『Rewrite』論のためのノート(1)
- 出版社/メーカー: KEY
- 発売日: 2011/06/24
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・森の暗さ、命の不気味さ
神戸小鳥「命って、汚くてくさくて、不気味なものだよ」
(共通:10月23日)
共通パートで繰り返し強調されるのが、物語の舞台である風祭市の郊外に広がる森林の深さであり、その奥に生きるものたちの不気味さです。市民が立ち入ることのできる「管理された森」が市街地のそばに広がる一方、その奥には得体の知れない虫や鳥、果ては「魔物」たちが生きている。まずはこの対比が示されます。
そして、この対比によってあらわされるもう一つの対比が、「管理された森=人間が環境(地球)を保護しなければならない」という思想と、森の奥にうごめく生命を、それとして肯定する思想です。共通パートの時点では、主人公は前者の立場にあります。緑化都市として有名なこの都市において、年に何度か、市街と接する森林部に強力な殺虫剤をまいているということを主人公は知りますが、「偽りの緑化が、人々には必要だ。/清潔な緑でなければ、人は耐えられない。そして少なくとも風祭には、それがある。」(10月23日)
物語の後半において、この「不気味な森」を、生々しい命を肯定する方向に進んでいくことになるわけですが、問題はその論理です。
・森という異質な空間
緑が濃い。確かにそうだ。あまりにもその濃度が高いと、虫さえも生きていけないのではないか。
(共通:11月6日)
千里朱音「システムは全て繋がっている。調整とは、全体を見渡す高い視点がなければ成立しないわ」
(共通:11月6日)
『最果てのイマ』においても森は物語が転換する重要な舞台として描かれていました。森の奥に進むと、いくつかの巨木が枝を広げ、全体として薄暗い空間が広がっている。それは「光の収奪」と形容されますが、地面の生物たちはそれほど光を必要とせず、均衡が保たれている。そこで生物が生まれ、死んでいく。「有機的」という言葉を象徴するような空間です。森の奥には1本の老大樹が生えていて、森という有機的ネットワークの中心をなしている。その「王」たる大樹をまえに、主人公たちは語り合います。
忍「さっきの話だけど……沙也可は何に生まれたかったの?」
沙也可「生まれたかったわけではないけど、適切だと思ったのは木かしらね」
忍「なるほど」
沙也可「木は心象領域において常に一人だわ。静的にシステムに組み込まれ、自由な発想が許される。もっとも彼らの心のほとんどは、ごくごく小さな花火のような刹那的なものだけれど」
(中略)
忍は大樹を見やった。
見るからに、大木は魂を失っているようだった。
王は魂を持たない。
王は統治者としての機能が全てであり、人格は必要とされない。
(『最果てのイマ』本堂沙也可編「ブチとマルの墓参り」)
「木になりたい」という沙也可の願いが『Rewrite』においてどのような帰結をたどるかは、次回以降の話。
ひとつ、素朴な疑問を提示するなら、まるで人間が生まれる以前の世界がもっとも合理的であり、人間が生まれたあとは非合理化する一方である、というような世界観が示されているような気がしないだろうか。
・外界干渉者と自己改革者
ルート分岐の鍵となる選択肢、世界に不満があるのなら「世界を変える」か「自分を変える」か。これも『イマ』に同様の問答があらわれます。世界が滅んでしまったら、それでも他者を求めて外へ向かうか、それとも内に閉じこもるか。主人公の回答は「どちらも同じ」。自分ひとりの世界において、世界は私と一致する。それとは違った答え方があるはずだ、と言っているように思われます。