中江兆民

中江兆民における「社会的生活」と「懇親会」
中江兆民「懇親会」1888年(『中江兆民全集』11巻、岩波書店1984年)。ここでいう「懇親会」については、全集11巻の解題(松永昌三)で次のように述べられている。「懇親会と称して、民権派人士の会合が各地でひんぱんに行われていたが、東雲新聞社の栗原亮一らが発起して、同年10月14日、大阪において全国有志大懇親会を開くことになり、その広告が、この論説が発表された両日の広告欄に掲載されている」(p452)懇親会を通して大同団結運動への参加を呼び掛ける、というのが主題。「政敵」と「仇敵」の区別の部分にそれが表れている。

父母は誠に敬愛す可し妻子は誠に慈愛す可し朋友は誠に信愛す可し然ども常々其同形同色の鼻耳口耳に対し其同調の言語を聴きて十年一日となるときは其愛情は結晶して一種の固形体と成るなり況して家族的生活の如きは動もすれば吾人の心を収縮せしめて極て多愛多感の性も其上層にいつと無く自然に利己的の黴を生ずるに至ものなり
〔中略〕
家族的生活は利己の生活なり社会的生活は公平の生活なり彼の懇親会は社会的生活の情念を養ふに於て最も適当なる者なり
我邦今日の如きは特に懇親会に訴へて効益を惹出す可き事情の在る有り従来在る所の各政党の分子を一所に集めて更に親密なる抱合を為さしむるは正に懇親会の役目なり小異同は問ふ所に非ざるなり何となれば改進党なり旧自由党なり九州改進党なり小異同は固より有る可くして其点より言へば之を政敵とは曰ふ可きも仇敵とは曰ふ可らざればなり況してや其小異同も果て何れの点に在るやは未だ之を察知するに及ばざればなり(p236-237)

中江兆民「懇親会会員諸君の別に臨んで一言す」1888年中江兆民全集』第14巻(岩波書店、1985年)。

思ふに是迄政党と云ひ政社と云ひ各地到処大小の団結は有りたれども畢竟政治思想草眛の時に成立ちたることにて漠然と自由平等の大義を主張するのみにして云はば荒蕪不毛の土地に鍬下を為したるに過ぎず加之封建の遺習未だ去り尽さざる時候に在りて且つ目前実地に議決す可き政治上の題目としては唯各府県会町村会等権限内の事に止まりたること故大運動に関しては人々の意思も何と無く泛然たるを免れざりき然るに〔中略:国会開設、市町村制発布、憲法発布などを列挙し〕左れば我々在野政治家を以て自任する者は最早一日も閑過す可きに非ずして其計画規図す可き所の者は独り一地方自治の点に止まらずして更に進みて地方自治の総括高なる国民自治の大題目に取掛らざる可らず此れ正に我々在野政治家たる者が自ら負担す可きの務なり(p272-273)

甲 打破す可き条項
第一 国家の公事と各個人の私事とを混同して政治的機関の運動を妨害する情実を打破す可き事
第二 旧君主を異にし生まれ故郷を異にし封建の時階級を異にし生業を異にし今日迄の交際を異にしたる等総て偶然に生じたる社会的の檣壁に隔てられて深く其人の性行を窮めず其人の主義を問はず漠然政敵と看做すの習を打破す可き事
第三 官民を問はず其人の性行佳みす可く其人の主義同意す可く有りながら単に上下位置を殊にするが為めに敵視するの念を打破す可き事
右の条項は諸君と吾等と深く銘肝し力を極て打破すべし(p273)
〔後略:「乙 一致協同す可き条項」として、憲法、条約改正、財政について討議することを挙げる〕

松本三之介『明治精神の構造』1981年(岩波現代文庫、2012年)。
中江兆民にとって「心思の自由」とは、束縛を受けない状態であると同時に、完成に向けて発達する精神の働き・機能を含意するという。この「心思の自由」が涵養されることで民権の基礎になる。では、どのようにして「心思の自由」を涵養するのか。さまざまな人との「交際」である。

