米田庄太郎について(社会学論)

経歴:明治から昭和戦前期にかけて活躍した社会学者。明治28年に留学し、コロンビア大学のギディングスと、コレージュ・ド・フランスのG.タルド社会学を学んだ。明治40年京都帝国大学に創設された社会学講座の初代講師に就任。昭和17年まで教壇に立った。
 社会学史上の位置
(1)高田保馬、銅直勇ら優秀な社会学者、山口正など社会事業の実務家を育てたこと。
(2)日本社会学会の前身である日本社会学院の創設に深くかかわったこと。
(3)欧米社会学の輸入と社会学の体系化に努め、「百科全書的な学」としての社会学から、「特殊専門的な学」としての社会学への移行期に位置すること。
(3)はつまり、社会学は「特殊専門的な学」であるが、すべての学問を指導・整理する役割は放棄されない、ということになる。

要するに社会学は特殊的社会諸科学〔=専門分化した社会科学〕の最後の結果を整理し組織して、社会及ひ其多様的表現の発生並に発達を跡つける統一的総合的学問である。従ふて社会学は哲学的全般的学問の性質を具へ、特殊的社会学か集注し、又放射する焼点となるのてある。
米田庄太郎「批評的法理学と社会学(一)」『京都法学会雑誌』8巻2号(1913年、109頁)。

さらに米田は社会学の「哲学的職分」として、「社会生活に関する一般的総括的根本的原理理法と科学的哲学の確立したる宇宙の根本原理との関係を闡明すること」を挙げる(p113)


最初期
1895年の渡米から帰国(1901年)し、京都帝大文学部講師に就任するまで(1907年)
・米田正太郎『現今の社会学』(私立岡山県教育会、1906年)。
・同書における学問の分類および社会学の位置について。
http://f.st-hatena.com/images/fotolife/t/tukinoha/20140401/20140401165047_original.png?1396338710
上の表によると、社会学は「社会理論学」の一部であり、社会主義や社会政策は「社会実際学」に属する

普通の人に社会学を研究して居ると云へば、それでは監獄改良或は事前問題の研究をなさるのですかと問返される、啻に普通の人々のみではなく学者の内にも社会学と云ふ名称の下に種々の実際問題を論する人々もあります併し私共は監獄改良問題、慈善問題などの実際問題は総て之を社会政策学の中に入れて組織立てて研究し社会学と云う名称を社会理論学の一部分の名称として保存して置きたいと考へます(p32-33)

・同書における「社会法則」をめぐる学説史
社会法則は存在するのか、それは自然法則と同じものなのか。――たとえば自由意志をめぐる問題がある。社会は人間によって構成されている。ならば、人間を動かす心も物質のように扱えなければ、自然法則と同じようには扱えないのではないか。
米田はタルドの考え――学問は予見を生命とする――を肯定的に引用(のちに米田も「社会学的予見」という論文を書く)。
米田自身は、自然科学と同じ厳密性をもった社会法則は存在するが、まだ見つかっていない。また「理法〔=法則〕は一種ではない」(p31)←「生存競争」「淘汰」一辺倒の社会有機体説への批判か。
社会学の中心となる「社会心理学
その後の米田社会学の中心となる社会心理学の重要性がすでに指摘されている。それはまた、無意識の発見に代表される知性中心主義への批判的視座とも関連する。(米田の出自を考えた際、なぜ部落差別のような非合理的制度が存在するのか、という問題とも関係するだろう)

此の如くして意志や無意識を重んじて世界や人生を説明する様になつて来ましたから社会的学問に於ても亦意志や無意識の作用によりて社会現象を説明する思潮が起つて来ました之れと同時に英国の方に於てはダーヰンの生物進化論が創造せられて人類も亦生物の一種と見て研究する風が盛んになりました所が生物界に於て尤も勢力を振ふ心理的力は本能とか衝動とか云ふ情緒力である、そこでやはり生物の一種なる人類の行動を説明するにも衝動本能感情等を重んずるに至り知力一点張りでやり通ふそふとする風が大いに衰へた〔中略〕今此思潮を尤も早く社会学界に導いたのはルボン、タールド、ヂユルケーム等の諸先生である。(p110)

