国体と社会―遠藤隆吉

社会学史的位置
・総合社会学と純粋社会学の分離に貢献(米田以上に)
高田保馬「「社会学原理」の前後」日本社会学会編『社会学』第8号(岩波書店、1941年)。
ギッディングス―ジンメルによって「社会の還元すべからざる事実」を扱う純粋社会学と、それの分化として社会現象を包括的に扱う総合社会学の分離が生じたことについて。

恩師米田博士は大体に於てこの還元すべからざる事実を研究するものを純粋社会学となし、それに従属する、謂はば総合的な部分を具体的乃至総合社会学として樹立せられました。遠藤博士は、社会学を還元すべからざる事実を研究する一つの学問として、その総合的な部分を捨てられたと存じて居ります。私は結局この後の方針を進みまして、社会学は社会諸科学の総合たる部分をもたず、それ自体特有なる対象を持つ学問であると思つた。〔中略〕斯う考へます理由は一に諸社会現象をもつてこの還元すべからざる事実の分化乃至分化形態とは見ないといふ一点に存するのであります。(p52)

こうした遠藤への評価は、↓にあるような見方とは対比的。
・総合社会学への郷愁
清水幾多郎『社会学入門』(光文社、1959年)
1928年〜31年ごろの日本社会学会例会で遠藤が報告したときのこと。

そのうち、報告が終わって雑談ということになった。雑談の途中で、博士は、誰に言うともなく、ひとりごとのような調子でこう言った。「昔の総合的歴史哲学的社会学というやつ、あれはあれで、なかなか良いものだと思うな。」
この言葉が博士の口から出た途端に、出席者は、みな腹を抱えて笑った。〔中略〕博士自身も、仕方なさそうに、みずから笑いの仲間にはいった。(p104-105)

その笑いには、すでに社会学の現役ではない世捨人のような博士の非常識に対する嘲笑が含まれていた。けれども、誰かが博士に向かって、
「なぜ、なかなか良いもの、と先生はおっしゃるのでしょうか。」
と丁寧に質問すべきなのであった。もし、そういうまじめな質問が誰かの口から出て、博士がこれに同じくまじめに答えたなら、あの夜、日本の社会学は小さくない前進を遂げたのだと思う。(p106)


・遠藤の到達点――血と民族によって「社会化」された個人の創出
遠藤隆吉「社会学の学的及び社会的実現」日本社会学会編『社会学』第8号(岩波書店、1941年)。
一人でも「ソシアル」

兎に角社会と云ふと全体的であり、倫理的であり、殊に団体的であると云ふ、さう云ふ観念が起つて来ると云ふことは当然なわけであります。私は近頃になつて斯う云ふことを考へてゐる。昔は意志結合の説を考へたものでありました。その後私は最近になりまして斯う云ふ工合に考へてゐる。人間の行動と云ふものは、外の人と結合することによつて初めて社会と云ふ意味を帯びて来るのではない、人の結合によつて社会的の性質を帯びるんぢやない。大概は二人以上の人が結合して社会と云ふやうなものになるんだと云ふのですが、私なんかさうは思はない。人間の精神的現象と云ふものは、皆これは始めからソシアルなものである。斯様に自分では今日では考へてゐるものであります。それであるから何を人間が云ふにしても、何を人間が行ふにしても、一人で行つても、外の人が共鳴すると否は問はない。その人一人であつても、そこに人間のやつたことであると云ふと必ずソシアルと云ふ、社会的と云ふ字が存在して来るんだと、さう云ふ風に自分では思つて居ります。(p41-42)

血と民族―新体制運動の社会学的根拠づけ

是は内部的感情と云ふものが果して社会主義であるか、社会の為と云ふことであるか、或は個人主義と云ふものが深くにあるんぢやないか、是は随分問題になることと思ふのであるが、哲学としては余程是は重大問題であるけれども、兎に角ナチの哲学は、インナーの人の感情と云ふものは血を愛する、それまではいゝけれども、それから直ちに進んで民族を愛する、それから国民を愛すると言つてしまふ。それだから社会主義であるんだと斯う言つてしまふ。〔中略〕是は哲学問題としては非常に考ふべき問題だと思ふ。兎に角私を捨てて公に報ずると云ふ一致したところがあります。ナチに於てはそれ丈けの哲学があるけれども、日本の新体制に於てはそれ丈けの哲学を作つてゐるものがない。がとにかく新体制と云ふことが、ドイツのナチの哲学と一脈相通ずる、私を捨て、公に報ずる、国家の為と云ふことを考へると云ふ点に於ては、やはり社会学的な考であらうと思ふ。(p44)

