愛国心と政治・その1

日本近代史について議論する前に知っておくべきこと - tukinohaの絶対ブログ領域の続きです。
前回は長々と「近代史について語ること」について語ってきたわけですが、そろそろ本題に入ります。予告通り日露戦争終戦後から。
スタート地点として日露戦争を選んだことには理由があります。『日露戦争物語』が日清戦争で終わってしまったから、とか、神のお告げだから、ではなくて、日露戦争を機に表面化する様々な問題とそれに対する政府の対応には日本型デモクラシー形成の萌芽が見られるのではないか、という考えからです。なお今回の議論は住友陽文氏の「大正ナショナリズムとデモクラシー」(『日本史講座』第9巻)に則って進めていきます。
さて、1890年に開設された帝国議会においては厳しく制限された選挙制度が採用されていました。具体的には直接国税15円以上、つまり相当の土地を有する地方エリートや都市ブルジョアにのみ政治参加が許されていたわけです。その一方、市町村の「盛衰に利害の関係を有せさる無知無産の小民」(「市制町村制理由」)には選挙権が与えられていませんでした。
つまり、地方エリートや都市ブルジョアたちは直接的に国家と利害関係を共有するのだから献身的に政治に参加してくれるだろう、という目論見によって彼らに選挙権が与えられていたわけです。
ところが現実はそれほど都合良くいきません。国家利益を代表すると考えられた彼らは選挙区の利益を代表するものであり、また政党は「党議を以て自由の行動を束縛し、不自然の多数を作意」(穂積八束)し、地価修正運動など国家利益にそぐわない(と政府は考える)動きを推し進めていきます。
それに対応する形で政府は1900年に選挙法を改正、大選挙区制と一部小選挙区制を組み合わせ、直接納税額の制限も10円に引き下げることで、地域の利害関係に縛られず「一国全体の利益」(伊藤博文)に則った政治が行われるよう試みます。また、穂積八束は地方名望家や都市エリートによって組織されない個人が「忠誠愛国の精神」によって選挙を矯正するべきであると主張しました。
以上の点をまとめると、政府が政治参加の主体として期待していたのは、地域の利害関係に束縛されず、純粋に自身の「愛国心」によって「一国全体の利益」を考える人々であった、ということが出来るでしょう。しかし、まさに政府が期待した「愛国心」を持つ人々が政治主体となりえない、ということが日露戦争を契機に暴露されることとなります。長くなったので続きは次回(あれ?日露戦争までいかなかった……)。