伊藤博文は死の間際に「馬鹿な奴だ」と言ったのか?

明治42年(1909年)10月、ロシア帝国蔵相ウラジーミル・ココツェフ(ココフツォフ)と満州・朝鮮問題について非公式に話し合うため訪れたハルビン駅で、大韓帝国の民族運動家・安重根によって射殺された。このとき伊藤は「3発あたった。相手は誰だ」と叫んだという。安はロシア官憲にその場で捕縛された。伊藤は絶命までの約30分間に、側近らと幾つか会話を交わしたが、死の間際に、自分を撃ったのが朝鮮人だったことを知らされ、「俺を撃ったりして、馬鹿な奴だ」と呟いたといわれる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E5%8D%9A%E6%96%87

最近2chまとめブログで「韓国併合に反対だった伊藤を暗殺した安重根は馬鹿だし、その安を英雄扱いしている今の韓国政府も馬鹿」みたいな話をよく目にするのですが、その論拠になっているのが(たぶん)上記のwikipediaの記事だと思われます。しかし、出典が書いてない(つまり何を根拠にして書いているのかがわからない)のです。
近年『日本史研究』誌上で「いつ伊藤博文韓国併合に同意したか・伊藤はどの程度具体的な韓国統治構想をもっていたか」をめぐる論争が行われています。どの時点で同意したか、は問題になっても、伊藤が死ぬまで韓国併合に反対していたか否か、は問題にならないようです。そうであるならば、伊藤が死の間際に「(韓国併合に反対の)俺を撃ったりして、馬鹿な奴だ」と呟くのは少し不自然ではないでしょうか。でもまあ、反対していた時期もあるのだし、撃たれて気が動転していればおかしくないのか?わかんないですね。
出典をご存知の方は教えてください。