米田は、社会とは「有心物の結合より成立する団体」であり、「複数の有心物が心理的に類似するよりして其心理的類似を基礎として相互に心理的に結合して一団体をなす、之れが即ち社会である(茲に心理的類似と云ふは複数の有心物が同様の観念同様の欲望を有することを云ふのである)」(p116―117)という。この心理的類似を「模倣」によって説明したタルドに対し、模倣の基礎にはさらに「神経組織の有機体的類似」があるとするF.H.ギッディングスの見解が「尤も真理に近い」と米田は言う(p118)
しかし、こうした社会心理を生物学的類似によって説明することは、せっかくの社会有機体説批判の力を削ぐことになるのではないか。米田は「社会化」と「個性ないし人格」の関係について、「社会化」を実質的には同化として、「人格」を先天的個性から説明され、後年のように「社会に対する人格の役割」が説明されていない。

それで今全体の上から見て社会化とは如何なるものであるかと云はば左の如き形式に従ふて夕しんぶつが社会的に化する或はなることである、神経組織の類似、同様の刺激に対する同様の反応、応用的心理的類似、模倣、現実的心理的類似、類似の感即ち同類感、類似の快感、共棲の楽み本能的協働、類似の意識即ち同類識、同類識の快感、共同生活の楽協働の可能性(p120)

従来の個人主義の哲学は人を抽象的に考へて人は本来人格の萌芽を稟有し単独孤立して居つてもよく之を発達するものの如く説いたが併し之れは大なる謬見であつて人は社会化を離れて人格化するものでない(p120)

然るに近来此の理が明らかなるに至て今度は極端なる従来の個人主義に対する反動で人は社会を作るにあらず社会は人を作るのであると云ふ他の極端なる説が切りに唱道さるる様になつてきた、併し之れ亦一の偏見である人格は全く社会によりて作らるるもならば同一の社会の内にある人々は皆な同一の人格を有さねばならぬこととなる〔中略〕さらば人々は社会化によりて相互に心理的類似を発達し夫によりて心意の発達すると共に各々又特異なる性質を発達する其処に人格は発達するのであると云はねばならぬ〔中略〕各々の人間の生れなから有する有機体的生物的特質が各々が社会化によりて心理的類似を発達し心意を発達すると共に心理的特質に化成するのである〔中略〕此の如く解することによりて私は初めて人格の真義を会得することが出来る又個人主義社会主義の調和を行ふことが出来ると考へるのである(p121)

重要な刺激に対して同様の反応を返すのが「社会化」であり、それほど重要でない刺激に対して異なる反応を返すのが「人格化」である(p121)
⇒「社会化」と「人格化」の相互作用についても言及されるが、明瞭さを欠く(p122)
・意義と問題点
本書で展開される学問観、社会観には、後の議論の萌芽がほとんど含まれている(純正社会学を中心とした総合社会学のプラン、社会心理学が純正社会学の中心となること、科学的方法と「量化」が結びついていることp63)。しかしこの段階ではいくつかの問題点が孕まれている。
第一に、社会学における心理学的方法の重要性は主張されるものの、その意義については未だ明らかでないこと。この時期の米田はコント流の総合社会学の影響から脱しきれず、社会学と諸科学の関係を階層的な秩序ないし主従関係として説明する傾向が強かった。たしかにコント流の総合社会学そのものではないが、社会学独自の目的や対象、役割を示すには至っていない。
第二に、社会の本質を心理的な類似性に求めるだけでなく、生物的な類似性がその基礎として結び付けられていること。それは社会有機体説と本質的にどう異なるのか、が明らかではない。また、「社会化」の意味を正面から取り上げることを妨げる認識であった。
以上の点ではギディングスの影響が濃厚で、遠藤隆吉と大きく変わらない。⇒そこからの離脱(と、タルドの影響力増大)によって米田は独自の社会学を構築していく。


