81)「唯物論が人をして天地は死物なりとの想を起さしむるに対し、唯力論は天地は活物なりとの感を抱かしめ易し」(p82)
このエネルゲティーク受容の背景には、心身一元論的な認識である「霊魂不滅の説」があると思われる(論文「霊魂不滅の説」1903年)。元良勇次郎に近い発想。「モニズム〔一元論〕は十九世紀の末に至り、物質論の達したる窮竟の真理なりと云ふを得べく、之を唯物唯心の二つに分つは単に科学方面と哲学方面との区別に過ぎず、即ち物心一如説なり、廿世紀の思想界は一にモニズムの横行闊歩する所なり」(p43)
こうしたエネルゲティークを「精力主義」として論じたのが、講演「余が信ずるエネルギズム」(1904年)である。時期としては日露戦争開戦直前だが、この講演で黒岩は非戦論者(名前は挙げていないが幸徳などであろう)を「今の世界に於て到底争ふことの出来ない真理と見做れて居る大なる道徳の主義」(p5)であるところの「エネルギズム」によって批判する。内容としては、生存競争の必然を説く社会進化論とほとんど見分けがつかない(エネルギー保存則への言及もなし)。
エネルギーが衝突し力が均衡することで原子が生じる。→原子が衝突することで万物が生成される。「是に由て観ますると、萬物は根本から戦争を免れぬ、戦争せねば進歩せぬ、向上せぬ」(p11)。



【エネルゲティークEnergetikと大正期の社会科学】
1.米田庄太郎
米田については以下も参照。
米田庄太郎について(研究史・社会問題論) - tukinohaの絶対ブログ領域
米田庄太郎「オストワルト氏の文化学Kulturologieと力学的社会学の発達」『芸文』2巻6号・8号、1911年。
オストワルドの国際社会学会大会報告(1909年スイス・ベルン)に対する所感。大物自然科学者と自らの見解が一致したことの喜び(オストワルドのノーベル化学賞受賞は1909年)。

余輩は氏の如き自然科学自然哲学の大家が上述の如く社会学の精神と重要〔=現在の人類間に存在する困難は学問が正しく適用されることで取り除くことができる〕を悟り、斯学の為めに大いに盡くさんとせらるるを見て実に欣喜雀躍せざるを得ない。〔中略〕併し今日までに発達し来れる力学的社会学は既に氏の与へんとせらるるものを有し、又氏の企てらるるよりは遥かに進んだ研究を試みて居るのではないか。余は之より力学的社会学の発達上より見て聊氏の貢献の真価を批判して見やうと思ふ。(p39-40)

エネルゲティークの射程について。

さればオストワルト氏の文化学のエネルギー学的基礎と云ふはつまりエネルギー法則を適用して文化現象の根本的一方面を説明すると云ふ意味にして、之によりて悉く文化現象を説明し盡くさんとするのでなく、氏ハ〔ママ〕文化学はエネルギー学的基礎を有すると同時に又数学的生物学的心理学的等の基礎をも有す可きものなるを認むるのである。是れ余輩の常に唱道する主意と一致する見解である。(p43)

社会化は文化発達の重要なる一因素である併し絶対的に必要なるものでない。更に又動物植物間に於ける社会化も総て文化学上重要であると云ふものではない。社会化は人類の目的に対して原料エネルギーより有効エネルギーに於ける転換の能率を改良する限りに於て、即ち文化発展の一因素をなすに於いて文化学上重要なるものとなるのである。〔中略〕而して又社会化がエネルギー経済を改良する尤とも一般的なる法則は機能分別及び機能媒介の法則である。(p49)

機能分化・機能媒介の具体例として(マッハの思考経済説に則って)学問を紹介(p52)。「総ての団結体がエネルギーの浪費を防ぐ為に利用する機能分別の原則は又学問界にも適用さる可き必要が起つて来て居る」(p53)。
で、結局「エネルギー」って何?

