マジョリティとして歴史を語るために

逆説的に聞こえるかもしれないが、「わたし」が「あなた」の苦しみに「共感」することができるのは、「あなた」が「わたし」の苦しみと共約不可能な苦しみを経験していることを理解したときに、はじめて可能である。苦しみの共約不可能性があるからこそ、苦しみの「共感」が生まれる。「あなた」が苦しいのわかるが「わたし」だって苦しいのだと居直るならば、「わたし」はけっして「あなた」と出会えないだろう。
――イ・ヨンスク「マジョリティの『開き直り』に抗するために」―ー

歴史学という制度のなかでは末端の末端ですが、一応それに関りを持っている者として、歴史修正主義相対主義――イ・ヨンスクの言葉を借りれば「加害者」「支配者」「マジョリティ」の「開き直り」――にたいしてどのように抵抗するか、という問題について継続的に考えてきました。いくつか記事にして過去ログ「歴史学」のなかに収めていますし、また、完全に自分のスタンスが決まったというわけでもありません。ただ、暫定的にでもこれまでの成果をまとめておくことは、後の自分のために、あるいは広く問題を提起する上で多少は役に立つかもしれません。そういうわけで、ざっくりとまとめてみました。


継続的に反歴史修正主義の運動をされている方の一部を、多少の揶揄を込めて「はてサ」などと呼びますが、あるいは自分もそのなかに入るのかもしれません。しかし、例えば「南京事件はなかった」説にたいしてくり返し「いや、南京事件はあったんだ」という「歴史的事実」を対置させ、彼らの無知と偏見を批判するやり方には、どうしてもついていけないものを感じます。
つまり、戦略として純粋な「歴史的事実」を持ち出す彼ら自身のポジショナリティは、いったいどこにあるのだろう?と。「歴史的」な出来事として南京事件を語ることと、事件の生存者として南京事件を語ることのズレ、「日本史」として南京事件を語ることのズレ。「いや、われわれは包括的な観点から語っている」というのならば、スピヴァクによる次の問いに彼らはどう答えるのでしょうか?

「私はアメリカの学生にこう尋ねます。『あなたに何の準備もなしに世界を考えることを可能にしている刻印とは如何なるものだと考えますか?』」
――ガヤトリ・スピヴァク「一言で言えば」――

スピヴァクはこうして「戦略的に」ネイションや民族の歴史を語り出すわけですが、このためらいをどう引き受けるのか、という点が問われているのではないでしょうか。先日の高橋直樹・はてサ論争についても、どちらが正しいということはともかくとして、あの泥仕合的な様相は、これまで問われてこなかった「発言者のポジショナリティ」を問われたマジョリティの戸惑いを表しているように思われます。例えばレイシストがマジョリティとしての威を傘にきて在日朝鮮人を差別するとき、それを批判するはてサはどういった立場から物を言っているのでしょうか。レイシストと同じマジョリティに属している以上、在日の立場を代弁することなど出来ない。もちろん単なるマジョリティでもありえない。in-betweenes、この引き裂かれた「居心地の悪さ」を引き受けることが、表現者として最低限必要なことではないかと思われます。
このように「はてサ」を批判したからといって、彼らの批判対象である相対主義――歴史の共約可能性を放棄し、「わたしの歴史」「日本人の歴史」だけあればよいとする考え――に同調しているわけでは、決してありません。おそらく彼らも、対外的に用いる統一見解の必要までも否定しているわけではないでしょう。では、それをどうやって決めるのか。E.ルナンの言葉を借りれば「日々の一般投票」ということになるのではないでしょうか。差異は差異のまま、機械的に集約してしまえばよい、というわけです。彼らにとって「日本の歴史」とは、あくまでも個人的に選びとるものでしかありません。それはちょうど、戦後の丸山真男が、近代的ナショナリズムは「日々の一般投票に基づく」と述べたことと近似しているように思われます。
では、「日本人であること」「オフィシャルの日本史」を選ぶための投票権を持っているのは、いったい誰なのでしょうか?南京事件があったかどうかを判定する場合、中国人の生存者は投票権を持っているのでしょうか?丸山真男の戦後知識人としての出発が植民地支配の忘却によって成り立っていたように、相対主義とその帰結としての「意識的な選択」のなかには、「われわれ」と「他者」の境界を固定化する暴力が胚胎されているのではないか、という問いがなされるべきではないかと思います。


