大正期の社会と社会科学(4)

ところで、我々の関心の対象である「社会」は、その抽象性ゆえに実証主義的な手続きで研究を行うことが困難な代物です。社会はその誕生と消滅を外部の制度によって保障されておらず、また、社会それ自体を具体的な制度に還元することもできません。そうであるがゆえに「社会はあるとも言えるし、ないとも言える」という何も言ってないに等しい言明が通用してしまうわけです。
歴史学における「理論」の必要性とは、このような存在を取り扱うことにあると言えるでしょう。非研究者にとっては往々にして、実証主義になじみにくい存在のほうが重要であり、研究者がそれを放棄すれば、神話やイデオロギーによる解釈がそれを占領してしまう。戦後のドイツに現れた社会構造史学派が、社会全体の構造を解き明かすことと、歴史学における理論の重要性を強調したのも、大まかに言えばこのような問題関心に基づいています。

〔社会構造史学派の基本的な立場とは〕考察対象となる諸現象を、それが現実のどの個別領域に属するものであれ、つねに社会的要因もしくは社会経済的要因と結びつけること、そして歴史全体のなかで社会経済的要因が卓抜した影響力を保持しているという前提に立って考察することである。
―ユルゲン・コッカ『社会史とは何か』邦訳130頁―

社会構造史学派の代表的研究者であるコッカによると、社会全体の構造を扱う「社会史」が戦後ドイツで影響力を持つに至ったことには、次のような事情が関わっていました。第二次大戦の敗戦による国家への信頼失墜、社会学や経済学による計量分析の手法の発展、社会批判の雰囲気の醸成、現実を「社会」「利害」といったタームで理解することへの慣れ、等々。
コッカが「社会史」の実践例として名前を挙げているのは、ヴェーラー(独)、ホブズボウム(英)、ブローデル(仏)、C.テイリー(米)と多様であり、「学派」と呼べるほどの一体性をもっているのは微妙です。とはいえ、「折衷主義的アプローチ」が特徴であるとコッカ自身が述べているように、モデルと現実とのズレを、別のモデルを参照することによって柔軟に対処していこうとする方法に共通性があると言えるかもしれません。ここで言うモデルとは、1.史的唯物論 2.長期波動論 3.近代化論のことであり、パーソンズあるいはルーマンのシステム論には関心が向けられていないことに注意しておきましょう。
さて、これまで「社会」という言葉の使われ方に言及してきた我々としては、この社会構造史学派が積極的に「概念史」を取り上げてきたことは重要です。コッカはラインハルト・コゼレックの概念史を、意味論的歴史と社会史の橋渡しをするものであると評価していました。イッガース『ヨーロッパ歴史学の新潮流』では、コゼレックの概念史が言語の歴史ないし理念史とは異なり「概念をその社会的脈絡の中で把握する」ことに特徴があると述べています。
とはいえ、イッガースにとって概念史には概念と現実とを同一視するという難点を抱えたものでした。

なるほどコゼレックは、概念と歴史を同一視することには警告を発した。しかしながら彼は、当人自らが警告した危険、つまり歴史は「かつてそう考えられた」とおりが歴史なのであるという観念論的考え方のもつ危険からは、全面的には免れていないように思われる。
―ゲオルグ・G・イッガース『ヨーロッパ歴史学の新潮流』邦訳153〜154頁―

この点についてイッガースは明確な根拠を提示していません。とはいえ、以下で取り上げるルーマンのコゼレック批判を踏まえた上で考えると、おおむね妥当なものであったように思われます。ルーマンのコゼレック批判は、高橋徹『意味の歴史社会学』にわかりやすくまとめられているので、そちらを参照してみましょう。
コゼレックにとって「概念史」とは、その変化が政治や社会の変化に先だって起こるがゆえに「インディケーター」としての役割を果たすから重要なのであり、言語の変化は「社会的な体験空間の全体を変化させ」、未来を設計する概念の変化は「新たな期待地平を設定」するものでした。とはいえ、ルーマンの見るところでは、概念の変化と社会の変化が一応は関係づけられているものの、その関係についての厳密な理論が存在しないため、しばしば因果関係が曖昧になってしまうところに難点がありました。つまり、概念史によってフランス革命を説明すべきところを、フランス革命によって概念史を説明してしまう、という転倒が起ってしまうのです。
むろん、ルーマンは社会的政治的変化が概念史に影響を与えないと考えているわけではなく、概念の変化が社会を変化させ、変化した社会が概念を変化させ、それによって変化した概念が社会を・・・・・・というような「ウロボロスの蛇」モデルによって概念史と社会史を接合しなければならない、と考えているわけです。
このことを端的に表しているのが「国民国家」概念でしょう。何らかの共通性をもった人々が集まることによって国民国家が作られる、という考えは一般的ですが、実際には国民国家という概念が人々に浸透していく過程で共通性が作り上げられていくものです。そうして作られた共通性は国民国家を自然的な所与として認識させ、それによって更に共通性が強化され・・・・・・という循環が見られます。
この「ウロボロスの蛇」モデルについての詳細な議論は、次回以降に回すことにしましょう。

社会史とは何か―その方法と軌跡

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ヨーロッパ歴史学の新潮流

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