併しウイニアルスキー氏の説の基礎とするが如き生物的エネルギーの観念を基礎としては到底健全なる社会力学を建設することが出来ないと思ふ。社会力学の健全なる発達は一に其基礎とする社会力の定め方によりて決定せられるのである。而して余の見る処によれば社会力学の基礎となる可き社会力は第一に精神的勢力でなければならぬ、第二に仮令今日では完全に之を測定し得る手段はなくとも本来測定し得可き性質のものでなければならぬ。然らば実際上此等二ヶの性質を備へたる勢力は存在するかと云ふに、余の知る処では恩師タールド先生の唱へられたる信Croyanceと欲desireの二勢力は尤もよく此等二ヶの性質を具備するものであると思ふ。(p97)


参考1:米田庄太郎「タールドの経済心理学」1917年『経済心理の研究』(弘文堂書房、1920年)。
タルド社会学の三要素――反復/反対/適応
反復がなければ科学は成立しない。ゆえに反復は科学の基礎である。
適応によってはじめて宇宙の進化が理解できる。ゆえに適応は科学の本質である。
反対は反復から適応への移行期にすぎない。「然るに近世の科学殊に生物学に於ては此理をよく会得せずして、反対の一種たる生存競争を最も根本的なる進化発展の原理と看做し〔後略〕」(p22−23)

然るに創始とか、変異とか、発明とか云ふは結局適応の諸形態にして、此等は悉く適応に還元されるのである。して見ると適応は反復より起るが、併し反復するもの其物は適応であるのである。されば宇宙人生の一切の現象は結局適応より出発し、反復し、反対して更に一層高等な複合的な適応に帰ると云はねばならぬ。(p24)

タルドの信欲説――純粋な心理量としての「信」と「欲」

今吾人の心理生活を深く詳しく分析して見ると、吾人は結局夫れは純質的な一定の要素と純量的な一定の要素とから成立するものなるを発見する。純質的なる要素とは即ち純感覚にして、而して純量的なる要素とは即ち信と欲との二種の力である。要するに純質的なる純感覚の上に、純量的なる信と欲との二種の力が夫れ夫れ単独に、又は相結合して働くことによりて、茲に一切の心理現象が発言するのである。(p28-29)

信と欲とは主観の内容的及び構成的形式或は力にして、つまり主観が感覚の粗製原料を受け容れ之を精製する型である。(p33)

然るに〔タルド〕先生は一切の社会現象は本質的に心理的のものであると考へられるのであるから、社会現象もつまり信と欲とに還元されることになる。蓋し一切の社会現象は根本的には模倣によりて発明が心より心へ伝はることによりて成立するものであるが、然るに純感覚は本来質的にして主観的な要素であつて、心より心へ伝はることが出来ず、心より心へ伝はり得るものは、只本来質的な信と欲との二要素であるからである。(p36-37)

而して信及び欲は何れも増減し得るものであり、又正負に転向し得るものである。即ち信に於ては承認、肯定と云ふ正に対して、否認、否定と云ふ負があり、又欲に於ては求める、或は好くと云ふ正に対して斥ける、或は悪み嫌らふと云ふ負がある。此くて信及び欲は量の一切の本質性を具ふる真実なる心理的及び社会的量であるのである。(p39)


参考2:米田庄太郎「社会学的予見」『芸文』5巻12号、1914年
科学の役割=予見とする考え←上記の思考経済説に由来?

〔科学の職分について〕其の如何にありし所以と、如何にある所以とを説明する内に、何等かの程度に於て如何にあらねばならぬかを指示するものであらねばならぬ。即ち組織的予見の可能を含蓄するものであらねばならぬ。要するに如何にありし所以と、如何にある所以とを明らかにする其内に、何等かの程度に於て如何にあらねばならぬかを指示する説明的公式を樹立するに於て、茲に科学の職分は完全に盡くされるのである。而してかかる説明的公式が即ち科学の法則なのである。(p69)

米田は「予測」には二種類あるという。
(1)自然法則に従う予測→無限に繰り返す現象(自然法則)を基にする。価値判断を含まない。
(2)系列法則に従う予測→1回きりの現象で、かつ価値評価を含む因果関係(系列法則)を基にした予測。
系列法則の例として、米田は「(経済・政治など)社会現象の進化」を例に挙げる(p74)。ここでの議論はやや混乱している(たとえば「地球進化の法則」は自然法則だが、それを基にした「地球の将来の予見」は系列法則に従った予測とみなされる。何となく言いたいことはわかるが)

其の予見が確実精密なるものとするには、社会科学の研究者が社会現象の無限に繰り返へす方面に大に注目して、自然法則の発見に力を注がねばならぬ所以を明らかにせんとするが、即ち本意であるのである。(p77)

