最近の「メタご都合主義」作品について

よほど売れているのか近所の書店では全然見かけなかった、丸戸史明ラノベ冴えない彼女の育てかた』をようやく読了。私には正直合わなかったのですが、オチはものすごく丸戸らしかったですね。

冴えない彼女の育てかた (富士見ファンタジア文庫)

冴えない彼女の育てかた (富士見ファンタジア文庫)

ところで最近、虚淵玄の『まどか☆マギカ』、田中ロミオの『人類は衰退しました』と、ゲームやアニメにおける「ご都合主義」の存在を擬人化したり象徴化したりする作品が目につきますが、丸戸『冴えない彼女の育てかた』もその系列に入るのではないかと思います(あと伊藤ヒロの『アンチ・マジカル』)。奇しくもエロゲのシナリオライター、それも有名どころが勢ぞろいの観がありますけど、似たようなモチーフのなかにそれぞれの作風が出ていて面白いですね。
虚淵玄のご都合主義は、後味が悪い上に、廃墟と人々の犠牲で成り立つもので、
田中ロミオのご都合主義は、やたら強引にハッピーエンドへ持っていくのだけど、ご都合主義の内部には明確なルールが存在していて、
丸戸史明のご都合主義は、周りの人々の親切心によって作られていて、主人公とヒロイン以外はあまり得をしない。
といった感じでしょうか。彼らはそれぞれ異分野に参入するにあたり、自分たちがこれまで書いてきたことをメタ的に新しい作品に持ち込むという、ある意味もっとも無難な方法を選んだということなのだろう、と思われます。
ところで最近のエロゲではminoriの『すぴぱら』が面白かったのですが、この作品で試みられた「『登場人物は実在の人物をモデルにしている』という設定」(ややこしいな)は、現実と物語のギャップを強調する点で上記の作品と近い関心があったのかもしれません。登場人物が実在することを示すためにminoritwitterで費やした労力は大したものだと思いますが、そこはあまり面白さにつながらなかったとも思います。結局のところ我々が望んでいるのは「ご都合主義」であって、ご都合主義を相対化する物語も、やはりご都合主義的に進められなくてはならない、ということなのかもしれません。