「人格と尊重」と「社会正義」

近衛君がこの前に社会正義と云ふことを言つてゐる。あれが社会正義と云ふことを言つたのは、歴代の総理の中で異色のあるものだと思ひます。〔中略〕社会正義と云ふ以上は、一切社会そのものに立脚しなければならぬ。どんな人間でも一様に之を尊重すると云ふ意味がその中に包含されてゐる。社会的に正しくなければならないことだから、それは国家的に階級とか何とか云ふものが社会的に正しくなければいかんのであります。余程意味深重なところがあつて愉快であつたと思ふ。それもやはり一つの社会学の実現だと思ふ。(p46)

参考:遠藤『社会』(1914年)
「団体といふ観念は漠然ながら夫婦の胸中に生じ夫婦の行動を司配しつつあるとは恰も社会といふ観念が各個人を支配し、之をしてソシウスたらしむるが如し」(p110)


・心理学的社会学
・「社会」のあいまいさの自覚と「社会力」という社会学の対象

社会を研究せんとするは余りに漠然たる対象を捉へ来るの感あり。〔中略〕社会学を論ぜんとして人間集合団体を対象とせんとするは言ふ迄もなく、社会なる語が直ちに人間の集合団体を示す者と見れば、則ち殊更に社会なる概念を分析するには及ばざるべし。若し強ひて之を分析し組織せんとするときは其知識たるや単に常識を整理したるに外ならず。客観的に外部に向つて新しき真理を得たるものに非るなり。
然るに吾人の観る所を以てすれば則ち、社会学の中心問題は実に社会力に存す。社会力以外に於て社会学の研究すべきもの無しとすれば則ち社会の始原を論究せんとするが如きも亦唯々社会力の発生を研究せんとするがために外ならず。(『社会力』1916年、p85-86)

・社会有機体説批判と心理学的社会学―自然史と社会史

社会有機体なる幼稚なる説は一千八百九十七年巴里に於て開かれたる万国社会学会に於て多くの学者によりて否認せられ、今や全く学者の書中より排斥せられたり。〔中略〕社会は外より之を観れば人の集合なれども其精髄は精神的にして個人の交通に外ならざるなり。(「社会史論」1905、p16)

自然世界に於ては一現象に就て数多の原因を発見することを得〔中略〕終には窮極する所なかるべし(「社会史論」p39)

然るに社会上の現象は皆人の行為なり。人の行為としては動機によりて先き立たれざる可らず。人間は無意味に行動するものにあらず。其の因りて起る所の動機是れ即ち原因なり。自己は之を以て原因となしつつあるなり。斯の如き場合に於ては現象の現認は判然として疑ふ可らざるなり。斯の如き範囲に於て原因なる語は最も正確なる意味に於て歴史現象の上に応用せらるるなり。(「社会史論」p40)

社会は「有機体」ではないが、「有機的」ではある(結合の学としての社会学)

世に社会の本質を以て有機的と為す者あり。吾人は社会有機体説を以て極めて愚なるものと為し、嘗て『近世社会学』に於て之を批評せしことあるも、而も其有機的なることに至りては則ち之を容さざるを得ず。社会が有機的なりと云ふは、即ち一人の行動が更に他の人に影響することにして、即ち所謂社会的進動の結果に外ならず。(『社会力』1916、p87)

意志結合こそが社会の還元不可能な要素

意志結合の複雑せる、是れ社会なり。〔中略〕意志結合の行はるるや、個人は影響を相ひ為し、為に精神の類似を来す者なり。之がために人の集合する所自ら一種の精神的模型あり。此模型は時代に随て異なる。此の模型の変遷を研究するは社会史の目的なり。(「社会史論」、p16-17)

・意志結合から「社会力」(=同類意識・強制力)へ(1910年代)

社会は社会力によりて統一せらる。社会力は物理力、精神力等に対する語なり。社会の中に於てのみ発見せらるるものにして多数人の意志の結合より生じたるものなり。所謂社会的産物に潜在するものなり。社会的産物は言語、学問、風俗等の如く凡て多数人の精神結合の結果なり。此の如き結果は社会力を伴ひ、個人はこれによりて拘束せられ、余儀なくせらる。(『社会』1914年、p102)

教育は社会力をつくるもの(社会的結合の原因かつ結果としての社会力)