初期
京都帝大文学部講師就任(1907年)から日本社会学院を設立するあたりまで(1913年)
・米田庄太郎「社会学論(一)」『日本社会学院年報』第1号、1913年。

米田はここで社会学の職分を「方法論的研究」と「実在論的研究」にわけ、「実在論的研究」をさらに「抽象学」と「具体学」にわける。
なぜ分ける必要があるのか?⇒「社会学は宇宙間尤も複雑を極むる実在の範域又は方面を対象とする理学であるから」(p269)
抽象学=純正社会学=社会の「最小極限的事実、或は不可還元的事実」(p269)=「心と心の相互関係或は相互作用」(p270)
具体学=総合社会学=抽象学に色々なものが加わった具体的事実をそのままに研究
これに方法論的研究=組織社会学が加わる(ただしこの時点での組織社会学と総合社会学の区別はやや不明瞭)。
・米田庄太郎「社会学の観念の批判及樹立」『日本社会学院年報』1巻4・5号(1913年)。
社会学の三分類
(1)組織社会学――方法論的研究
社会現象の概念、社会現象の分類、社会理法の性質、社会研究法、社会科学の分類及組織
(2)純正社会学――社会学の中核に当たり、社会現象の真髄(=心と心の相互作用)を研究
心と心の相互関係の淵源、相互作用の成立する社会心理作用、相互作用の展開する根本過程及び形態、心と心の相互関係のエネルギ学的解釈
(3)総合社会学――純正社会学をもとに、諸般の社会科学の知識を整理・総合
社会形成論、社会圏および社会団体論、文化諸現象論、社会進化及び文化発展論
「エネルギ学」が(論文の流れから見て)かなり唐突に登場。←先行研究でも言及なし。しかしこれがエネルゲティークであることは後述するように明らか。


参考1:米田庄太郎「オストワルト氏の文化学Kulturologieと力学的社会学の発達」『芸文』2巻6号・8号、1911年。
オストワルドの国際社会学会大会報告(1909年スイス・ベルン)に対する所感。大物自然科学者と自らの見解が一致したことの喜び(オストワルドのノーベル化学賞受賞は1909年)。

余輩は氏の如き自然科学自然哲学の大家が上述の如く社会学の精神と重要〔=現在の人類間に存在する困難は学問が正しく適用されることで取り除くことができる〕を悟り、斯学の為めに大いに盡くさんとせらるるを見て実に欣喜雀躍せざるを得ない。〔中略〕併し今日までに発達し来れる力学的社会学は既に氏の与へんとせらるるものを有し、又氏の企てらるるよりは遥かに進んだ研究を試みて居るのではないか。余は之より力学的社会学の発達上より見て聊氏の貢献の真価を批判して見やうと思ふ。(p39-40)

エネルゲティークの射程について。

さればオストワルト氏の文化学のエネルギー学的基礎と云ふはつまりエネルギー法則を適用して文化現象の根本的一方面を説明すると云ふ意味にして、之によりて悉く文化現象を説明し盡くさんとするのでなく、氏ハ〔ママ〕文化学はエネルギー学的基礎を有すると同時に又数学的生物学的心理学的等の基礎をも有す可きものなるを認むるのである。是れ余輩の常に唱道する主意と一致する見解である。(p43)

社会化は文化発達の重要なる一因素である併し絶対的に必要なるものでない。更に又動物植物間に於ける社会化も総て文化学上重要であると云ふものではない。社会化は人類の目的に対して原料エネルギーより有効エネルギーに於ける転換の能率を改良する限りに於て、即ち文化発展の一因素をなすに於いて文化学上重要なるものとなるのである。〔中略〕而して又社会化がエネルギー経済を改良する尤とも一般的なる法則は機能分別及び機能媒介の法則である。(p49)

機能分化・機能媒介の具体例として(マッハの思考経済説に則って)学問を紹介(p52)。「総ての団結体がエネルギーの浪費を防ぐ為に利用する機能分別の原則は又学問界にも適用さる可き必要が起つて来て居る」(p53)。
で、結局「エネルギー」って何?