参考3:銅直勇「米田庄太郎博士の「純正社会学」」1964年(『銅直勇著作集』めいせい出版、1977年)。
タルドは「科学」の条件を「無限に反復される社会的事実」にあると考え(その具体例として「模倣」を挙げる)、現象の歴史的取扱いを社会学の範疇から除外した。米田はこれを「狭い考え」と批判するが、一方で「社会現象の無限に繰り返す方面」を研究すべきとするのはタルドの影響。
(参考2)米田庄太郎『輓近社会学論』(關書院、1948年)。

私の見る処によれば、コントやミルやスペンサーなどの社会学が、今日の独逸の社会学者が非難するが如き所謂百科全書的状態を呈し、又歴史哲学と混同されて居るのは、ツマリ彼等は純正社会学と総合社会学とを明かに区別し、そうして先づ純正社会学を建設し、然る後に之に基いて総合社会学を建設し可きものなることを能く理解しなかつたが為であると思はれる。純正社会学によりて与へられる基礎及び方針に基いて建設されるに非らずば、総合社会学は自から百科全書的となり、又歴史哲学的とならざるを得ないのである。〔中略〕そうして此の肝要なる仕事に先づ着手したのは、私の旧師タールドとジムメルとである。(p154)

私が最も早く心から牽引されたのはタールドの社会学であつた(但し是れは単に学問上の理由によるばかりでなく、私が米国で社会学の研究を始めた頃の私の境遇や精神状態に基因する処も少なくなかつたのである)。併し私は始めからタールドに盲従したのではなかつた。〔中略〕殊に私はタールドの社会学には総合社会学の欠けて居ることを不満に感じた。そうしてコントやミルなどの総合社会学の概念が、純正社会学の概念によりて純化されることが必要であると考へると同様に、タールドの純正社会学の概念は総合社会学の概念によりて純化されることが必要であると考へたのである。(p156-157)

・米田庄太郎『現代社会問題の社会学的考察』弘文堂書房、1921年
第5章「現代哲学と資本主義精神」で、マッハ、アヴェナリウス、オストワルドを取り上げている。資本主義精神が哲学における認識論の隆盛を招いたこと、その典型がプラグマティズムや「思惟経済の原理」であること、など。エネルゲティークは思惟経済の原理の具体的実践例として言及されるが、いかなる思想がその原理に適うのかについて何らの標準も提供していない、とやや留保が付けられる(p227.だからこそ米田は新カント派の価値哲学を重視したのだろう)。
・現代文化は資本主義文化である:一切を貨幣に還元し利益の最大化を図ることと、その手段としての「経済合理主義」(p204)
経済合理主義の具体的手段として(1)事実や現象、個体を注視する実証主義(p205−6) (2)生活の手段として、すべての観念を「最少努力の原則に従」い整理する(p207)
(2)の側面に関連して、「理論或は真理の自己価値を認めず、其の価値を只実際的結果のみから引き出さんとする」プラグマチズムの隆盛が哲学において生じている(p214)。→プラグマチズムと同様に資本主義精神を発揮しているのが、マッハ、アヴェナリウス、オストワルドらの認識論(p217)
・マッハの認識論
知識や認識は適応の一形式であり、自然淘汰説が適用される。

先づマツハの論ずる処によれば、総て生命なるものは有機体が其の圏境に対して、自己を保存せんと努力する一の過程である。而して知識とはつまり此の生物の自己保存を、直接又は間接に促進する経験である。此くて人間の思想は生命或は生活の表現であるから、此処にダーウインの淘汰的適応説は当然適用されるのである。
夫れ進化の最低段階にありては認識すると云ふことは、つまり只生活条件に最ともよく適応する目的の為めに、吾人の意識に於て自然過程が本能的に捺印されることを意味するだけである。併し此の目的が吾人に意識さるるや、認識過程も亦意識的及び合目的に遂行され、而して真理の標準は生活或は事実に適応すると云ふことに於て発見されてくる。〔中略〕而して吾人が此等の認識的行動を敢て為すのは、是れつまり思想を調和し、節約し、組織す可く吾人に迫る一の生物学的欲望に基因するのである。されば吾人の認識的行動の出発点は欲望にして、其の目的は生活保持、又其手段は経済(最少努力)である。(p217-218)