即ち教育は社会に於ける最も根本的なる社会力を授け社会の人と共通なる将又普遍的なる意味を有するに至らしむるものなり。見よ彼の学科目を、何れも数百千年を経て発達し来れる社会的産物にして社会力にあらざるなきを。
(『社会力』1916年、p38)


・国家と社会
・「国家論」(1905年)におけるメインモチーフ:国家と社会の領域確定と、相互の自立性

或は曰ふ。国家は女を変じて男となすの外一切をなし得べしと。然れども一切人民に付て一切の自由を束縛するとは出来得可らざるなり。之れ常識ある者の一考して明かなる所なり。果して然らば則ち国家組織が社会の全般を蔽ひ国家即社会たること固より出来得可らざるなり。(p49-50)

国家=主権と、社会=倫理道徳は、いずれも心理的結合によって作られるが、結合の仕方が異なる。その違いが国家と社会の領域の違いとなる。
国家=主権:「政治は社会の安寧幸福を増進せんとする主権者の自由意志的進動なり」(p12)「主権は自由意志を中心として結合せる意志なり」(p13)「つまり、
(1)主権とは主権者の自由意志である(主権の至高性を「主権者の自由意志」として表現)
(2)主権は人民が主権者に対して「信頼」「習慣(=習慣化された信頼)」「正義」という三種類の観念を投影することによって維持される(主権の維持には、人民に「忠を教ふるの必要」p16がある)
(3)主権は社会の産物ではなく、主権者の自由意思の産物であり、「社会を統御するための組織即ち国家」を編成する。「国家機関は社会的産物に非らずして主権者の意志より出でたる人為的産物なり」(p34)
社会:さまざな意志結合の相対。主権はそのなかのひとつ。

権力の方面に於ての意志結合は社会の心理作用の一なり。都会をなすも意志結合なり。倫理習慣に従ふも意志結合なり。朋友と交際するも意志結合なり。同志相糾合するも意志結合なり。斯く諸種の方面に於て意志結合あるは社会の組織せらるる所以なり。之を社会心理となす。〔中略〕故に社会の成立するは全く心理作用なり。主権は其中の一なるのみ。(p43-44)

前国家的な領域(社会)において存在する自由。

憲法に結社、印行、信仰の自由を有すとあるを以て個人が是れ等の行為をなすには一に此条文によりて催がされたる者となすは大なる誤なり。(46-47)

国家の一員としての個人は其半面に外ならず。換言すれば国家は個人の半面を以て組織せられたる団体に外ならざるなり。社会に於る此秩序は社会の平安に欠く可らざる者なり。故に小社会の合併して以来、国家組織を有せざる社会あらざるなり。個人は此組織をなすと同時に一面に於ては自由意志を以て種々の行為をなしつつあり。俗に所謂社会現象是れなり。此社会現象は前述せる種々の意志結合なり。(p48-49)

・『社会』(1914年)におけるモチーフ:強制力としての国家
背景としての第一次大戦
第一次世界大戦について意外に感じたこと「実に欧州人の戦争をなせると其事なり」(p80)。軍備拡張をしていることは知っていたが、「彼我の国情も亦明かなるとて負くる戦争するは気遣ひなく、戦争が起らんとしても経済力や武備の比較にて直ちに落着し、実際に於て血の川を流し屍の山を築くが如き非文明的の事は万が一にも之をなさざるべしとは邦人の多くが夢想する所なりき」(同)。
「此度の戦争に由りて国民の受たる大なる教訓は種々あるべきもその中に就いて特に注意すべきもの二あり。一は共和政下の兵士の惰弱なると是れなり。一は個人を保護する者は国家にして国家は社会的自然の結合を以て基礎となすといふと是れなり」(p81)
国家とは「是れ全く同一人種、同一歴史、同一政府、同一習慣といふが如き社会自然の事情に本づいて起り来れる者にして如何に国家を愛するが自然の人情なるかを知るべし」(p84)。「社会史を研究してふ伴〔ママ〕唯一の結論は国家主義是れなりと謂はざるべからず」(p159)「日本が大和民族を以て中心とするか如きは、国家の中堅としてこれほど強いものはない」(p258)
・『国体論』(1923年)におけるモチーフ:「日本社会の統一=日本の国体」の実証とデモクラシーへの批判的応答