併しウイニアルスキー氏の説の基礎とするが如き生物的エネルギーの観念を基礎としては到底健全なる社会力学を建設することが出来ないと思ふ。社会力学の健全なる発達は一に其基礎とする社会力の定め方によりて決定せられるのである。而して余の見る処によれば社会力学の基礎となる可き社会力は第一に精神的勢力でなければならぬ、第二に仮令今日では完全に之を測定し得る手段はなくとも本来測定し得可き性質のものでなければならぬ。然らば実際上此等二ヶの性質を備へたる勢力は存在するかと云ふに、余の知る処では恩師タールド先生の唱へられたる信Croyanceと欲desireの二勢力は尤もよく此等二ヶの性質を具備するものであると思ふ。(p97)


参考2:銅直勇「米田庄太郎博士の「純正社会学」」1964年(『銅直勇著作集』めいせい出版、1977年、71-72頁)。
銅直が1914年に受けた講義「純正社会学概論」の綱目

  序論 附組織社会学序論
第一章 社会学の概念及び部門
第二章 社会現象の概念真相及び一般的分類
 第一節 社会現象の概念真相
 第二節 社会現象の一般的分類
  本 論
第一章 心と心との相互作用の淵源
 第一節 RatzenhofeのInteressentheorie
 第二節 Smallのinterest説
第二章 心と心との相互作用の成立する根本的社会的作用
 第一節 心と心との相互作用の成立する一般的形式
 第二節 一の心が他の心の与うる観念、感情欲望に対して何等の批評的反省を加えず、そのまま容れる場合の社会心理作用、暗示及び模倣。
 第三節 一の心が他の心の与える刺戟をそのまま「排斥」する場合の社会心理作用
 第四節 一の心が他の心に与える刺戟を「強制」的に受入れせしめられ、又排斥せしめられる場合の社会心理作用
 第五節 一の心が他の心の与える刺戟の価値を判断して、これを受容れ又は排斥する場合にはたらく心理作用
第三章 発明論 社会現象の起源
 第一節 発明の観念
 第二節 発明の社会的条件
第四章 心と心の相互関係の根本形態及びその展開過程
 第一節 親和形態の一般的過程
 第二節 社会的反対
 第三節 人格の発生及び発達
 第四節 複合協同

エネルギ学はない。



・米田庄太郎「批評的法理学と社会学(一)」『京都法学会雑誌』8巻2号、1913年。
・法律規範の基礎としての「適応の理法」

吾人は科学的研究によりて認識せる事物の真相よりして適当なる構成要素を引き出し、之を以て真に実証的なる法律哲学を建設し得るのてある。生命の理法、及ひ社会の理法にして一度確立されんか、吾人は之よりして個人的存在並に社会生活の本年的必要条件の何物なるかを観破し得るのてある。一方に於ては生物学と心理学、他方に於ては社会学によりて必要なる与件を呈供せられ、而して吾人は此等の与件よりして、生存条件の実現を保証し、総ての人々に生活目的の自由追求、個人並に社会に生存及ひ発達を確保するには、人類の行為は如何なる規範に従はねはならぬかを演繹することか出来るのてある。されは倫理的必然と同しく法律的必然の基礎も亦適応の理法、即ち生物の最高理法に在るのてある(p117)。

中期
大正デモクラシーの風潮の中で積極的に社会問題論を展開している時期(1914年〜1922年の大原社研辞職〜1925年の京大辞職まで)
・米田庄太郎『現代人心理と現代文化』弘文堂書房、1919年。
・純正社会学の対象=心と心の相互作用