オストワルトのエネルゲティクと思惟経済

併しオストワルトは其のエネルゲチクに於て、思惟経済の原理を最とも徹底的に展開して居ると思はれる。今オストワルトは一切の感覚(運動、光、其他)をエネルギーとして観念し、其の転換を公式に於て表はして居る。而して彼の考ふる処によれば、一切の人間的行動の内容は自然のエネルギーを獲得して、之を特殊なる人間的目的に転換することに於て成立する。されば文化的仕事の全体は、つまり利用し得可き自然のエネルギーの分量を増加せんとする努力、或は財貨関係を改善せんとする努力に外ならぬと云ふことが出来る。(p221)

法律、国家などすべての社会制度の目的として、エネルギーの「合目的なる利用」がある(p222)

彼〔オストワルト〕にありては〔マッハと同様に〕科学とはつまり組織されたる、即ち出来るだけ単純な、又見渡し得られる形式に作り上げられたる経験に外ならぬ。科学は出来るだけ少なき労費を以て、事実の出来るだけ充分なる智識及び予見の取得を媒介するものである。科学はつまり組織的予言の技術である。而して茲に科学の重要が認められるのである。(p224-225)

人間とは独立に存在する「不可知の絶対的世界」(p223)を否定し思考経済=適応という目的概念と科学を結びつけたマッハについて、米田は工場労働者が機械の部品になることを懸念する人に似ている、という。

却説以上述べ来りし処によりて、吾人はマツハにありても亦オストワルトにありても、事実及び経験の勢力が小さき人間精神を圧倒する傾向が、大いに強調されて居ることを見るが、彼等は経済のあらゆる手段によりて、人間精神をして其の生産物たる科学を支配する力を、失なはせまいと勉めて居るのである。而して此点に関する彼等の心配は、資本主義的人間が器械に対して抱く心配、即ち器械によりて圧倒されることを恐れる心配と大いに類似して居る。(p226)

参考4:文化生活と能率について
森本厚吉『生存より生活へ』文化生活研究会、1921年

生存(Existing)と生活(Living)とは決して同一のものではない。経済生活が生存より生活へ進んだ時、初めて人の持つて生れた生活能力が充分に発揮されて、茲に文化は開発され、人は意義ある生を楽しみ得るものであると確信する。
旧時代に於ては、かかる幸福な生活を営む事の出来る人は、極少数の特殊階級者のみで、大多数の民は富の生産の為に必要な道具となり、一生貧しい暮をして、漸く露命をつなぎ生存さへして居ればよいと云ふ運命を有するものと考へて居つた。併し新時代に於ては、単に生存するのみでなく、能率の高い文化生活を営むべきもので、其の生活権を各人が立派に行使し得るものであることを当然と認むるのである。けれ共此天与の権利を放棄して、新時代に生活して居ない人が非常に数多い我国民生活の現状を、私は心から慨嘆するのである。(序p1-2)

森本厚吉『新生活研究』文化生活研究会、1922年。
人其物が文化の本尊であるのに、自分達の造つた文明が、今日却て人を機械同様に取扱つて、新時代に生を受けた人々が当然楽しみ得べき文化生活を営み得ないといふ眼前の事実は何といふ惨めなことであらう」(序p1)。これを改善するためには、(個人生活のレベルにおいては)啓発と教育を図り、「新知識を実生活に応用して、能率の高い以て生活を営み得るやうに努力しなければならないのである」(序p3-4)

〔文化生活の敵は奢侈と生活の簡易化(=「役立つ生活即ち有益な生活を送る」p7という生活目的の閑却)であると述べて〕現代人として当然の義務は、個人的には其心的及び物的生活に於て、最新学理の示すがままに合理的に生活行為を進歩改良せしめて、浪費のない、文化生活を自ら実行して各自の生活能率を大にする事である。社会的にはかかる生活を民衆が営み得る様に社会の組織を改造する事である。(p8)

・参考5:思考経済について
木田元『マッハとニーチェ――世紀転換期思想史』新書館、2002年。
マッハ前史:要素還元主義と線型因果論

〔フェヒナーの精神物理学について〕実験というのは、複雑な現象のなかからその単純な構成契機を切りとり、その景気の属する線型の因果連関を確認しようというものである。〔中略〕心理学もその方法を模倣し、どれほど複雑な心理現象も、実は単純な要素から成っていると見る。そのとき、この単純な要素と見なされたのが<感覚>である。(p52)

19世紀の人たちにとって、自然現象がすべて力学的に解明されうるのは、やってみたらたまたまうまくいったということではなく、それには論理必然的な根拠があるのだと思われた。つまり、それは、力学の原理や法則が単なる経験的事実的な法則ではなく、幾何学の公理や定理のようにアプリオリな真理だからなのだ、と思われたのである。(p88)