兆民が言論の自由を重視する理由の一つもまさにその点にあったし、「家族的生活」という固定した世界の殻を破って「社会的生活」へ進むために、「懇親会」の効用を説いたのもそのためであった。兆民によれば、「懇親会」はいわゆる「毎日毎年同じ山水を眺め同じ街衢を歩し同じ顔面に対し同じ事業を営む」家族的生活の停滞した空気――兆民のいわゆる「思想の炭酸瓦斯」――を払拭するものとして推奨された。それは、異質な思想や経験の持主が「相ひ互に交際談話して再び心思の鮮活を得る」という効用をそこに期待していたからにほかならない。(p93)

福沢ら啓蒙思想家の精神が、自由民権運動という文脈の中に息づいていた(松本)。
・法と道徳の基礎となる「自省の能」
中江兆民『続一年有半』1901年『中江兆民全集』第10巻(岩波書店、1983年)。
「未来の裁判=神」がいなければ世のなかに善悪は行われない、という主張に反論するくだり。

見よ社会の現状は、此輩の囈語に管せず、人類中の事は人類中で料理して、古昔に比すれば悪人は多くは罰を免れず、善人は世の称賛を得て、乃ち社会の制裁は漸次に力を得つつ有るではないか、法律制度漸次改正せられて、蛮野より文明に赴き、大数に於て進歩しつつ有るでは無いか、何ぞ必ずしも未来の裁判を想像し、神を想像し、霊魂の不滅を想像するの必要はないので有る、宗教及び宗教に魅せられたる哲学の囈語を打破しなければ、真の人道は進められぬのだ(p245)

加藤弘之などと同じく「社会の制裁」という言葉を用いているが、加藤が自説を展開するうえで拠り所とした意思必然論を兆民は(消極的に)否定する。兆民にとって「社会の制裁」は、その根底に反省的自己意識(「自省の能」)をもたなければならない(p283〜290)。
⇒新派刑法学(特に大正期のそれ)と主張はかなり近い?
ソクラテス孔子が善をなし、泥棒が悪事をなすのは、いずれも鉄が磁石に引かれるようなものである。だからといって善悪の区別がないわけではなく、ソクラテス孔子は善を為さざるを得ないような習慣を作り上げたことが、まさに善なのである。「意思の自由を軽視し行為の理由を重要視して、平素の修養を大切にすることが、是れ吾人の過ちを寡くする唯一手段である」(p287)

自省の能とは、己れが今ま何を為しつつ有る、何を言ひつつ有る、何を考へつつ有るかを自省するの能を言ふので有る
自省の一能の存否、是れ正に精神の健全なると否とを徴す可き証拠で有る(p287―289)

道徳を云はず、法律と云はず、凡そ吾人の行為は、未だ他人に知られざる前に、吾人自ら之れが判断を下して、是れは道徳に反する、是れは法律に背くと判断するので有る、故に道徳は、正不正の意象と此自知の能とを基址として建立されたるもので有る(p288)

実際には自省の能をもたない「道徳的のフヂミ」が多くいて、だからこそ未来の裁判が必要なのだという主張に反論。

抑も自省の一能が萎滅して、自身の行の善悪を感ぜぬ程の人物は、世界の最も憐れむ可き人物である〔中略〕精神的に無形の地牢に投ぜられたものと謂はねばならぬ〔中略〕且懲罰を以て復讐的のものとしやうとして、茲に以て犯と罰とが相ひ称ふのを重要視するが如きは、最も陋見と謂はねならぬ、虫の喰つてる旧思想と謂はねばならぬ、死刑を廃せんとの傾向正に殷なる今日に於て、復讐的刑法を割出しとして哲学の一派と為すが如きは、尤も謬戻と謂はねばならぬ(p290)

意思必然論のなかに、「習慣」と習慣によって養われる「自省の能」というふたつの自由を確保する試み。それらは法や道徳のベースにもなっている。←社会の根底に「立法者」を置いたルソーへの、兆民なりの回答(宮村治雄「「東洋のルソー」の政治思想」)