今余の今日までに到達したる見解によれば、社会現象をほかの種々の現象より先づ区別するものは、夫れが心と心の相互関係或は相互作用に基づいて発生し変動するものであると云ふことである。(序p2)

この見解について、米田は「詳しくは遠からず公にせんとする拙著「社会学新体系」(七巻)第二巻に於て論述する考へである」と述べている(序p3)。しかしこれは出版されなかった。


・米田庄太郎(談)「科学の破産(上・下)」『大阪毎日新聞』(1919年7月28日〜29日)
ユークリッド幾何学が登場したこと、ニュートン力学・熱力学について「あれ丈ではとても、物理現象の説明は出来ぬと、物理学者の胸中には不安の雲が往来して居るのは、争はれない事実である」(上)。

だから偉さうにエネルギー恒存の説を担いで見たつて、つまる処今までの経験の決算書に過ぎないし又電子説をば、いかに新しがちて後生大事に守らうとしても、先は見えて居る。何故と云つて大海原に漂ふ浮舟の様な、吾等の五官に映るものを機能したまでだもの。〔中略〕約て云へば、科学の破産は真理とか法則とかを、極めて静的に解した処に在る、少しも動きの取れないやうに考へたらか、ちつとも手も足も出なくなつて了つたのだ。
(下)

そのため今後の科学は「統一の原理の如きものをば、動的なものと考へれば宜しからう」。
⇒論文「ミルの社会学概念」
・米田庄太郎『現代社会問題の社会学的考察』弘文堂書房、1921年
第5章「現代哲学と資本主義精神」で、マッハ、アヴェナリウス、オストワルドを取り上げている。資本主義精神が哲学における認識論の隆盛を招いたこと、その典型がプラグマティズムや「思惟経済の原理」であること、など。エネルゲティークは思惟経済の原理の具体的実践例として言及されるが、いかなる思想がその原理に適うのかについて何らの標準も提供していない、とやや留保が付けられる(p227.だからこそ米田は新カント派の価値哲学を重視したのだろう)。
・現代文化は資本主義文化である:一切を貨幣に還元し利益の最大化を図ることと、その手段としての「経済合理主義」(p204)
経済合理主義の具体的手段として(1)事実や現象、個体を注視する実証主義(p205−6) (2)生活の手段として、すべての観念を「最少努力の原則に従」い整理する(p207)
(2)の側面に関連して、「理論或は真理の自己価値を認めず、其の価値を只実際的結果のみから引き出さんとする」プラグマチズムの隆盛が哲学において生じている(p214)。→プラグマチズムと同様に資本主義精神を発揮しているのが、マッハ、アヴェナリウス、オストワルドらの認識論(p217)
・マッハの認識論
知識や認識は適応の一形式であり、自然淘汰説が適用される。

先づマツハの論ずる処によれば、総て生命なるものは有機体が其の圏境に対して、自己を保存せんと努力する一の過程である。而して知識とはつまり此の生物の自己保存を、直接又は間接に促進する経験である。此くて人間の思想は生命或は生活の表現であるから、此処にダーウインの淘汰的適応説は当然適用されるのである。
夫れ進化の最低段階にありては認識すると云ふことは、つまり只生活条件に最ともよく適応する目的の為めに、吾人の意識に於て自然過程が本能的に捺印されることを意味するだけである。併し此の目的が吾人に意識さるるや、認識過程も亦意識的及び合目的に遂行され、而して真理の標準は生活或は事実に適応すると云ふことに於て発見されてくる。〔中略〕而して吾人が此等の認識的行動を敢て為すのは、是れつまり思想を調和し、節約し、組織す可く吾人に迫る一の生物学的欲望に基因するのである。されば吾人の認識的行動の出発点は欲望にして、其の目的は生活保持、又其手段は経済(最少努力)である。(p217-218)

