カール・シュミット『政治的なものの概念』

最近はゼミに出たり『政治的なものの概念』を読んだりしていた。相手の存在を否定するところから政治が生まれるって、ちょっと勘弁してくれと思う。でもシュミットがとびきり頭良いのも確かで、英米の社会多元主義は個人の自由と団体の自由をごっちゃにしており、「自由主義個人主義」の枠を出ないという彼の批判は基本的に正しい。ただ、「動員令がでると同時に、その日まで存在した利益社会が、共同体にかわる」という言葉を引用して社会多元主義を批判し、国家主権の卓越性を強調したシュミットも、国家とその他団体との違いは「ただ人間の連合または分離の強度」の違いでしかない、と書いているあたりは興味深い。社会多元主義を批判しながらも、一度そこを通過したことで、国家の特殊性には括弧が付けられたわけだ。
シュミットはホッブズを高く評価しているけれど、ホッブズにとって社会契約は各自の自然権が放棄されることでコモンウエルスを設立するものであり、それが絶対的でありさえすれば王政でも民主制でも何でもよかった。この辺は国家をただ友・敵関係における友の側だとしか言っていないシュミットとも通じるところがあるように思う。そもそもどうして友・敵関係によって政治の領域を確定しなくてはいけないのかと言えば、それは「社会」が国家全体に浸透してくることで「「政治的なもの」の特殊な区別指標を基礎付けることが不可能になる」ためであって、この辺はアーレントと似ている。
あと、本書の中ごろに出てくる「内敵宣言」についての話を読みながら、ベンヤミンの『暴力批判論』に出てくる「神話的暴力」という概念を思い出した。

ロレンツ・フォン・シュタインの言うように、「立憲国家」においては、憲法が「社会秩序の表現であり、公民的社会の存在そのものであるから、したがって、憲法が侵害されるばあい、戦いは、憲法や諸法の枠外で、つまり武器の暴力で決着をつけなくてはならない」からである。

政治的なものの概念

政治的なものの概念