『最終試験くじら』デモムービーに関する雑感

先週あたりから暇をみては『おねがい☆ツインズ』を観返していたのですが、その勢い(?)で、同じく井出安軌監督の『最終試験くじら』デモムービーを繰り返し観ています。テレビアニメを中心に活動している監督がエロゲのデモムービーを作った例としては、他に新房昭之監督の『THE GOD OF DEATH』が挙げられますが、こちらは良くも悪くも「エロゲらしくない」のが特徴。それに対して『最終試験くじら』は、『おねがい☆ツインズ』で使われた技法を応用しながらいかにもエロゲらしく、それでいて緻密な構成により観る人の情動を喚起させる、極めて秀逸なデモムービーになっていると思われます。ダウンロードは↓からどうぞ。
http://circus.nandemo.gr.jp/sakuhin/kujira/dl/index.html

物語のOP映像は殆どの場合「キャラクタ紹介」の機能を持っているという点で共通しており、「歌詞と映像に関連性を持たせるかどうか」「楽曲のイメージと映像を同調させるか対立させるか」によって違いが生まれてくるわけですが、『くじら』は歌詞と楽曲と映像のイメージがそれぞれ一致した、割とオーソドックスな形態をとっています。ただ、この作品の場合はキャラクタ紹介よりもむしろ、くじらが空を飛ぶ神秘的な世界観の紹介に重点が置かれている、と言えるでしょう。暗闇の底から現れたくじらは夕焼け空に再び現れ、昼の空を泳ぎ、そして少女の胸の中に返って行く、というストーリィ性の高さにも注目です。
主題歌『ディアノイア』についてはeufoniusの楽曲中1,2を争う出来だと思いますが、ここでは歌詞中の

微笑みの涙の跡 
夏に降る雪のように
風のように雲のように
ほら 包み込む愛がある

という一節が、映像における「最大」と「最小」の逆転・反復と対応していることを指摘しておきます。どういうことか。この部分が歌われる辺り、草原に佇む少女たちの上空で巨大なくじらが空を泳ぎ、少女たちに影を落としている。くじらはやがて画面の奥に消え、代わって画面いっぱいに「くじらの少女」の姿がディゾルブで現れる。彼女はくじらの泳ぐ水球(=世界)を抱きしめる、という場面が描かれていて、「小さな少女」「巨大なくじら」という対比が逆転して反復されるわけです。


このシークエンスはゲーム本編の入れ子構造を暗示することが一応の役割なんでしょうが、それとは無関係にぐっと来るものがあります。巨大なくじらを包み込み、優しく微笑む「くじらの少女」の圧倒的な存在感。というか子どもを抱く母親の姿ですね。あと「オタクって白のワンピースが好きだよね〜」と僕の知り合いが言っていましたが、実際僕は好きですよ(他は知らん)。幼さと母性が絡み合い、倒錯した魅力を出しています。
いきなりクライマックスから話を始めてしまったので、戻って戻って序盤の草原のシーンについて。2つのカットを使って何もない草原を映し、ノートが置かれたベンチにたどり着く辺りの話です。


ここではカメラをパン(首振り)させて草原の景色をなめるように映しているのですが、この場合におこる自然な見え方としての「遠景と近景が違った速さで動く」という現象を忠実に忠実に再現しようとした結果、何だか落ち着かない感じの映像になっています。ただ、それによって平原の広さが印象付けられているのも確か。続けて、風で頁のめくれる本を置くことで人間の不在を示した後、「くじらの少女」は空に手を伸ばし、もうひとりの彼女と手を繋ぐ。そうしてこの世界は一変し、物語は始まります。


続くキャラクタ紹介は、『おねがい☆ツインズ』で使われた技法を裏返したものである、と言えるでしょう。『ツインズ』では固定された画面の中を人物がジャンプするように移動していましたが、『くじら』はその反対、人物は固定されたまま背景だけが変化します。均質な時間で区切られたカッティングとフルショットは、その後にやってくるクローズアップによる連続カットのいわば予備動作として機能している、と言えるでしょう。そしてまた、背景と人物の結びつきをぶっきらぼうに断ち切ることで彼女たちの遍在性を印象付け、終盤、くじらの下に彼女たちは集合します。

そして、これまでのゆったりとしたリズムを打ち破るような勢いで、大地から敢然と現れるくじらの姿。映像は一気に加速していき、そして「くじらの少女」の胸の中へと返って行く……という感じでしょうか。

くじらの登場に続けて現れるヒロインたちのバストショットは短い時間で現れては消え、それほど動きがあるわけではありません。だからこそ、笑顔を浮かべているようで、消える間際に見える物憂げな表情がとても印象的に見えます。
背景と少女たちはセピア色で描かれ、その前方を小さなくじらが横切って行く。このときのくじらは『電脳コイル』のある挿話を連想させるような姿をしていますが、キラキラと輝き、物憂げな少女たちとは対象をなしています。その次のカットではくじらと少女たちの大きさが再び逆転し、くじらの下で晴れやかな笑顔を見せる。そのあとさらに逆転して「くじらの少女」に包み込まれる……という対比構造の連鎖が非常に面白いと感じました。