オストワルトのエネルゲティクと思惟経済

併しオストワルトは其のエネルゲチクに於て、思惟経済の原理を最とも徹底的に展開して居ると思はれる。今オストワルトは一切の感覚(運動、光、其他)をエネルギーとして観念し、其の転換を公式に於て表はして居る。而して彼の考ふる処によれば、一切の人間的行動の内容は自然のエネルギーを獲得して、之を特殊なる人間的目的に転換することに於て成立する。されば文化的仕事の全体は、つまり利用し得可き自然のエネルギーの分量を増加せんとする努力、或は財貨関係を改善せんとする努力に外ならぬと云ふことが出来る。(p221)

法律、国家などすべての社会制度の目的として、エネルギーの「合目的なる利用」がある(p222)

彼〔オストワルト〕にありては〔マッハと同様に〕科学とはつまり組織されたる、即ち出来るだけ単純な、又見渡し得られる形式に作り上げられたる経験に外ならぬ。科学は出来るだけ少なき労費を以て、事実の出来るだけ充分なる智識及び予見の取得を媒介するものである。科学はつまり組織的予言の技術である。而して茲に科学の重要が認められるのである。(p224-225)

人間とは独立に存在する「不可知の絶対的世界」(p223)を否定し思考経済=適応という目的概念と科学を結びつけたマッハについて、米田は工場労働者が機械の部品になることを懸念する人に似ている、という。

却説以上述べ来りし処によりて、吾人はマツハにありても亦オストワルトにありても、事実及び経験の勢力が小さき人間精神を圧倒する傾向が、大いに強調されて居ることを見るが、彼等は経済のあらゆる手段によりて、人間精神をして其の生産物たる科学を支配する力を、失なはせまいと勉めて居るのである。而して此点に関する彼等の心配は、資本主義的人間が器械に対して抱く心配、即ち器械によりて圧倒されることを恐れる心配と大いに類似して居る。(p226)


後期
京大辞職(1925年)後
・米田庄太郎「ミルの社会学概念」『経済論叢』24巻3号(1927年)。
英米における社会学の実質的創始者としてのJ.S.ミル、という位置づけ。
⇒米田自身との類似性を重点的に取り上げている。
特に注目する点:ミルは社会学と自然科学(因果的必然性を明らかにする)の違いに気づいていた。

さればミルの此の考へを論理的に推しつめて行くと、社会学は一の自然科学的科学であるとして学問論的に規定されても、夫れが真実に自然科学的科学として実質的に建設されることは甚だ困難であること、或は殆んど不可能であることとなる。(p30-31)

社会学は必然性を明らかにする自然科学ではなく、志向性を明らかにする文化科学である。

そうして余は現実態或は経験或は事実或は現象の因果的連結の必然性を究明することを自然科学の本質と見るに対して、現実態或は経験或は事実或は現象の志向的連結の可能性を究明することを本質とする文化科学なる新しき科学部類を設定したいと思ふ。(p31)

・米田庄太郎「マールクスの認識論原理(フォイエルバッハに關するテーゼンに於ける)」『經濟論叢』38巻1号(1934年)。
人間精神の能動性を重視する認識論によって唯物論を変革した思想家としてマルクスを読み直す試み。←レーニン以降のマルクス主義マルクス哲学を切り離す試みでもある。

そうして私は哲学史上に於けるマールクス特有の意義は、即ち其の唯物論と能動主義或は活動主義とを結合し融合せんとした点に於て、認めらる可きものと考へて居る。〔中略〕そうしてマールクスが千八百四十五年頃から新たに建設せんと企だて始めた彼独特の哲学の根本的主旨は、活動主義を観念論から学び、しかも之を観念論から切り離して、唯物論に結び附けることであつたと云ふことは、上に述べし第一テーゼの中にも明かに指示されて居ると思はれるので、彼は其の中に「されば活動的方面は唯物論と反対に、抽象的に観念論によりて発展されたのである」と云ふて居るのである。(p45)

