大正時代における家族と社会

沢山美果子『近代家族と子育て』(吉川弘文館、2013)
・「家庭」「子ども」イメージの形成が明治20年代に進行。
→主婦によって担われる慰安の場としての「家庭」、「家庭の天使」としての無垢な子ども観。こうした「家庭」観はこの時点では現実的な基盤をもっていなかったが、家存続のための「子宝」とも「富としての人口」とも異なる「保護される子ども」「つくるものとしての子ども」(第2部2章)を作り出す場という新しい理念であった。
・「家庭」の現実化
明治末〜大正期にかけての婦人雑誌の創刊⇒「家庭」モデルの流布(=団欒を主宰する「良妻」かつ育児に責任をもつ「賢母」という主婦像)。
しかし、「家庭」モデルが現実化すると同時に矛盾が表れ始めたことは、モデルとなった家庭自体のなかに見ることができる。
性別役割分担⇒共通の話題の欠如、「家庭の団欒」から主婦が疎外されている感。
「夫にとって良い環境」と「育児に良い環境」が両立しない。
⇒育児を中心とした家庭へと移行(「良妻賢母」のうち「良妻」が後退)。自己実現の場である団欒から主婦が排除されている以上、育児によって自己実現をせざるを得ない。

「家庭」という空間は、子どもを中心に構成された空間であった。そして主婦の関心は、「家庭」のなかに夫との共同の空間を作り得ない疎外感の代償としても、「我が子」へと収斂していくこととなる。p57

・家庭の在り方は「重層的」であったという指摘
という割には都市の新中間層だけが分析の対象となっている(それに田舎の子育てが恐ろしくいい加減であったことはおそらく常識に属する)。
↑とはいえ、新中間層の家庭がある種のロールモデルになったこと、そしてそのロールモデルが広く求められたこと(レーニン主義的に言えば「管制高地」となったこと)は事実。実態というより理念としての「家庭」が重要。
・育児と専門知
沢山は「育児」が「専門家の育児知識や学校への従属をより強め」ていったことを問題視。とはいえそれも主婦権を確立するうえでの必然的な展開。


下田歌子『女子の修養』(弘道館1906年)。
狭間に立つ教養のある女性

今の家庭の嫁なる地位は随分にむづかしきものと云はざる可らず。進取主義の良人、保守的の姑母、新旧混合の親戚朋友など、新婦とし云へば、目をそばめて、事あれかしに睨みつつある、其中に立ちて、能く令聞の高きを欲する、決して尋常一様の人に求むべきにあらず。況や、世路の経験に乏しき、年少夫人に於るをや。p49
然れども、これぞ新旧過渡時代の社会には、免るべからざることにて、折角骨折りて学びしことの存外目の前に益無きやうの感のみ多く、否、寧ろ学ばざりせば、是程の苦痛も中々に覚ゆまじと、打ち嘆く時もあるべけれど、決して左にはあらず。其当時こそあれ、我れ全く家政の主権者となりて、且つ子女の母儀と仰がるる時、普通の学力なくては、何として二十世紀の行路に闊歩せらるべき。p53


・山田わか『家庭の社会的意義』(近代文明社、1922年)
著者の立場は「婦人参政権には消極的反対(p276)」「家庭の中心を『位牌=家制度』から『子供』へ」というもの。女性の権利を基礎づける方法として「生理に基礎を置いたもの」「経済に基礎を置いたもの」「社会学的の見地から、母性に基礎を置いたもの」の3つがあるが、最後のひとつが正しいという(20頁以下)。女性の権利主張と「母性」の特権化が結び付けられる。

第一義の、そして、最も重要な社会制度は家庭です。ですから、社会の単位と云はれるものは個人よりも、むしろ、家庭です。社会に於ける家庭は、丁度、生物学に於ける細胞が凡ての有機体の発達の核であるやうに、社会の発達の核が家庭です。(p5)

もし、婦人が男の真似をして男との競争と云ふ立場でなく、婦人としての立場に立つならば、丁度、海に働くべき人間が山へ行つてみじめな目に逢ふことの代りに、自分の領土である海へ帰つて働くやうに、婦人が女性の使命と云ふことに目覚めて、女性独特の仕事にはげんだならば、此処では男子が真似をすることの出来ない能率を上げることが出来ます。(p26)

