司法は社会秩序を守らなくてはならないのか

大阪市平野区の自宅で当時46歳の姉を刺殺したとして、殺人罪に問われた無職大東一広被告(42)の裁判員裁判で、大阪地裁は30日、求刑の懲役16年を上回る懲役20年の判決を言い渡した。
判決理由で河原俊也裁判長は、約30年間引きこもり状態だった被告の犯行に先天的な広汎性発達障害の一種、アスペルガー症候群の影響があったと認定。その上で「家族が同居を望んでいないため社会の受け皿がなく、再犯の可能性が心配される。許される限り刑務所に収容することが社会秩序の維持にも役立つ」と量刑理由を説明した。
――「姉殺害に求刑超え懲役20年判決 発達障害で「社会秩序のため」」『47news』2012年7月30日http://www.47news.jp/CN/201207/CN2012073001002297.html――

このニュースを読んで思い出したことを少し。
犯罪人類学という、いまやほとんど忘れ去られた、法学に対して興味のある方でなければ知らないであろう学問が存在します。簡単に言えば「犯罪者になりやすい人間というものがいて、その人間は『犯罪を犯す前に』科学的に特定できる」と考える、犯罪学のいちジャンルです。もちろん細かく見ていけば「遺伝決定論」「環境決定論」「遺伝・環境折衷論」という風に腑分けすることもできるのですが、ここではそういった違いよりも、犯罪ではなく犯人を重視した点が彼らの新しさであった、と考えておきましょう。
この19世紀末に生まれた犯罪人類学は、資料操作の恣意性・非科学性により第二次大戦後までには影響力を失っていくのですが、一方では同時期の新派刑法学、間接的には日本の現行刑法にまでその影響を見ることができます。その意味では、犯罪人類学は決して過去の遺物ではない、ということです。
以上の事情は現在の法学史的にはもはや常識に属するのでしょうが、しかし、今もってまず参照すべきはフーコーの「19世紀司法精神医学における『危険人物』という概念の進展」(1977)という講演の記録でしょう(『思考集成』7巻に所収)。この講演でフーコーが注目するのは、民法における「無過失責任」論と、刑法における司法精神医学・新派刑法学の関係です。司法精神医学は犯罪そのものよりも、むしろ犯人が危険人物であるかどうかによって量刑を決めるべきである、と主張しました。この転換はある意味「司法の医学化」「刑罰の医療化・教育化」というべきものですが、しかしその前段階に民法の無過失責任論があったのだ、とフーコーは述べています。つまり、過失の有無、実際に与えた損害の多寡によってではなく、「それ自体の危険性」に応じて責任を負うべきであるという民法の無過失責任論が、刑法における「犯人自身の危険性」によって量刑を定めるべきであるとする新派刑法学を準備した、ということです。
このようなフーコーの見通しを日本の法制史・法学史に即して実証することは、おそらく容易であろうと思われます。実際、20世紀初頭に民法学で無過失責任論を唱えはじめた人間と、刑法学で新派刑法学を導入しようとした人間は重なっています(代表的な人物として、牧野英一を挙げておきましょう)。ただ、こうした「犯人自身の危険性」を軸にした新派刑法学を評価する際には、この学派がついに刑法学の主流にはなり得なかったということを無視すべきではないでしょう。なぜか。理由ははっきりしています。「危険人物」などという概念は、刑法典を探しても出てこないから、です。
丸山真男にならって「密教」と「顕教」という言葉を使うならば、犯人自身の危険性によって量刑を定める立場は、現在に至るまで「密教」であって「顕教」にはなれませんでした。もちろん、初犯に軽く再犯に重い量刑基準、犯人の「改善」によって行われる仮釈放など、「密教」が実践されている例はいくらでも挙げることができます(だから実は、冒頭のニュースにもあまり驚きませんでした)。ただ、その場合でも、例えば「立法者の意思」を持ち出してみたり「法の目的」を持ち出してみたりと、いかにもその決定が法典から直接導き出されたものであるかのように振る舞われてきました。こうした「法の外から持ち込まれる利益=社会秩序の維持など」と「法の内=法典の体系性」との緊張関係が、近代法学の基調をなしていた、と言うことができるでしょう。戦前に活躍した牧野英一は「法律の進化」を唱え、近代の司法は「社会の秩序の維持」を目的とし、「危険人物」を特定し教育=治療することでそれが達成されると考えました。しかし、刑法を通した社会秩序の維持を重視した牧野自身が、司法への民衆=素人の参加、すなわち陪審制の導入に反対し続けたことは、この緊張関係を象徴しているように思われます。
では、現在の司法に起こっている事態とは、どのようなものなのでしょうか?
近代以降、法はつねに「できるだけ多く・できるだけ広い」問題を解決することを志向してきました。しかし、それをあくまでも上記のように「法的に解決」しようとすれば、おのずと限界が存在します。その限界は法解釈技術の洗練によって広げることはできるものの、それでもやはり限界は存在するのです。それによって生じる「法的な解決になじまない問題」は、法の外で解決されなければなりません。たとえば家族、たとえば地域共同体がその主要な担い手となるでしょう。
現在においてはそうした司法外の存在に問題解決を期待することが難しくなり、
1.司法に対する期待値が高まっている。
2.しかし、刑罰の教育効果に対して、あまり期待がもたれていない。
3.判決のなかに、裁判員制度に象徴される「常識」を組み入れることが求められている。
という事態が生じ、厳罰化が進んでいるのでしょう。時には露骨な形で「法の外」に依拠する形で。しかしそれは最近になっていきなり起こったことというより、その下地として、裁判官は「人間の専門家」であるべきだとする戦前以来の言説が挙げられるように思われます。事件と法典を入力すれば自動的に判決が出てくるコンピュータ(=概念法学)ではなく、人情を解し社会の実情を知悉する裁判官であるべきだとする言説はどこの国でも割とよく見られるものですが、日本の場合は概念法学と同時に概念法学批判が輸入された点に特色があります。形式主義を実践した歴史がないまま、形式主義批判が行われた、と言い換えてもよいでしょう。そのことがもたらしたひとつの帰結が、冒頭に掲げた判決なのかな、と思った次第です。
(正式な判決文も読んでないのに与太を飛ばしてしまった)

(追記)
判決要旨を山本真理さんがアップロードしてくださいました。
http://t.co/XQsq6DZ7

なお、フーコーの「危険人物」論文については、金森修、重田園江による専論があります(重田さんの論文は『現代思想』に載っていたはず)。

日本の新派刑法学については以下がおすすめ。