マルクスの思想を
(1)「知識及び科学は如何に重大なる夫れ自身価値を具有するにせよ、決して絶対的な終極な目的ではなく、つまりは文化理念及び人類理念を目標として、個人及び社会的生活を合目的に形成する一の手段に外ならないものと見る」活動主義akitivismus(p52)
(2)「現実態の一種或は現実態一般は一の実体的、静在的存在に於て存立するのでなく活動に於て、生成に於て、流動に於て、過程に於て成立するものと見る」生成主義aktualismus(p52-53)
(3)「知識及び学問一般を生活或は生命、行為、実践と直接に結び附け、一切の思惟及び認識を何れかの目的に向けられ、即ち実践や行為の目的に又思惟其物の目的にも向けられ、関心、欲望、意志傾向等に源を発するものとして考察」する実際主義pragmatismus(53-54)
以上の3点の結合体とみなす。同じようにこの3点が結合した思想家として、フィヒテニーチェベルグソン、シラー、ファイヒンガー、マッハ、オストヴァルトの名前を挙げる(p54-55)。⇒オストヴァルト論からの連続性
マルクスを嚆矢とする「人間の認識論的活動性、能動性の究明」を、プロレタリアートにのみ妥当するものとして考えるべきではないと主張(p62)。

併し世界観としての哲学は、只人間の一部分、(タトヒ比較的により大なる部分であるにせよ)に対しての問題であるだけでなく、人間全体に対する問題であると考へるに於ては、吾々は到底人間の認識論的能動性の究明をもマールクスの止めた点で止めることが出来ず、更に夫れ以上に推し進めて行かざるを得ないと思はれる。そうして夫れ以上に推し進めて行くと、現実なる人間は認識論的考察に於ても、本来只感性的存在であるに止まると見るのは偏見であつて、其の感性的存在の奥底に、或は其の感性的存在と相伴ふて、人間の精神的存在をも認めなければならいと思はれる。(p62)

「第三史観」論
・米田庄太郎「第三史観の概念(上・下)」『経済論叢』40巻2号・3号(1935年)
高田保馬の「第三史観」論(『階級及第三史観』1925年)に対して、米田自身の「第三史観」を提示。
第一史観:観念論的史観
第二史観:唯物論的史観
第三史観(高田):「唯物史観の新しき一形態としての社会学的史観」(上・6頁)
第三史観(米田):第一史観と第二史観を総合したもの。

然るに私は〔第一〜第三史観を時間的前後関係と解した〕高田博士とは異なり、第三史観の概念を厳密な論理的意味に解し、第三史観とは普通に哲学上相対立する根本的二方針と認められて居る観念論と唯物論とを論理的に綜合する処の、そうして私の立場からは、哲学の最高唯一の方針としての第三方針と思はれるものに基き、観念論的方針に基いて建設されたる観念史観全体、及び唯物論的方針に基いて建設されたる唯物史観全体を論理的に根本的に総合する史観、かくて私自身の立場からは、最高唯一の史観と認めらる可きものを意味すると解するのである。(上・18頁)

哲学化された科学に基づく史観

自分の史観は何等の哲学的方針或は立場をも前定して居るものでなく、全く一定の科学の理論を基礎として建設されて居るものであるが故に、夫れは一の科学的史観であると云ふ様に考へて居る人々があるが、併し学問論的に詳しく吟味して見ると、其の一定の科学の理論なるものは純粋な科学的理論ではなくして、潜かに哲学化されたものであること、又は夫れは純粋な科学的理論であるとしても、史観の根本的原理として運用される場合には、潜かに哲学化されて居るものであることが、発見されると思はれるのである。(下・49-50)

・米田庄太郎「第三史観の可能性(上・下)」『経済論叢』40巻5号・6号(1935年)
物質と精神の一方が根本的で、他方が派生的であるとする見解を米田はとらない。

要するに私は弁証法唯物論は、物質の原本性及び自己運動性を主張する点に於て正当であると認めるが、併し物質は精神を産出すると主張する点に於ては、弁証法唯物論其物の認識論的原理、即ち真理は只実践即ち実験及び産業によりてのみ証明されるものであると云ふ原理によりて、其の主張は一の独断的なものであるとして排斥せんとするのである。(上・12頁)