⇒単純な要素(感覚)の積み重ねから複雑な知能を解明しようとする立場は、ゲシュタルト現象によって行き詰まる。頭蓋骨の大きさと知能を結びつけた骨相学も要素還元主義と言えるだろうが、これも知能をうまくとらえられない。そこで知能を「外界を認識し『適応』するための能力」と定義し、非要素還元的な方法(たとえば身近な課題を通した知能検査)によってそれを計測しようとする動きがでてくる(才津芳明「測ることと試すこと」)。
同様に熱力学でも、要素還元ではエントロピーをうまく扱えない。
マッハの中性一元論と思考経済説について

力学的自然観を否定するということは、当時の物理学が究極の実在として大前提にしていた力学的世界、つまり絶対的な時空間内でそれ自体は恒常不変な実体=質点が運動しているとされる力学的世界を、単なる形而上学的な背後世界にすぎないとして否定し去ることである。そうなると残るのは、これまでそうした背後の実体つまり物自体のわれわれ人間の感官への単なる現れ、「単なる現象」として蔑視されてきた感性的世界だけである。物理学の対象となるのも、この「単なる現象」にすぎない感性的世界以外にはないことになる。(p92)

科学――物理学にかぎらず生理学や心理学をもふくめて――の仕事は、現象界を織りなすこれら感性的諸要素の函数的依存関係を、「最小の思考の出費でできるだけ完全に記述する」(『力学史』、445ページ)という<思考経済の法則>に従って記述することにある。
してみれば、この記述の仕方はさまざまにありうるわけであり、その分け方もかなり便宜的なものである。(p93-94)

進化論の立場に立てば、人間の思考作用も、したがって科学的認識も、環境への生物学的適用の一様式とみなされることになる。自然科学の目標も、「事実に思考を適合させること」でしかなく〔後略〕(p100)

「いわゆる客観的世界の存在に関するいっさい断定を停止することによって、現実性と可能性の区別が無効になり、すべてが「現象」になる」(p335)
・参考6:ニーチェの思惟経済について
須藤訓任ニーチェの歴史思想』(大阪大学出版会、2011年)。
マッハの思惟経済には「経済」を手段的役割に限定しようとする契機が潜んでおり、ニーチェもそれに共感していた。

このように、ニーチェが「経済」を認識論的手段に限定するのは、むろん、存在の実相が本質的に「経済」でもっては測れないものを潜めていると考えられるからにほかならない。それは、「存在」を「歴史」と換言するならば、歴史は「経済的に」成り行くものではないということである。逆に歴史はある意味で、「無駄」や「浪費」に貫かれている。そもそも「経済的」効率それ自体がきわめて相対的なものだろう。それどころか、極限するならば、「経済」が生の最高の究極原理だとするなら、生は、ひいては、一切がその存在を止めるにしくはないであろう。というのも、その方がより簡単で「経済的」なはずだからである。〔中略〕そして人間にとっては、あくまで生の利便に奉仕するからこそ、「経済」も意義が与えられるのであって、自存の原理として独立し無制約化するなら、逆に、生を自壊に追い込みかねない事態をもたらすであろう。(p208)

思惟経済が「手段」として限定されることで、「知の経済的性格」が明らかになる。
これと対照的なのがアヴェナリウス

アヴェナリウスにおいて「削除の方法」は、精神の認識活動の基本規則として認識論的に位置付けられ論じられているとともに、認識活動する精神のあり方も含めて一般に有機体のあり方を規制する存在論的原理としても規定されている。〔中略〕つまり、思惟経済の原則は生体の欲求に、つまり、生体の自己保存にとっての有用性にもとづけられている。(p373)


2.元良勇次郎とエネルギー
・元良勇次郎「心とは何ぞや」『哲学会雑誌』265−267号(1909年)。
心の実在について、心身並行論、唯物論、唯心論の諸学説を紹介。そのなかでオストワルドが登場。依拠する文献は以下。
Wilhelm Ostwald: Vorlesungen über Naturphilosophie. Verlag von Veit & Comp, Leipzig 1902.

