夜這いについて

日本における性の慣習について、最も誤解されているのが、男女交際や婚前交渉に関するものではなかろうか。しばしば、「戦前は男女の交際については厳格で、婚前交渉などもってのほか」という状況が普通であったかのように言う向きがある。
しかし、そうした状況は、あったとしても都市のごく一部に過ぎず、日本の大部分を占めていた地域では、性に対して非常にオープンであったことが数々の資料によって明らかである。

「夜這い」にみる歴史的婚前交渉への誤解

昔の日本では夜這いなんて普通だよ普通、というのは基本的に正しいのですが、例えば村方三役に入るような地主さんの家と、それ以外の家とでは、たとえ同じ村に住んでいても別の文化に属していたことを忘れてはならないでしょう。夜這いにせよ、それを取り仕切る若者組にせよ、いいとこの坊ちゃんは参加しないしされないのです。そんな事情もあって、江戸時代でも村長は自分の村で行われている夜這いの風習を蔑視している場合が多かったようです。
それが表面化するのは、江戸中期から末期にかけて活発化する村の再建活動においてでした。報徳思想(二宮尊徳の弟子による)や大原幽学などの影響により、村の風俗改良が行われるようになる。そうすると、村民とはもともと別の文化に属していた村長クラスは、風俗改良の一環として、また村の祭事に関ることで村役人からも相対的に自立した権力をもっていた若者組を批判する文脈において、夜這いの風習を容赦なく「悪習」として批判するようになります。少なくとも戦後において突然批判されるようになった、というわけではありません。
「夜這いは日本の風習」という言説が、現代の過剰な性の抑圧に対するアンチだというのは理解できるのですが、「日本」という枠組み、前近代から一貫する「日本人」という枠組みを共有するという点では、批判対象と同じであると言えるのではないでしょうか。