さりとて物心二元論はとらない(「第三世界観的人格典型」)
物質の自己運動性=エネルギー論?
・智識が増大するにつれてその組み合わせも増大し、世界観は多様になるはずであるが、実際はそうなっていない。
時代精神や民族・職業などによって規定される「世界観的人格典型」が、個人の恣意としてではなく客観的なものとして存在し、それによって世界観が決定されるから。その「世界観的人格典型」によって観念論・唯物論の根本区別が生じる。
⇒しかし、観念論と唯物論のほかにいかなる方針もないと見るのは妥当ではなく、「哲学の第三根本方針」が存在する、という。(p59)
・米田庄太郎「第三世界観的人格典型」『経済論叢』41巻2号(1935年)
「広い意味での」哲学の第三方針をとった人物として、スピノザシェリング、スペンサーを挙げる。スピノザシェリングは物質と精神の並行関係を認めるが、結局は精神的なものをより重視している、と批判。スペンサーは物質と精神の両者に共通する根本的存在を指摘するが、こちらはより
多く物質的なものを重視している、と批判。

とにかく以上述べし処によりて、近世哲学史上に於ては第三根本方針は形式的には発展されて居るが、併し実質的には、結局は観念論か又は唯物論かに、より多く傾くことによりて、厳密にはまだ大成されて居ないことを指示したと思ふ。(p48)

京大の同僚である西田哲学との関連?

却説私は現代哲学に於ては、先づ生命哲学或は生の哲学に就て、第三根本方針の問題から考察したる後、更に現象学的哲学と生命哲学とを融合する最新の哲学の発達を、特にマック・シエラー及びハイデッガーの哲学に就て、やはり第三根本方針の問題から見て考察し、終りに我日本民族が現代哲学に貢献しつつある処の、少なくも今日までの処では、唯一の偉大なる哲学と認められて居る、畏友西田幾多郎博士の「西田哲学」を考察したいつもりであつたが、最早予定の紙面が残り少なくなつたから、他日の機会に譲りたいと思ふ。(p54)

社会学と社会哲学

抑々哲学専攻者でない私が、かかる哲学上の重大な問題を呈出するに至つたのは、勿論哲学其物の研究上からではなく、私の社会学方法論上からである。〔中略〕然るに今社会哲学或は歴史哲学の建設に於て、最も根本的な一問題となるのは、社会生活に於ける精神的因素と物質的因素との関係である。そうして物質的因素を精神的因素に還元して社会生活を究明し評価せんとする観念論的社会哲学或は歴史哲学(観念史観)も、亦精神的因素を物質的因素に還元して社会生活を究明し評価せんとする唯物論的社会哲学或は歴史哲学(唯物史観)も、共に私の社会哲学或は歴史哲学的要求を満足させることが出来ないが為めに私は其等の両因素は何れも他に還元されない、夫れ夫れ独立なものであると同時に、甚だ密接に相互的に作用し合ふものであると考へるに至つたのである。併し両因素は何れも他に還元されない独立なものであるとしても、密接に相互的に作用し合ふものである以上、根本的には両因素を総合する根源的な或物が存在すると、認めなければならない。換言すれば、両因素は根源的な唯一真実在の根本的分化にして、かくて密接に相互的に作用し合ふのであると考へざるを得ない。是れ即ち私の第三史観の根本思想であるのである。(p57)

新しい史観は新しい人格を伴う。

観念論的方針がつまりは観念論的人格典型を基礎として可能であり、又唯物論的方針がつまりは唯物論的人格典型を基礎として可能であるが如くに、第三根本方針もつまりは第三世界観的人格典型を基礎として可能であると考へるのである。(p57―58)