近松秋江「博覧会見物」(『読売新聞』1914年4月12日)
当時東京で開催されていた大正博覧会の観覧記。著者の近松秋江は小説家・評論家。一応wikipediaにも記事があるので、有名なのだろうか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E6%9D%BE%E7%A7%8B%E6%B1%9F
博覧会の企画意図をそのまま素直に受け取っているように思われる(ある意味珍しい)観覧記なので、いくつか抜き出してみよう。筆者は林業館、鉱山館、農業館、染織館などの展示を見て、「日本国が大きくなつた」「自分の国が頼母(たのも)しい」と感じたという。台湾館、朝鮮館、樺太館などの植民地展示をみると、「丁度所帯の持ち初めに僅か7円か8円の借家住ひであつたのだ〔ママ〕30円も50円もの家賃を拂ふやうになり、遂に地所附きの家屋を所有して、それに付属して種々家具調度などもふえて来て、生活が豊かになつたことを歴々と感ずる」。会場では物販も行われていたようで、著者は台湾産の樟脳を購入した。台湾は世界で唯一の樟脳の産地である、と著者は日本の国威を誇るが、しかし著者自身は「箪笥一棹も持たない」。
著者は南洋館についても記録している。その後の歴史を知るわれわれにとって、以下の文章は示唆的である。

南洋館といふのがある。満州でも樺太でも朝鮮でも日本の領土だが、南洋館はさづぢゃない。我が領土でないのに、南洋館は恰も我が領土の一つであるかの如く会場裡の人足を呼んでゐるのである。椰子の実やココアやバナナの実る土地――我々は大いに軍艦を其等の海上にも浮べなければならなぬであらう。