専門家とアマチュア

1.
最近『長谷川如是閑集』を読んでいるのだけど、在野思想家である如是閑の「アマチュアであること」に対する考えが伺える、ちょっと面白い文章があった。第8巻の月報から引用。執筆者は本田創造。

それからしばらくして、私はまた如是閑に会いに行った。マスコミ志望で朝日新聞への入社を考えていた私が、如是閑に推薦状を書いてもらおうと思ったからである。私の頼みを静かに聞き終えた如是閑は、ちょっと間をおくと、じっと私の顔を見つめながら、はっきりとこう言った。「きみのために一筆書くことは雑作もないことだ。しかし、これからはスペシャリストの時代だ。きみは僕のようなディレッタントになってはいけない」と。このとき、如是閑は自分のことをあえてディレッタントと言った。

以前から「普遍的知識人像の終焉」が唱えられているように、そしてここで如是閑が言っているように、現代では何らかの専門家でないと現実に介入することができない。それは正しい。ただ、如是閑は大正10年に「私は素人でいたい」というエッセイを書いている、ということも見落としてはならない。
確かに現代は「スペシャリストの時代」なのだろうけど、そのスペシャリストはあまりにも色々なことが出来てしまう。それこそ、核兵器を作る事だってできるかもしれない。だから、専門家にこそ、普遍的な利益を追求するアマチュア性が必要とされるのだろう。
知識人はアマチュアでなければならない、とエドワード・サイードは言った。そのことと、如是閑のいう「これからはスペシャリストの時代」という言葉は矛盾しない。というか、どのようにしてこの両極端な考えに橋を架けるのかを考えなくてはならないのだろう。


2.
最近は福田徳三『生存権の社会政策』を読んでる。1980年ごろから大正時代を「社会の発見」というタームで捉えることが多くなったが、福田は大正11年、つまりリアルタイムでそれを言っていたという点で興味深い。
「社会の発見」といっても具体的にどういう社会が想定されていたかは論者によってまちまちだが、概して社会有機体説からの連続性、オッペンハイマー社会学的国家観からの影響が強いように思われる。福田はそれを明確に否定したうえで社会を概念化しようとしているっぽい。
吉野作造、福田徳三という黎明会の二大看板がそろって大正期に「社会」概念の確立によって理論的展開をとげながら、同時に見解を異にしていく。やはり問題は「社会」がいかなるものとして構想されたか、なのか。
中公新書で、竹沢尚一郎『社会とは何か』が出たので、すぐに買って読んだ。ヨーロッパ「社会」史の継起的叙述にたいして、日本はいきなり戦後から、というあたりに研究蓄積の差を感じる。まあ、自分でやれることがたくさん残っているので良いのだけど。「社会とは何か」を論じる際に重要な要素は、植民地と、集団理論ではないかと思う。前者については酒井哲哉が最近よく書いてるけど、帝国主義という反国民国家なものと「社会」は親和的。後者については「社会の発見」と並行して、政治学において政治的多元主義の受容が行われている点が重要だと思う。
長谷川如是閑も明らかにイギリスの多元主義理論の影響を受けている。ただし、イギリスの場合は政治的多元主義がある種の「リベラリズムの伝統」として観念されており、主権との調和が予定調和的に考えられている。その伝統がない日本だと、主権の否定として多元主義が受容されるか、あるいは主権によって多元主義が飲まれてしまうか、になる。最近福田徳三を読みはじめたのも、その辺の問題について考えてみたいと思ったから。社会と主権の接点をどこに設けるか、というのが福田の問題関心。