「社会人」の概念史(2)

だいぶ間が空きましたが、前回の続きです。
前回は大正15年までを調査し、その結果
1.「社会人」という言葉自体、あまり使われない。
2.使われたとしても(監獄の囚人などと区別される)「一般社会で生きている人」くらいの意味。
3.戦後の早い時期に「社会人=職業人」という用法が確立する。
4.ということは昭和戦前期あたりに用法の転換がありそうだが、「特殊領域」と「一般領域」を区別しその一方を指す、という風にみれば用法は一貫しているのかもしれない。
ということが判明しました。
ところで前回の記事を書いたあと、近代デジタルライブラリーに昭和戦前期の資料が追加され、検索をかけるだけでこの時期における「社会人」の用法を追うことができるようになりました。いやー、便利な時代になりましたね*1

(1)信濃教育会編『支那の事情』昭和2年
第4章「支那社会と其の組織」第1節「現代社会人と政治」
用法は明瞭で、「官僚」と区別される「一般社会人」。ここでは古代中国において官僚制が整備されると、「一般社会人」は政治に無関心になり、「政治は政治、社会は社会といふ相異なった階級」が生まれた、という話が書かれています。ちなみに長谷川如是閑は「社会」を非政治的領域として定義しており、それほど珍しい用法ではないと思います。


(2』北沢種一『現代作業教育の諸問題』昭和6年
第9章「社会生活による社会人の教育に就いて」
これも「社会」の用法を考えるうえで典型的な例。筆者はゲマインシャフトを「同情社会」と呼び、学校もまたそのような「同情社会」でなければならない、ということを書いています。学校というのはそもそもひとつの社会であるはずなのだけど、そのことは「必ずしも明に認識されて居らなかった」(103頁)。社会学っぽく言えば「観察の失敗」が指摘されています。で、よく考えれば学校もひとつの社会なのだから、「学校生活によって社会の何者たるか、社会人の何者たるかを体験することが出来る」と(115頁)。
ここでも社会人と職業に結び付きは存在しませんが、学校の特殊性と社会の一般性の対比、人々が「本当の社会」を観察し損ねていることの指摘などが注目されます。


(3)山枡儀重『人間生活の教育』昭和8年
第3章「教育行政論」第3節「教育改革と社会人」
「教育者」「官吏」と(議員である筆者を含む)「社会人」の対比。筆者はもともと教育学者で「議員や俗人になにがわかるものか」と思っていたのが、その後「社会人の見方にも三分の理はある」と思うようになった。教育者は往々にしてセクショナリズムに流れがちなので、「社会人の意見」をもとに教育改革をすべきである、とのこと。
これも「特殊領域」VS「一般領域」ですが、その特殊領域たる教育も「社会」の一部であり、そのことに気づいていないのはおかしい、という論旨なので、これも「観察の失敗」を指摘するのが主眼であると読めます。


(4)宮城長五郎『法律善と法律悪』昭和16年
第3篇「国策論」第3節「社会人よ須く人間に学べ」
「人間に学べ」というのは人体のことを指しており、人体の構造と社会の構造は似ているという、いわゆる社会有機体説が展開されています。時代を反映して「生産増強」が問題となっており、身体の各部分が全体のために協力しあっているように、「社会人」もそれぞれ滅私奉公して生産を増強しなさい、という話。ここでは確かに「社会人=職業人」ですが、むしろ「そうでなければならない(無為徒食は許さん!)」という話であって、そういう風に定義されているわけではなさそうです。


(5)奈良女子高等師範学校附属国民学校学習研究会『学習叢書 第1輯』昭和21年
第1章「新しい構想」第1節「新しい人間」、第4章「若い社会人」
教育の目的は「善き社会人」の育成にあると宣言され、その社会人とは「公民」的性質を備えたものである。学校は従来の「伝達的」「教授的」「不生産的」態度を改め、児童の主体性が発揮される「生産的」な場にならなければならない。
これまで挙げてきた例からも、「社会人」という言葉はどうやら「教育」、正確にいえば「伝達的」で「不生産的」な学校との差異を根拠としていると言えそうです。


だんだん猪瀬直樹的な「社会人」(働いている人間は自分でものを考える)に近づいてきたような……
(当時の就職ハウツー本なんかを見れば一番手っ取り早いのでしょうけど。続く?)

*1:当然のことながら、それは「言葉の用法の変遷を追っていく」という語義史一般の価値低下を伴うわけですが、私としてはそれも含めて肯定したいと思います。だって「あの時代に〜という言葉は〜という意味でつかわれ、別の時代には〜という意味でつかわれた」なんて話は、それだけで何か価値があるというわけではそもそもなく、そもそもブログで書くくらいでちょうど良いと思うのです。うまく料理をして、それで従来とは異なる歴史記述ができるのであれば論文にすれば良いわけで