うちの大学、文学部の基本棟の前に案内の看板が立てられているのですが、そこにイラストが描かれていて、それがどうみても『“文学少女”と死にたがりの道化』の表紙イラスト。文学少女が進学して文学部少女になったのか……。
もうひとつのブログを更新しました。今回のテーマは「河鍋暁斎」です。
http://d.hatena.ne.jp/tukinoha2/20080419
京都国立博物館で特別展が開催中ですが、これは全力でオススメです。這ってでも行くべき。僕は2回行きました。「京都国立博物館友の会」の会員証を見せればタダで入れるぜ!と思っていたら、2回目からは使えないのね……。
ちなみに来週の「新日曜美術館」も河鍋暁斎の特集です。

『ライムライト』という映画でチャップリンの扮する売れない芸人が「ノミのサーカス」というコントを演じているのですが、最近になってこれが歴史的にも実在する有名な大道芸だということを知って、結構びっくりしました。
ノミのサーカス - Wikipedia
少し調べてみると、1998年3月にもソーホーのニュー・ミュージアムでM・F・カルドーソ率いる一座が「ノミのサーカス」を上演しているそうです。ただしこのときはヴィデオ作品。星の飾りを背負って踊るノミのバレリーナ、ノミの綱渡り、ノミの空中ブランコがヴィデオの編集によって拡大され、スローに動くそれはファンタジィ映画のようであったとか。

久しぶりに筒井康隆先生の全集をめくっていたら懐かしいエッセイを見つけたので、冒頭部分だけ紹介します。タイトルは「恰好よければ」

生まれつき勘がいいというのか何というのか、はじめてクレー射撃をして二十五発中十七発が命中した。証人だっている。ジャズ・ピアニストの山下洋輔である。それ以後も、百発百中に近い成績である。自分でもぶったまげている。
僕は精神主義者ではない。形式主義者である。××の心得とか、××の精神とかいったものは、まったく信用しない。西部劇映画が好きで、よく見ていて、いい恰好をしてライフルを撃つ場面をたくさん記憶していて、だからああいういい恰好で撃てば命中する筈だと自分に言い聞かせ、その通りやって命中させたのである。恰好さえよければ万事OKだと思う。「恰好だけは一人前」ではない。「恰好さえよければ一人前以上」だと思っている。小説だってそうだ。文体さえ完成すれば、しぜんと内容もよくなると思っている。
(強調は引用者)

僕がこれを読んだのはたしか大学に入ってすぐの頃でしたが、当時はこの言葉にもの凄く勇気づけられました。背伸びして良いんだ、と。
ついでにもうひとつ、勇気の出る言葉を紹介しましょう。こちらは『森博嗣ミステリィ工作室』の中で、森先生がエドガー・アラン・ポー『モルグ街の殺人事件』を紹介している部分から。

ポーの作品のうち、『モルグ街の殺人事件』『盗まれた手紙』『マリー・ロジェエの怪事件』『黄金虫』の4短編は、世界で最初に書かれたミステリィといわれていますが、そんなはじめの作品から、既にとんでもないトリックが使われているという点が驚異です。「これが探偵小説の最初です」ということで、ちょっとした謎から始まった、というのではなく、最初からこのクラスのものが来たというのは、人間の発想のあり方を象徴しています。人間は順番を踏んで進まない。必ずやりたいことから始めるのです。おそらく、こんな凄いトリックを思いついたからこそ、ミステリィとしてスタートを切ることが出来たのでしょう。
(強調は引用者)

森先生の小説は高校生のころ貪るように読みましたが、あれだけ1人の作家から影響を受けることは、もうないでしょう。若いときにしか出来ないことです。ちなみに、『森博嗣ミステリィ工作室』はミステリィガイド本として非常に秀逸なので、ファン以外の方にもオススメ。

森博嗣のミステリィ工作室 (講談社文庫)

森博嗣のミステリィ工作室 (講談社文庫)