国家は人為的なり。社会は自然的なり。国家には臣民といひ。社会には乃ち人民といふ。臣民は主権のために拘束せらるれども人民としては乃ち社会力のために余儀なくせらる。
国家は社会の内に在り。国家を知らんとすれば則ち社会を知らざるべからず。国家と社会との別は困難なる問題の一なれども余は国家を以て機能的団体の一種となりとす。個人より言へば国家の臣民にして同時に社会の人民なり。〔中略〕今日本の社会を論ぜんとするは乃ち日本社会の統一せらるる所以を述るものにして是れ亦日本国体の一方面を示めす者といふべきなり。(p12)

「国体」の具体的内容:「正義人道の命令のままに活動し、毫も人為的なる臭味を交へざるは吾が国政体の特色なり。政治人道は世界自然の標準なり」(p123)
・デモクラシーと国体の関係について
デモクラシーの受容に際して「広汎なる国体観念」=「君民同治正義人道」を標準とする必要(p214)

社会は正義人道に従ひ自然に活動すといふと雖も「当然」の人が命令を発するにあらざれば何等の規律もなきに至るべし。日本に於ては天皇を以て其の人となす。(p98)

世人或は天皇が衆議を容れさせ給ふ古来の習慣を見て直ちにデモクラシーなりと論断せんとすれども、此の如きはデモクラシーの字義を誤解したる者といふべし。デモクラシーは政治上の古義に於ては貴族又は君主に対する平民の政治なり。近世的意味に於ては各人平等の権利なり。最も哲学的なる意味に於ては各人の自由平等なり。此れ以外デモクラシーの思想なし。(p101-102)

あくまでデモクラシーは「経済的・人格的平等の要求」という「最近の現象」として解釈すべきで、明治天皇の御誓文(=政治参加という意味でのデモクラシー)も「政治の誤りなきを期せられたるのみ」(p107)。
参考:遠藤隆吉「普通選挙に就いて」永井柳太郎編『識者の見たる普通選挙』(岡千代彦、1921年)
普通選挙を肯定する立場から、それが実現した暁には選挙権は「権利」ではなく「言はば年中行事の一つとでもいふべきもの」になるという(p211)
正月に門松を立てるという習慣があるからこそ、「天照大神を祭るのは日本の祖神を祭るのだ云々」と聞いたとき「なるほど」と思われる。それによって日本の民心は統一される。

今選挙権も之れと同じであります。人間として生れたる以上は此社会を双肩に担はなければならない。其れには私情を立つて公平に社会のためを計らなければならないが適当の人物を選ぶといふことも亦其の一つであるのであります。即ち選挙といふことは重要なる一の公的行動であるのであります。之を一家に就いて見るに家のために種々努力するのは権利ではありません。寧ろ義務であります。其れのみならず、寧ろ一個の習慣であります。(p213)

デモクラシーによって形成される日本社会の統一。 
・背景としての米騒動・労働問題
・日本人の「社会性」欠如

日本は凡ての点に於て個人主義を発揮しつつあるを見る。日本は個人主義なると同時に家族主義なり。西洋は個人主義の甚だしき者なりと称せらる。然るに他の一面には極めて社会的なる所あり。個人主義的なる部分が東西同からざるものあるなり。日本に於ては「人を見たら泥棒と思へ」といふ。汽車中に於ても各自此の訓言を守り、虎視眈々として一隅に割拠し、相ひ譲らず。個人主義の最も完全なる発揮と謂ふべきなり。西洋人は乃ち汽車を以て家となし談笑して以て其の日を送る。〔中略〕要するに個人主義は日本人を司配しつつある一大社会力なりと謂ふべきなり。(p153-154)

こうした個人主義を克服し、健全な社会的結合を生み出す核になるのは何か⇒中産階級
米騒動を端緒として中産階級論に取り組む(付録「国体と中産党」)。

大和魂を維持する者は詰り中産階級である。彼等は〔米騒動の〕騒乱に就ては眉を顰めて居る。日本国家の将来を慮て居る。中産階級と云ふのは収入の多少にも関係はあるけれどもそれ許りではない。即ちカルチユアーに在るのである。中産階級が眉を顰めると云ふことに於て社会は維持されて居るのである。此の心持が即ち国家を維持する中心である。(p269)

その行いによって風俗を乱す富豪と、「大なる会社に属して労働問題と云ふ保護の下に其の生活を安全にするを得て居る」労働者への批判(p262)、そして生活苦のために精神を退行させ、米騒動を煽動するかのごとき言動をとる一部中産階級への批判(p269-270)
中産階級生活保護のため「中産党」の組織を求める(遠藤の数少ない政治的発言)。


