網野善彦と『もののけ姫』の話

今日は何かと網野善彦と縁のある日でした。まずは宮本常一(みやもと・つねいち)『忘れられた日本人』のサブテキストとして読んだこちらの本から。

『忘れられた日本人』を読む (岩波セミナーブックス)

『忘れられた日本人』を読む (岩波セミナーブックス)

2003年に出版された本ですが、その5年前に公開された『もののけ姫』に言及する箇所があります。『もののけ姫』が網野史学を下敷きにしていることはもはや常識であり、網野自身がそれに言及しているものとしては「映画『もののけ姫』パンフレット」や「特別座談会 アニメーションとアニミズム 梅原猛宮崎駿網野善彦、高坂制立、牧野圭一」(『木野評論』臨時増刊号 1998.10)が知られていますが、これらはいずれも討論という形であり、網野が単独で語っているのはこれだけじゃないかと思われます(間違いだったらごめんなさい)。以下、一部抜粋して紹介します。

もののけ姫」とアジール
余談になりますが、「もののけ姫」という映画が大ヒットしました。宮崎駿さんの映画で、ご覧になった方も多いと思いますが、私はあの映画がつくられていることはまったく知りませんでした。ところが公開された途端に、突然あちこちから感想を聞きたいという電話が入ってきたのです。観なければ感想も言えないということになり、十数年ぶりに映画を観ました。音響効果のいい劇場で、映画芸術がここまで進んだかということを、時代遅れの私のような人間が痛感するよい経験でした。
宮崎さんとプロデューサーの鈴木敏夫さんのお二人からあとでお話をうかがうこととなりましたが、あの映画はよく考えられていて、いろいろな「仕掛け」があるように思います。人間の設定したアジールである「踏鞴場」に対し、日本列島の社会では「山林」がアジールですが、そうした自然のアジールである森とを対立させていると受け取れます。自然のアジールである森には「データラボッチ」というまさしく民話の世界に出てくるような存在や、もののけ、こだまが現れるのに対し、人為的なアジールである踏鞴場には非人と牛飼、女性、そして遊女を宮崎さんは配されたのです。
あの映画の踏鞴場の場面に出てくる、身体をホウタイでぐるぐる巻きにした非人の長吏とみられるハンセン病の人が出てきますが、覆面をして柿色の衣を着て、絵巻から取り出されたような犬神人が石火屋衆という役割で鉄砲をつくっているのです。
ただ、牛飼の髪の結び方を、もう少し公証なさったら面白かったかと思います。中世の牛飼は烏帽子を被れないので、ポニーテールのような髪型をした童姿をしていますが、姿は少しちがっているとしても、宮崎さんはこうした牛飼たちを配して、さらにその女房たちや女性たちに踏鞴を踏ませています。これは中世についてずいぶん勉強された上でつくられているという印象をもち、感歎していたのです。

牛飼の髪の結び方って。こちらのページに図版がありますが、「髪あららか」つまり簡単にまとめてあるだけなのが正しい、ということらしい。しかし、そんなことに気づく人は何人いたのでしょうか……。
このあと、最近の学生に映画を観せても非人やハンセン病のことに気づかなかった、という話が続くのですが、長くなるので略。
で、帰りに寄った本屋でこんなの見ました。

網野善彦に代表される戦後歴史学は、マルクス主義の立場から中世民衆がいかに自由だったかを強調してきたが、それは誤りである、というのが基本的な主張。ちょっと待て、それは違うぞ。
網野が自分のことをマルクス主義者だと言っていたのは事実ですが、それと氏の研究とは多分に乖離しています。マルクス主義史観における問題の中心は生産手段、この場合は土地制度ですから、そこに重点を置かない網野は異端だと言えるわけで、だからこそガチのマルクス主義者である永原慶二や安良城盛昭といった研究者は、ことあるごとに網野に対する批判を口にしていたわけです。さらに言えば、別に網野先生が歴史学を代表していたわけでもありません。初期の『中世の非農業民と天皇』をピークに、その後は一般の評価と歴史学界での評価はやや離れていました。
何故だかよくわかりませんが、「戦後歴史学」って批判の対象になりがちなんですよね……。ひとまとめにできるほど単純でもないし、馬鹿にしたものでもないと思うのですが。