それから現時の学者の中で唯物論を主張して居る人はライプチヒ大学の教授オストワルドといふ化学者があります。エネルジーを以て総てを説明しやうといふのでエネルジーの一元論者であります。〔中略〕スピノザがサブスタンスといふのを仮定して其のサブスタンスの一方面は心で一方面は物であると言うた其考と比較して見れば教授はエネルギーとガイスト(霊)と云ふ活動が同じ存在の両方面になるといふ様に考へたのであります。(266号、327頁)

元良はこの講演で「唯物論者が種々な事を言ふけれ共どうして有機体から単一感覚が起て来たかと云ふことが不可思議である、感覚は始から有ると言ふか或は感覚は全然無いといふか、傍発症とするかといふ問題」に特に注意を促している(266号、330-331)。「私は元来心理学を研究する様になつたといふのは畢竟斯ふ云ふ様な問題が一種の疑問となつて之を解決して見たいといふ事が動機になったのであります」(267号、421頁)。

然れば私の考は今迄色々話した中のどの考に最も近いかといふと先づオストワルドのエネルジーの説に最も近いのであります。(267号、421)

しかしながらオストワルドが「エネルギーと心は同一存在の二側面」と述べたことは、心理を実際に説明するうえであまり助けにならない。

それで私はオストワルドの此概念にモウ少し概念の内容を附けたいと思ふ〔中略〕それで其内容を附けるに付いては唯心と言ふ丈では余り漠として居りますから、精神化せられたるエネルジーと言ひ度いと思ひます。〔中略〕それでエネルジーの中にも精神になつたものと精神にならぬものとある、此処に火が燃へて居る如きは精神にならぬエネルジーで感覚感情等の如きは即ち精神化せられたるエネルジーであります。それが心の源でありますから此を心元と名づけたいのであります。(267号、p422-423)

私の考では心元といふものは電気とか或は熱とかいふものと同じ一種の自然力で或一定の法則に従つて活動して行くものであります。〔中略〕心元は進化しない千年前の電気も今の電気も同じである様に千年前の心元も今の心元も同じで、進化するのは此身体丈けであります。(267号、p437-438)

・元良勇次郎『心理学概論』(丁未出版社・宝文館、1915年)。(雑誌連載の原稿をもとに元良の死後出版されたもの)序論を中心とした詳細は佐藤達哉『日本における心理学の受容と展開』第2部8章を参照。
心理学の基本概念と、それらの相互変換を媒介する「エナージー」について。
図解⇒http://f.hatena.ne.jp/tukinoha/20140405160101
松本亦太郎による「序文」では、「抑心物両界相関は、物理学上に於て勢力保存説の出てて以来、殊に学問上の難問題とする所」とある。(p10)
神経学が未発達であることもあって、切り傷=物理的現象が「痛み」という感覚へと変換されるのをエネルギーが媒介している、と元良は考える。
「エナージー=エネルギー」の力学については以下のように述べる。

力学とは何ぞや。今論ぜんとする力学は、最広義に解せる力学にして、エナージー活動の法則及び其の性質を一般に論ぜんとするものなり。然るに力学は、物理学に於て最も精密に研究せられ、其の法則も亦確定せられ居るが故に、単に力学と云へば、世人は即ち物理学上の力学なりと即断するを常とす。然りと雖も生物体の力学、社会活動の力学等の如きは必ずしも物理学上の力学を比論によりて適用したるものにも非ず、また物理学上に発見せられたる力学上の法則を、生物、若くは社会に適用せんとしたるものにもあらず。(p35-36)

・元良、米山保三郎、夏目漱石
上田正行「「哲学雑誌」と漱石」『鴎外・漱石・鏡花―実証の糸』翰林書房、2006年。
明治30年に28歳の若さで亡くなった米山保三郎は、哲学者であるが元良に師事する空間論の研究者であった。彼の遺稿「『シオペンハワー』氏充足主義の四根を論ず」(『哲学雑誌』125・126号、1897年)はショーペンハウアーの唯心論を実在論の立場から批判したものであるが、以下のような主張である。
(1)「エーテル」、「エ子ルギー」は客観的実在物である。論理法則も客観的真実である。
(2)観念および知力は生存競争の結果として獲得されたものである。
(1と2は矛盾しないのだろうか?2の立場から論理法則の実在性を否定したのがマッハ)
ところでこの米山は、漱石の一高、帝大の同級生でもある。エネルギーへの関心を漱石に植え付けたのが米山だった可能性はないだろうか。
米山と漱石の交流については、大久保純一郎『漱石とその思想』荒竹出版、1974年。