・議会や政党が示す「多数」と社会力の区別
社会力=同類意識・習慣の力であり、政治的な力も社会力を根底に有している。遠藤の反政党的態度、政治の継続性を重視するスタンスはこの考えと無関係ではない。

故に内閣を継承するは施政の潮流を継承するものなり。善にまれ悪にまれ之を承知し居る者と見ざる可からず。故に前内閣のなせることに対しても之が改良の法を講ぜざる以上は其の責任を免るること能はず。〔中略〕此の施政の向勢こそ実に社会力の一種なりといふべけれ。(『社会』1914)

会心理の反映たる国家と「単なる多数」に過ぎない議会との峻別

権力其者は常に心理作用によりて成立し、而して国家の活動も亦社会心理作用によりて影響せられつつあるなり。(同p324)

更に他の一面より考ふれば国家其者の内部に於ても複雑なる心理作用の存在するあり。従つて国家内部の心理作用を精密に研究する時は所謂国家の機関なるものは皆一の心理作用に外ならざることを発見す。議会は議決する所ありと雖も単に多数の議決に過ぎず。凡て国家の機関は機関としての心理作用を有するものにして此等は充分研究する時は即ち社会心理の一部分をなす者なり。国家の行動は法律となりて表るるものなるが其法律は社会の習慣を参考として生じたるものにして法律は単に拘束と人為的修作とを加ふるに過ぎず。(同p325―326)

「政党の如きも亦社会人心の需要を以て其の基礎となす」(『社会力』1916、p201)ものであるが、現在のあり方はそれからかけ離れている。また、行政と立法によって生まれる「政治の潮流」は人心の帰向を定め、社会力を生み出すが、政党はそのような役割を果たしていない。

政治は如何なることを指すかと云ふに其の時と処とに於て国民福利を増進する所以の作用に外ならず。或は民間の一個人として之を実行することもあり、又或は政府の当局者として之を実行することもあり。〔中略〕然るにこれを実現せんとして努力するもの動もすれば単に団結を造りて以て私をなさんとす。名けて政党と云ふ。政党の弊や大なり。蓋し政治上の主義を立てて以て輿論を定むるは政治家の大事業なりと雖も、政府当局者として国民福利を増進せんが為め、或は外交に或は内務に臨機応変の処置を取るも亦政治と云ふべきなり。即ち政治は国民福利を増進せんが為めに執る所の活動にして、之によりて以て社会人心の帰向する所を定め、所謂社会力を造るものなり。

明治以後に至り所謂政党の勃興するものあり。其初めに於ては何れも社会を指導し、人心を開発せんとするにあらざるはなし。是を以て天下靡然として之に応じ、忽ちにして尨然たる形態を取るに至れり。然れども因習の久しき所謂政党員なるものは主義の下に結合するにあらずして単に情弊の為に拘束せらるるに至れり。乃ち所謂朋党となり畢れり。然れども尚ほ多少世人の之に望を属する所以のものは其唱ふる所、時に或は社会を指導し人心を開発するに足るものあればなり。即ち政党員と雖も亦同じく社会人心の上に成立するや明かなり。(『社会力』1916、p202-203)

輿論が影響力をもつことは否定しないが、それと議会の多数とは別。

議会に於て多数を占めると云ふと輿論が何うだ斯うだと云ふけれども之れなどは極めて疑しい話である。議員を買収し一票の差を以ても輿論なりと言はんとするが如きは誠に困つたことである。けれども是〔輿論の政治に与える影響が増大しつつあること〕は別である。社会一般の輿論は次第々々に勢力を得て来るものである。輿論の去就と云ふことは余程影響を持つて来る。此の十年来最も著しくなつたやうに思はれる。(『国体論』1923年、p305)


・資本主義/社会分業/人格
『社会』(1914年)
人間の価値は「金の多寡」で測るものではないが、しかし「能力の上下」で測るものでもない。「人間は能力にはあらず、社会の内に於て生活するものなり。〔中略〕其の関係する所は極めて広し。其の各方面に亘りて洽充するにあらざれば則ち人物としての価値なかるべし」(p39)

現今人間の弊害は分業的に陶化せられ、其仕事と一致し了り更に人物らしき味を存せざるにあり。〔中略〕要するに今日は根本的の人物、人物らしき人物を産出せしむるの時にあらず。官の組織に於て然り、学校の教育に於て然り、社会の風潮に於て然り。此時に当り人物養成の根本義を立て、少数なりとも根本的なる人物を作り此気風を鼓吹したらんには我邦の幸福是れより大なるものなかるべし。(p96)

ここまで