歴史用語における「変」と「乱」の違いについて
一般個人が適当なことをつぶやくのはともかく、メディアがそれを鵜呑みにして適当な情報を拡散させるのはいかがなものかと。
ツイートによると、「変」は「成功したクーデター。成功して世の中が変わった、という勝者の視点から」、「乱」は「失敗したクーデター。反乱が起きたものの鎮圧した、というこれも勝者の視点」とのこと。あと、ほかに「○○の役」というのもあり、こちらは「他国や辺境での戦争。他国からの侵略(元寇=弘安の役)でも使われる」だそうです。
「○○の変」と「○○の乱」の違いって? 日本史の勉強が捗る豆知識ツイートが話題に - ねとらぼ
ぱっと思いつくだけでも「壬申の乱」「応天門の変」「禁門の変」など上記の定義にあてはまらないものが多いようです。ただ、同じ事件を扱っていても教科書によって呼称が違うケースも多く存在し(「薬子の変」を「薬子の乱」と書く教科書もあるし、「禁門の変」を「蛤御門の戦い」と書くことも)、呼称の統一が図られてもその根拠が明確にされるわけではありません。また、研究状況の進展に伴って呼称が変化する場合もあります(「承久の変」から「承久の乱」へ、「ノモンハン事件」から「ノモンハン戦争」へ)。
武田忠利「歴史用語と歴史教育」(『歴史学研究』第628号)がこのような歴史用語をめぐる錯綜した状況を整理してくれているので、この論文に依拠して歴史用語の根拠について考えてみましょう。「(大化の)改新」や「(建武の)新政」「(明治)維新」など特定の事件にしか使われない用語を除くと、武力行使や暴動を伴う出来事には以下の用語が付けられます。
乱・変・役・戦・出兵・寇・合戦・事件・事変・戦争・征伐・征討・動乱・内乱・擾乱・一揆・騒乱・騒動・進駐・蜂起・闘争
特徴としては
1.変・乱・役・戦・合戦などの用語は明治初期までで、その後は使われないこと。とくに古代では変・乱が大部分を占める。
2.事件は明治以前には使われず、明治以後には国内・国外を問わず事件が使われること
3.民衆運動については前近代には一揆、近代以降は騒動が使われること
などが挙げられます。しかしこうした特徴に明確な根拠があるかといえば……
今回問題とされた「乱」と「変」の違いですが、武田氏は「乱が支配的政治体制の変革にも及びかねない反乱事件を含むのであるのに対し、変は政治的支配層の内部でおこった権力闘争に過ぎない事件である」という安田元久氏の見解、「相対的に短期間の、政治的・社会的な変動を伴わない支配層内部の権力闘争を『変』」とする木村茂光氏の見解を検討しつつ、近代に入ると士族反乱を最後に「乱」が使われなくなることから「乱」は武士身分やそれに準ずる僧兵などを主体とした国家権力への反乱であること、基本的には双方が武力衝突を予期した事件であり比較的大規模な事件であるか、もしくは不意に生じた小規模な事件がその後大規模な衝突に発展した場合などを「乱」の特徴として挙げています。
とはいえ、結局のところ歴史用語はデファクトスタンダードなので、どうしても漏れは出てくるし、「乱」を大規模な武力反乱、「変」を支配層内部の権力闘争と定義しても、どこまでを「大規模な武力反乱」と考えるかという事実評価の問題も絡んでくるので、厳密に定義するのは難しいようです。「禁門の変」と呼ぶか「蛤御門の戦い」と呼ぶかは、出来事の規模や性格(コップの中の争いと考えるか、倒幕などより大きな体制変化とつなげて考えるか)などの評価とも関連するわけです。「承久の乱」も戦前は「承久の変」と呼ばれていましたが、これは戦前「天皇はつねにもっとも尊い存在なのだから『反乱』を起こす道理がない」と考えられていたため。鎌倉幕府内部での権力闘争も「和田合戦」や「宝治合戦」「霜月騒動」など「乱」が使われていませんが、これについて武田氏は「鎌倉幕府内部の権力抗争は、私的内紛とみなされ、国家権力に対する反乱とは異なるものとして扱われてきたことを示している。……鎌倉幕府は単なる地方政権にすぎないという認識が反映されているのか、江戸時代のお家騒動と同程度の扱いである」と述べています。