大正期の社会と社会科学(5)

今回は創価学会の話をしましょう。なんでこの連載で創価学会?関係ないだろ、と思われるかもしれませんが、ど真ん中です。取り上げるのは、創価学会の前身・創価教育学会の設立者である牧口常三郎、そして大正期を代表する哲学者・左右田喜一郎です。
牧口が北海道尋常師範学校を卒業し、小学校教員として就職したのは1893年のことでした。それ以来、牧口は教育者兼教育学者としてのキャリアを歩いていきます。1928年に日蓮正宗に入信し「宗教と教育」を2本柱とした活動を展開していきますが、その根本にあるのは、明治末〜大正にかけて流行したカント哲学、正確にはドイツの新カント学派を経由したカントを牧口なりに解釈した教育理論でした。では、「新カント学派を経由したカント」とはいかなるものなのか。簡単に言えば、科学を価値哲学によって基礎付けたカント、ということです。というわけで、牧口の教育理論のキーワード「価値の創造」(ひっくり返して創価)が、新カント学派に由来するものであることは明らかでしょう。さらに言えば牧口自身が影響を受けたと述べているように、左右田喜一郎『経済哲学の諸問題』に現れる「創造者価値」という概念が直接的な元ネタであると言えます(この話はまた後で)。
牧口には『価値論』という著作があり、この中で自らの価値論と新カント学派の価値論との違いを次のように述べています。新カント学派は価値を「真・善・美」の3つに分けたが、真理を認識することそれ自体は価値ではない(価値を創造するための前段階でしかない)。そこで代わりに「利」を加え、「美・善・利」とする。「真理の認識」が不要というわけではないが、それだけで価値が創造されるわけではなく、認識された真理を「評価」し、その評価を媒介にして「価値の創造」を行うのだ。
……カントから出発して全然違うところに来てしまったというか、先祖帰りしているような感じもしますが、牧口価値論の批判が目的ではないので先に進みましょう。牧口が真理と価値を分離したことの狙いは、言うまでもなく価値を個々人の実践に内在させることでした。自分が生きている間にたどり着けるかどうかもわからない真理を目指して生活するよりも、日々の生活の中で「価値の創造」を行ったほうがよほど「幸福」に生きられる、というわけです。もっぱら個人にかかわる「利」が価値に含まれているのもそのためでしょう(公利・公益は「善」に含まれる)。
さて、この「価値の創造」の元ネタが左右田喜一郎の「創造者価値」であることについては先述したとおりです(牧口が価値に「利」を加えたのも、経済哲学者である左右田が「貨幣」を価値として数えたことに影響を受けているのではないか)。しかし内容は全く異なり、牧口が価値論を実践へと落とし込んでいったのに対し、左右田は徹底した抽象化・図式化を行い、おそらくその抽象性の高さゆえに強い影響力を持つことになりました。
左右田哲学の全体像については別の機会に書くとして、ここでは彼が大正8年ごろから提唱し始めた「文化主義」を紹介します。左右田は吉野作造や福田徳三らと共に「黎明会」に参加し、その講演会で次のように述べています。最近はデモクラシー、軍国主義社会主義といろいろな主義があるが、どれを採用しどれを否定すべきなのか。それは、それぞれの主義が「価値」とどのようなかかわりを持っているかによって判断すべきだろう。だからまず、それぞれの主義に対して「内在的にしてしかも超越的」な「論理的アプリオリ」としての価値、というものを想定し、そういう価値の実現を目指していろいろな主義主張を取捨選択していくことが必要だ。それが文化主義だ、と。
わかるでしょうか?わからないですよね。当然です。そもそもすべての主義主張に対して「内在的にしてしかも超越的」な価値って何なんだ、ということを考えてみなければならないでしょう。そんなものが存在するのか?
結論から言えば、「これ」と指せるかたちでは決して存在しません。ただ、私たちが普段行っている買い物が、当人にはそんな意図が全くないにも関わらず貨幣経済を作り上げたように(少なくとも貨幣経済の創設者っていないですよね)、個々の行為がその総和には還元できない価値を生み出すことがあります。なんでそんなことになるのか、という行為と価値の関係は巧妙にブラックボックス化されているのですが、ここで左右田が言いたかったことは、行為と価値の関係がわからない以上「この価値の実現に、この人は不要」とか「この行為はいらない」なんて言えるものではない、ということです。どんなものであれ価値の実現に寄与しているのかもしれない。これを価値の側から考えれば「文化価値の哲学を基礎として一切の人格、一切の文化を認承せんとする「ヒューマニズム」」なのです。
これで最初の問いに戻ってこれます。デモクラシー、軍国主義社会主義、どれを採用すべき?軍国主義は「あれがダメ、これがダメ」というのでアウト。社会主義は「労働者の文化だけ大事。ブルジョワの文化はダメ」というのでアウト。残ったデモクラシーが良い。ということになるでしょう。何でもありの文化多元主義、というわけですね。
さて、この文化多元主義は、「(価値の実現に寄与しよう、という意志さえあれば)どんな行為であれ最終的にはそこに影響を与えるはずだ」という普遍的価値を前提と置くことで成り立っています。そんなものあるのかよ、という指摘はさておき、行為と価値は必ずしも直接つながるわけではありません。社会の成員みんなが「価値とはこういうものだ」ということを理解していれば(社会に認められた価値があれば)、それに加わることで価値が実現されます。こういう価値のことを左右田は「文化価値」と呼んでいます。一方、当時の社会にはまったく理解されなかったけれど、今考えるととても価値のあることをした人、というのもたくさんいるわけです。天才の仕事は往々にしてそういうものです。これを左右田は「創造者価値」と呼びます。同じ普遍的価値の一部なのですが、その担い手に応じて呼び分けているわけですね。
左右田の提唱した文化主義は多くのフォロワーを生んだだけでなく、「文化生活」「文化住宅」といった言葉も生み出しました。「文化」は個人の楽しい生活がそのまま国や民族の「文化」の発展とつながっているのだという風に理解されたわけですが、左右田自身は「創造者価値」という言葉を生み出したように、個と全体の断絶に対して両義的な態度を示していました。

余は文化価値と創造者価値の全部的合致は二つの平行線が無限に於て相接触するものとする外には世の文化論者の称する如く容易に両者の合一を主張すべき論拠を発見し能(あた)はぬ。
左右田「文化哲学より観たる社会主義の協同体倫理」1925年

これを「歴史の終わりまでわかりあえないのだから価値の多元性って難しいよね」と読むか、「今はわかりあえないけど、いつかわかりあえるから価値の多元性を維持すべき」と読むか、は微妙なところ。両方が左右田の中で葛藤していたのだと思います。
この記事を要約すると、牧口の価値論は左右田の提唱した文化主義から派生したものであり、おそらくその典型であった。しかし当の左右田が最もその限界を感じていた、ということになるのでしょう。こういう風に要約すると左右田って大したことないなーという感じがするのですが、実は全然そんなことないんだよ、という話をいつかします。