3.永井潜『生物学と哲学との境』洛陽堂、1916年。
永井は生気説を批判するうえで、「勢力不滅の大法則」を重視する。仮に精神と身体が別々に存在するとすれば、精神が身体に働きかけることで「精神エネルギー」の分だけ身体のエネルギー量が増加することになる。しかしそのようなことはない。ゆえに心身二元論(ひいては精神に独自の地位を与える生気説)は間違っている。

物質は、絶えず、無機界から有機界に移行し、暫時、動植物体中に滞留した後、再び無機界に排泄せられる。其の間、各元素の原子は、其性質に於て毫も変化せらるることがないから、生活現象も、総ての他の自然現象と同じく、物理的・科学的原則に従ふ原子の運動に帰せしむることが出来る。此等の運動の原因は、原子中に存在する牽引・反発の二力の隠顕に外ならないものであるが、或は顕はれて現的「エネルギー」となり、或は隠れて潜的「エネルギー」となるも、其の総量は、終始変る所がないのである。〔中略〕かく考へ来ると、特別な「生活力」なる者を仮定することは、理論的自然科学の思考法と到底相ひ容れざることが分る。(p544-545)

こうして永井は一元論の立場から生命を論じるのだが、彼は自らの「心身並行説」を唱えるうえで、「唯物的一元論」との差異化を図る。ここで批判される「唯物的一元論」の代表がオストワルドである。オストワルドが「精神エネルギー」の存在を仮定し、物質エネルギー(身体)との相互変換を論じたことについて、

何となれば『力』なる概念は、性質的の者であり、随つて、其の間に、直接、数量的比較を行ふことが出来ぬからである。而して此の欠陥を満さんが為に起つたものが、即ち「エネルギー」なる概念である。斯くて「エネルギー」なる者は、其の成立の本義から論じて、書力の関係を明かにし、之か数量的比較を容易ならしめる為に設けられたる、一の数量的・計算的概念であつて、何ら理体的意義〔ルビ:メタフイィスエ、ペドイツング〕を有つて居る者ではない。(p611)

若し此等の仮想的エネルギーなる者が、真性なる「エネルギー」であるならば、啻に此等の非物質的「エネルギー」と、物質的「エネルギー」との間に、直接の転化が行はるるのみならず、其の転化に際して、上述の如き数量的関係が、厳格に当て嵌らなければならぬ。此の事が立派に証明されざる以上は、精神「エネルギー」なる概念は、断じて許すべからざる者であり、随て又、心身「エネルギー」の転化Psychophysische Energieumwandlungなる所論は、単に一の理体的空想に外ならぬ。(p615-616)

永井の心身並行説とマッハの中性一元論の近さについては石井幸夫論文を参照。ところで、マッハとオストワルドの関係を考慮した場合、永井もマッハを読んでいたという可能性はないのだろうか。(オストワルドをマッハに引き付けて読んだ例として、米田庄太郎がある)


【社会的背景】
小堀聡『日本のエネルギー革命』(名古屋大学出版会、2010年)。
第一次世界大戦までの日本はエネルギー資源小国ではなかった。
第一次世界大戦期の重化学工業化を契機に、需要増加と採掘費の上昇で石炭価格が高騰、加えてこの時期需要が高まる石油の輸入も増大。「こうした動向は日本が「持たざる国」であること、つまりエネルギー制約を意識させることになる。そしてその主要な解決策は自由貿易を通じた輸入ではなく、海外資源の確保・開発にあった」(p7)

労働運動の高揚や労働者の企業内安定化などを背景として賃金水準の高位安定化が進むなか、日本でも1920年代になると生産過程の合理化への取り組みが従来になく活発に展開された。鉄鋼を中心とする重化学工業での技術革新や科学的管理法がその代表例である。20年代に始まるこうした一連の経験が、30年代になると低為替や満洲への投資と相俟って高成長の一因となり、さらには戦時期を挟んで戦後にも継承されたことはしばしば指摘されてきた。
本書が注目するエネルギー節約の取り組みも、これら1920年代に開始され戦後にも継承された種々の合理化の一つである。資源制約が国民経済全体の問題として意識されるようになったこともあり、戦間期以降、エネルギー節約技術の高度化は個別企業のみならず政府としても見過ごすことのできない課題となっていった。(p33)


・そのほか
細谷雄大『新自然哲学』(春秋社、1922年)。