大正期の社会と社会科学(6)−社会科学者、相対性理論と出会う

社会や国家を論じるときには、自然科学のような厳密さをもって臨まなければならない。いや、むしろ、自然科学と同じ方法で社会や国家も論じなければならない――このような発想は、現在ではあまり人気がありませんが、少なくとも明治から大正にかけては常識的な考えでした。
たとえば福沢諭吉。たとえば加藤弘之。彼らは若年期に儒教的な教養を摂取し、成人後も議論の端々にその影響を見せながらも、一方で儒教から身を引き離すために自然科学をモデルとした「観察」と「実験」「事実」に基づいた議論の重要性を強調したのでした。ただ、こうして援用される自然科学の内容も流行があり、きわめて大雑把にいえば以下のようになるだろう、と私は見ています。


明治初期:物理学(ニュートン物理学)
明治中期〜大正初期:生物学(進化論)
大正後期:物理学(相対性理論)
昭和〜:生物学(DNA理論)


こんなに図式的に切断できるわけがない、というのは承知のうえで話を進めると、大正期において社会科学者が相対性理論を盛んに論じたのには理由があります。
1.単に相対性理論が有名になったから
アインシュタインが日本を訪れたのが1922年。その際にはまさに「ブーム」と呼ぶにふさわしいほど大量の「相対性理論」論が非アカデミズムでも生まれていますので、社会科学者もこのブームに便乗したという側面は否定できません。
2.当時の社会科学者の志向に、相対性理論が適合しているように見えた
当時の社会科学者は相対性理論のどの部分に注目したのか。おそらく現代でも大差ないと思うのですが、「不変だと思われていた時間や空間も相対的なものでしかない」という点と、「光速度は不変である」という点。前者を援用しつつ「あらゆるものは相対的である」と論じ、後者を援用しつつ「光速度のように絶対確実なものから出発すれば、議論の厳密さは保障される」と論じる。これが社会科学者の「相対性理論」論の典型的なパターンであると言えるでしょう。


目についた例をいくつか。
事例1.刑法学者の場合

「なに相対性原理?あんなものはわが輩がとっくの昔から唱えてきたものにすぎない。何を大騒ぎするのか!」
風早八十二「牧野法学への総批判(試論)・3」『法律時報』49巻10号、1977年、72頁。

発言時期は大正11年。発言者は当時の刑法学の大家・牧野英一。それを牧野の弟子である風早八十二が批判的に回想している、というのが引用部の内容です。
なぜ牧野は「相対性理論など昔から知っていた」と主張したのでしょうか。推測するほかありませんが、牧野が刑法から「正義」という絶対的尺度を追放し、社会の必要に応じて柔軟に運用すべきだと論じる社会法学のもっとも先鋭的な論者であったことと関係しているように思われます。要するに「時間や空間の相対性」(だけ)を「刑罰がもつ意味の歴史的相対性」を結びつけて理解しているわけです。
なんとなく地獄のミサワを想起してしまうのですが、牧野のようにあらゆる新発見を自説に引き寄せて解釈する人物がほかにいないわけではありません。というか、彼らは新事実の発見者というより、事実を分類し、事実の連なりに意味を見出す交通整理をもって自分の仕事だと考えていたのです。夜空を見上げて星座をつくった人は、たぶん彼らのような人だったのでしょう。


事例2.経済学者の場合

「政策は一定の目的に対して直線的に向へる一定の方向づけられたる内容なりとすれば、政策の相対論も特殊相対性原理に於ける光の速さにも比すべき何等かの極限概念なくしては、理論としては成立不可能である。斯かる極限概念は例えば経済生活に関する限り、限界効用の消滅であると思はれる。」
「社会政策学会第十六回大会記事」1923年(社会政策学会編『社会政策学会史料集成』別巻1、御茶の水書房、1978年、218頁)。

社会政策学会は今もありますが、当時は内務省の官僚をゲストに呼んだり報告者から政治家を輩出したりするほど影響力のある学会でした。そんな社会政策学会の第16回大会(大正11年12月開催)において、早稲田大学教授の二木保幾が「アインスタイン〔ママ〕相対性原理と社会政策上の概念」という報告を行っています。その一部を上に引用しました。
当時の哲学における流行思想・新カント主義と相対性理論の、コラボというか悪魔合体。新カント主義については何度か書いているのでそちらを参照していただくとして(たとえばhttp://d.hatena.ne.jp/tukinoha/20100630)、内容的にはかなり興味深いです。
第1に、認識の過程に「文化」や「価値」といった要素(=極限概念)がかかわる人文社会科学と、自然科学との峻別を強調する新カント主義が、「極限概念=光速のようなもの」と読み替えることで、両者の再接合が行われていること。
第2に、新カント主義を日本に導入した初期の論者が極限概念を徹底的に無内容なものに留めておいたのに対し(たとえば「美」という極限概念はあらゆる「美しいもの」とは独立に存在するとみなされる)、ここでは「限界効用の消滅」という具体的な内容をもっていること。
たとえるなら、初期の新カント主義が「この花をみて『美しい』と思うのは、人間があらかじめ『美』という極限概念をもっているからだ」と考えるのに対し、この時期には「この花をみて『美しい』と思うのは、人間があらかじめモネやゴッホの絵を美しいと感じるように作られているからだ」ということになるでしょう。モネやゴッホが極限概念、というわけですね。


そのほかの事例に関しては以下に詳しいのでご覧になることをお勧めします。

アインシュタイン・ショック〈1〉大正日本を揺がせた四十三日間 (岩波現代文庫)

アインシュタイン・ショック〈1〉大正日本を揺がせた四十三日間 (岩波現代文庫)

アインシュタイン・ショック〈2〉日本の文化と思想への衝撃 (岩波現代文庫)

アインシュタイン・ショック〈2〉日本の文化と思想への衝撃 (岩波現代文庫)