社会/国家/代表制

・09/11/10
今日は何度も「デウス・エクス・マキナ」という言葉を思い出した。現代人にとっては馬鹿馬鹿しく見えることでも、当事者にとっては、人間の力では解決不可能で、神の力を借りるしかない、と思うようなことがある。我々は神を持ち出すことの安易さを批判する前に、彼らの切迫感を理解しなくてはならない。
さて、大正期に主流であった「社会多元主義」が満州事変以後に「国家一元主義」へと飲み込まれていくのはなぜか、というのが最近の関心だが、それについて次のような仮説を立ててみた。社会内部におけるコンフリクトが、多元主義によっては解決不可能であると認識された結果、国家という全体性を持ち出すことで、コンフリクトの存在そのものを否認してしまうことに行き着いたのだ、と。ではどうして多元主義(それはリベラリズムと重なるところが多い)によって社会内部のコンフリクトが解決不可能であるとされたのだろうか。このことを突き詰めて考えれば、多元主義者たちが自説を曲げ、国家という、コンフリクトを「なかったこと」にしてしまえる一元的な神を持ち出した理由がわかるのではないか、という気がする。
おそらく、何に対する多元性なのか、という点をまず考えなくてはならないのだろう。利益の多元性は比較的簡単に成り立つが(経済成長によって資本家の利益と労働者の利益が両立されるように)、価値の多元性は相互に排斥しあうので難しい、という話を杉田敦さんが書いていたが、大正期の多元主義者は両者の違いを明確に認識していたのだろうか。価値の多元性を、利益の多元性へと還元しようとはしていなかったか。利益の多元性は、経済成長によってある程度実現可能なものであった。しかし、昭和恐慌による利害対立の顕在化と、そもそも視野に入っていなかった価値の多元性という問題は、国家という全体性に包摂することでしか解消されえなかったのではないだろうか。


・09/11/11
今日も大正期の多元主義についての文献を読んでいた。当然と言えば当然だけど、政治的多元主義の隘路として、社会分化によって切り離された個々人をどのようにして「代表」するかという点がネックになる。国家一元主義による硬直した官僚制は、階級分裂を起こした現状の反映にはなっていないし、個人の人格を尊重することもできない。そういう認識のもとに社会多元主義が出てくるわけだけど、地域コミュニティや労働団体といった集団でさえもその構成員を「代表」できないのだとしたら、個人と政治とを繋ぐ回路は断たれてしまうのではないだろうか。
1920年代の日本やイギリスの多元主義は、このような問題に悩んだ挙句、次のような結論をだす。人間を職業に還元する職能団体も、宗教に還元する教会も個人を代表することはできない。では逆に、既存の団体に個人を還元するのではなく、どこにも還元されない「個性」を基礎にした共同体があれば、その共同体こそが我々を代表してくれるのではないだろうか?と。
多元主義を通過したことで、国家は社会全体の利益を代表する能力を失うことになり、国家は社会の一機関と見なされるようになる。では、多様な集団によって構成される「社会」が全体の意志を確実に代表できるのかといえばそうでもなく、集団意志と個人の意志がすれ違うこともあるわけで、結局「社会」は個人のレベルまで解体されなくてはならない。でも、そうすると今度は個人がどうやって政治に自分の意志を反映させるのかという「代表」の問題が出てくるわけで、完全に自由な個人の意志を吸い上げて社会に反映させる集団が求められるようになる。
労働組合も、政党も、地域コミュニティも何も<私>を代表してくれない。それでも何らかの回路を見つけないと代表制が成り立たないので探してみたら、民族や神話に基づく無形の集団だけが残った。民族という同質性を基に、人々の自由な意思で設立されるその集団は、くり返し構成員に向けて「集団の意志とあなたの意志は一致していますよね?」と確認を求めてくる。ルソーの言葉を借りるなら、人々は「自由を強制される」。
結局のところファシズムは、「いかにして代表制に個々人の意志を反映させるか」という問題を考え続けた結果行き当たった隘路だったのではないだろうか。人々の個人的かつ自由な意思が、集団の意志として完全に反映されるユートピア。天国を作ろうと思ったら地獄になってしまった、という話がサガフロにあったけど、まさにそんな感じ。


・09/11/12
マックス・ウェーバーは「カリスマ的支配」が最も原始的な統治形態で、それは近代の官僚制支配にも組み込まれていると語っているが、それは技術的に直接民主制が可能になったとしても間接民主制(というか代表制)が必要とされ続けることと関係しているように思われる。
明治期において、天皇こそがこの社会の「最大優者」であり、資本家からも、労働者からも超絶した存在であるがゆえに彼らの両方を代表することができると考えられた。議会は未成熟で、貧民は自分たちの代表を議会に送ることができない。ゆえに議会は社会の一部分を代表するに留まり、天皇のように全体を代表することはできない、とされる。また、戦前における共産党員の「転向」は、個々の党員と党との即時性、つまり党が党員を代表するということへの疑いがそのきっかけとなった。そして転向した人々は、党という組織よりもむしろ天皇という個人こそが自分たちを代表してくれると考えた。代表制の危機においては、しばしばこのような倒錯が起る。
普通に考えれば、カリスマといっても単なる一個人でしかないわけで、その人物がなぜ社会全体を代表できるのかという疑問は残る。ただ、この「代表される人々」と「代表する人」との間にある空白こそが重要なのだ、という風にも言えるだろう。共産圏においては、支配者である共産党と、被支配者である人民との関係は即自的だ。党は人民を「完全に」代表しているわけで、カリスマ的支配のような空白がない。そのことを支配の正当性としているために、党は繰り返し人民に向けて「俺たちって一心同体だよね」と確認する必要が出てくる。これが全体主義へと繋がることは言うまでもない。それに対して間接民主制は、政治の中にカリスマ的要素を組み込むことで、支配者と被支配者の間にある種の余白を生み出し、支配者は恣意的に振舞うことが可能となっている。それによって子供や障害者といった、政治空間に自らを代表できない人々の利益を、支配者は代表していると主張することが可能になる。
そしてまた、自らの利益を主張できない者を政治は決して無視できない以上、やはりカリスマ的支配には必然性があると言えるだろう。第二次大戦中の日本における社会福祉制度の拡充と、天皇大政翼賛会というカリスマ的支配の強化はこのようにして関連する。