古い家族主義の許には、一家を代表してゐるものは先祖の位牌であります。これに反して、新しい家族主義の許には、一家を支配してゐるものは子供の利益であります。(p43)

自分の有益さとか、又は、功績とかには無関係に、いつも自分を愛し、自分を尊敬し、自分を歓迎する処が無ければ、子供はまつすぐには育たれません。そして、それは自分を生んだ家庭、両親の愛によつて造られた家庭より外にはないのです。此の広い世界に於て、子供が安心して居られる処は其処より外にはないのです。(p46)

家庭と政治

一般の男子はそれぞれ自分の受持ちの仕事に専門的に従事して居ればことが足ります。けれども、一般の婦人は直接毎日の実際生活を司つて居ます。そして、其の実際生活を円滑に流動させるのが政治の使命です。それならば、実は男子よりも婦人の方が直接に政治に深い関係があるのです。(p276-277)

・星野不二子「家庭から社会へ」『社会事業研究』15巻7号(1927年)。
現代の家庭生活は自給自足を基本とした昔と異なり、洗濯・調理・裁縫・髪洗い等に至るまで家庭内で完結しなくなっている。それによって生じた余裕をどう使うかは、現代婦人にとって重要な問題である。
しかし「ノラ」(=家庭からの解放」であってはならない。「家庭を真実に進歩させんがために、家庭の価値をしつかりと握れば握るほど私たちの力を社会へ向けなければならぬ」(p37)

人生の揺籃として、魂のいこひ場所として、暖かき愛に溢ふるる家族こそは、家族の一人一人にとつてもまた国家社会そのものにとつてもまことに意義深い至要なものでなくてはならぬ、けれども家庭は社会を離れては存在することが出来ない、例えへば私達は家族の健康のために衣食住を社会に求める、而してその供給が適当に――或は清潔に或は滋養価値に富む様に――に行はれなければならぬ、従つてそれらのものがどんな方法で造られ、配布されているか、又其処で働いてる人は如何なる健康状態にあるか、等といふ事にまで自然に夫人の興味が拡がり、はじめて自分の家族の健康が真に考慮せられることとなるのである。(p38-39)

政治参加に代わる(家庭を通した)社会参加

而してそれはまたすべての婦人をして社会、国家、市町村等に対する責任を感じさせ、小さな家庭人に過ぎなかつた、彼女等を完全なる社会人とするであらう。尤も参政権の与へられてゐない我国の私達夫人は政治的には社会人としての責任をもつ事は出来ないかも知れぬが、旧い家庭的伝統から漸次に解放されて行く現代婦人は母性としての立場から家庭と社会の為に進んで社会的責任を負ふべき機会が与へられつつあることを忘れてはならないと思ふ。(p39)

[参考1]鳩山春子「力の自覚」『読売新聞』1914年4月3日。
女性の地位が向上したことは悪いことではないが、「妻がいくら威張つたからとて、夫妻を分析して見れば、やはり女は男に及ばない」。

尤も昔の如く、女が奴隷的の状態に帰る事が決して家庭の幸福であるとは云はない。〔中略〕それ故、私は婦人が自己の価値を自覚して、家庭にあつては妻としての場合と、母としての場合と、その権力の使い分けをし、夫に対しては感謝して之れに譲ると共に、子供に対しては充分の威厳を持つて行く様にありたいと思ふ。

[参考2]阿部静枝「婦人の社会化を促す」『読売新聞』1930年10月23日
街頭で母子扶助法の宣伝ビラを配っていたが、当の女性があまり受け取ってくれなかった。そのことを批判し「女性の社会化とその団結」が必要であるという。
[参考3]神近市子「育児の社会化の必要」『読売新聞』1930年11月14日
前二者とは異なり「社会化=共有・公有」の意味。「母親の留守中母親に代つて養育する広狭の設備はぜひとも必要なのである」
「母」としての女性の地位向上。
・渡辺英一『真と善との生活』内外教育社、1925年
多くの人が家庭/社会の「社会的二重生活」をおくっている、と指摘。「社会が不安不快苦痛罪悪に充ちた修羅道であるに対して、家庭は安穏幸福快楽に充ちた、休息処、避難処、天国極楽である、少なくともさうあるべきだといふ類の見方」をする人が多いが(p206)、そうではなくて社会と家庭はつながっているのだ、という論旨。

社会の改造のために、家庭は善い社会を作る人間の苗床、人格の補育場、精神理想の発酵地たる本来の使命を、徹底的に果たすべき義務を負うてゐるものです。(p304)

