『CLANNAD』プレイ日記・その7

CLANNAD-クラナド- ORIGINAL SOUNDTRACK
今回はアフターストーリィについて。壮大なネタバレあり。
プレイ日記は今回でひと段落させて、全体論については「CLANNADと親密圏」という観点から再構成してみようと考えています。以前『Kanonに見る家族の終焉』という記事を書いたときに「家族について語るならCLANNADやってからにしろやゴルァ!」みたいなコメントをいくつかもらったので、そのリベンジということで。執念深いな、俺……。
さてさて、古河渚シナリオを引き継ぐ形で始まったアフターストーリィ。2人とも同じ3年生だった日々は過ぎ去り、主人公は就職、渚はもう一年学校に残ることに。渚、結局新しい友だちが出来なかったとか、リアルだなぁとしんみり。
そして一年たち、渚の卒業式。結局良いことは何も無かった1年だったけれど、弱音を吐かず通い続けた1年でもありました。このシーンは泣けるよ。個人的にはCLANNAD三大泣き所のひとつには入ると思います。あと、思い出すのは『ひとひら』に出てきたこんなセリフ。
「精一杯やったという事実さえあれば辛かった思い出も全て楽しい思い出に変わる。それが演劇に問わず、人生のマジックだ」
卒業した2人は結婚し、やがて子どもが生まれました。しかし、その子ども=汐(うしお)と引き換えにな渚は命を落とすことに……
自暴自棄になる主人公。子どもを渚の実家に預け、何も考えずただ働く日々を送ります。そんな主人公を立ち直らせようとあれこれ気を使う渚の両親。この2人も自分と同じくらい傷ついていたのだ、と主人公が気付くのはもう少し後の話です。幸村先生の話とも少し似ている?この作品のテーマとして「家族の絆」と「街と人の絆」の2つがあるわけですが、前者はいつもそれを感じていられるもので、後者は普段気付かないもの、という分け方がアフターストーリィでは通用しなくなってきます。家族にも知らない部分がある、という。
祖母から、父親がどんな気持ちで主人公を育てたのかを聞かされた主人公。ここで面白いのは、単に父親と和解するだけでなく、離れて暮らすという選択肢を選んだことですね。仲良くなるのではなく、距離のとり方を覚えたということ。
そして汐との生活。順風満帆に見えたのですが、母親と同じく徐々に衰弱していく汐。こんな可哀想な話を書いたやつは誰だ。そして死んでしまう。
ここで話が「幻想世界」へ。そこは現実世界のすぐそばにある世界で、主人公が誰かを幸せにするたびに手に入れていた光の玉は、時間と空間を越えてそこに集められていたのでした。少女はガラクタ人形に頼みます。光の玉を全てあつめて、願いを叶えてほしいと。
で、首尾よく光の玉をあつめ、ふたたびプレイ開始。
渚の卒業式を終え、汐が産まれるところまで進めます。本来ならここで渚は死んでしまうのですが、光の玉のミラクルパワーで渚は助かりました。めでたしめでたし。
……『CLANNAD』はすごく良い話だとおもうのですが、これが真のエンディングというのだけは大不満。渚の死を乗り越えて、父親と和解して、主人公が大人になっていく時間を巻き戻してハッピーエンド?不幸が起らなければハッピー?いや、まあ、その通りなのでしょうが。釈然としません。アニメ版はこの辺の話をどうするんでしょうね。
というわけで若干憤慨しつつED曲の「小さなてのひら」を聴くことに。何だこの名曲は。本編より泣けるぞこの曲。やっぱりCLANNADは良い作品です。