社会人とは、社会に対する義務・責任を内面化した人を指す。⇒「外形」ではわからない

今一つ、仕事の場処が家庭の内にあると、外にあるとによつて、職業か否かをわけるのは、もとより無意義です。外形上又相手とするものが家庭か、社会かによつてわけるとすると、理論的に、社会とはどの範囲まで含まれるか、事実の上から、現在の職業者と呼ばれる各個人の直接相手としてゐるものは、果たして社会そのものかといふ問題が起つて、結局これも曖昧になります。
それで職業と労働とを、金を取る手段といふ商業主義見地の外に置て考へるとき、どうしても外形的に説明することが困難になるわけであつて、なに人も社会人たる限り、必ず常に携はるべきものといふ根拠を与へることができなくなります。そこで努力の目的乃至動機が、「社会に対する義務、責任、貢献、奉仕にある一定の仕事」といふ、内面的、道徳的見地を取らなければならなくなるのです。(p348)

「社会人=家庭の外で働く労働者」という現在の認識とは真逆。
社会人についてはこちらも参照。「社会人」の概念史 - tukinohaの絶対ブログ領域


優生学の見解
(1)吉田静致「現代社会の害悪と優生学の効果」『日本社会学院年報』第4・5号、1912年。
優生学的政策が十分に果たされないのは、社会に実質的不公正が存在しているからだ。(ex.貧富⇒売淫にならざるをえない⇒優秀な男と結婚できない)ゆえに実質的公正が必要になるが、それは「社会を構成する単位」である家庭にもたらされればよい。家庭が豊かなら、父母は優良な相手を娘の配偶者にしたがるはずだから。

若し社会の単位なる家にして精神的及経済的自由独立の域に入り、而して家族相互に良心的態度に立ちて行動するあらんか、個人主義的なる彼の土〔西洋〕に於ける自由恋愛に基く結婚よりも一層よく優生学的理想に応ずる結婚の成立を我国に見るを得べきを信ずるものなり。p634

(2)松本亦太郎「人間の優劣」『芸文』2巻6号、1911年。
愛情によって結びついた男女を優生学の「理屈」によって引き離すのは困難であるという批判は、「日本などでは結婚は従来は当事者の愛情よりも、寧ろ他の関係から成立する場合が多」いので当たらない(p32)。
・武田信明『<個室>と<まなざし> 菊富士ホテルから見る「大正」空間』講談社、1995年。

では、「住宅改良」とは、いかなる改良であったのか。藤岡洋保は『失われた帝都東京』のなかで、住宅改良論者の主張を、<ひとことで言うとそれは家族重視の洋風生活を導入することであり、具体的には、①椅子座式の採用、②家族の団欒・プライバシーの重視、③台所の改良、であった>と要約しつつ〔後略〕(p162)

「大正」において、なぜ住宅や居住空間が「問題」として焦点化したのか。それは、「明治」があれほど問題化した「国家」という空間が、もはや不可視の存在と化したからである。〔中略〕次なる「大正」は新たな空間を焦点化させるだろう。
ひとつは、植民地という広大な外部の空間であり、もうひとつは、国家の内部を解剖学的に検証してゆくまなざしによって顕在化される都市の空間である。「大正」が、「世界」や「人類」という極大と、「自我」や「個室」といった極小の、一見相反する二極への志向を共存させているのは、そのためである。〔中略〕しかも、植民地という外部空間の直接的な露呈を避けるため、その外部への志向は「国際化」や「世界」という抽象化が施される一方、その代償として、内部へ向かうまなざしは、都市空間を徹底的に細分化し、きわめて具象的な空間を現出させるだろう。だが、たとえば私鉄会社による郊外への展開は、表層的な差異はともあれ、鉄道を基軸に新しい空間を拡張してゆくという形態において、植民地政策と酷似しているとも言えるのである。(p164-165)

家庭を「家」という戸主中心のヒレラルキー構造としてまなざすのではなく、居住空間として透視化するとき「主人」と「主婦」は「一」という同値な数として等しい位置に立つ。だが、それが「男/女」のヒエラルキーの解消には機能しないことは言うまでもない。つまり、女性に参政権を与える必要はないが、一九二〇(大正九)年に第一回が施行された国勢調査においては、女性は不可欠な対象だという制度の論理である。(p165)