どこか無限否定的な様相を呈してきましたが、私からはとりあえず、次のような認識を議論の前提として提示してみたいと思います。
「歴史の差異化を必要とするような過去があり、同一化を必要とするような現在がある。どちらも無視してはならない」
なぜ、ヴァルター・ベンヤミンはくり返し翻訳の多義性を説きながら、「純粋言語」という全体性への回帰を目指そうとするのでしょうか。また、酒井直樹はなぜ伝達の失敗に目を向けることを説きながら、われわれを結びつける絆を捜そうとするのでしょうか。彼らにとって、差異化と同一化はそもそも相容れないものなのでしょうか。
以上のような問題を考えるときに、「作者」と「読者」の関係について説いた、柄谷行人のつぎの文章が参考になります。

作品の思想は、作者が考えているものとはちがっているというだけでなく、むしろそのような思想をもった「作者」をたえずつくり出すのである。たとえば、漱石という作家はいくども読みかえられてきている。かりに当人あるいはその知人が何といおうが、作品から遡行される「作家」が存在するのであり、実はそれしか存在しないのである。
――柄谷行人マルクスその可能性の中心』――

ここで柄谷の言う「作者」を「歴史的事実」と、「作品の思想」を「歴史認識」と置き換えれば、両者の関係は明確になるのではないかと思われます。柄谷の論理から言えば、「作家」という概念を完全に手放してしまうことで、個々の読者によって生み出される作品像が共約的な共同性にまとめ上げられる機会を完全に失ってしまうことになります。もちろんその共同性は、ベンヤミンの「純粋言語」がそうであるように、決して明確な形で顕現することはなく、同時に個々の作品像によって絶えずズレていくものですが。
ホミ・バーバが言うように、何かについて語ること(narrative)はつねに両義的な出来事であると言えるでしょう。歴史について語ることは、その歴史を「われわれ」のものとして同質化を進めると同時に、そのような同質性の内部に亀裂を入れ、異質なものを見いだすことにも繋がります。デリダの用語で言えば「代補」という働きですが、その「代補」の作用を見いだし、つねにそれを拡大していこうとするならば、歴史についてのナラティブこそが、同質性による共同体ではなく、差異を有する人々との共存の場にもなるわけです。
もちろんその過程では、くり返しディスコミュニケーション(歴史観の齟齬)に出会うことでしょう。しかし、酒井直樹が言うように、「「われわれ」がバラバラであることを教えてくれる伝達の失敗は、だから、「われわれ」のもっとも根本的な社会性を告知してもいる」のもまた事実なのです。「われわれ」の間でさえ、正しく意味を伝達することは出来ない。しかし、それにも関らず、われわれは会話をすることが出来る。語り掛けることができる。これが「普遍性」という言葉の意味ではないでしょうか。

歴史的責任を負うということは罪を引き受けるということではなく、何よりも、個人としての応答義務を引き受けることであり、応答の発話主体としてそれらの集団への自己確定を行うことなのである。……「応答」には相手によって語り手の発話の表現やメッセージが受理されることは含意されていない。「応答」は「語り掛け」の一種であって、「語り掛け」には伝達の不確実性が前提されている。「応答」には伝達が保証されていないから、「応え」が相手に伝わることも伝わらないこともある。したがって、人は現前しない人に向かって応えようとすることもできるのである。
――酒井直樹「倒錯した国民主義と普遍主義の問題」――

酒井が説く対話を前提としない共同性もまた、ナラティブとしての歴史の一側面を現すものであると言えます。つねに覆され、差異化される歴史を共有するということは、共同体のなかに他者との対話を拒絶するような差異化作用を含まれざるをえないわけです。この困難を前にして、なおも「われわれ」は繋がりを持とうとする意志を保つことができるのか。今のところは、ジャン=リュック・ナンシーのつぎの言葉を希望としつつ、この記事は終わりにしたいと思います。

社会はあたうかぎり共同的ではないのかもしれないが、社会という砂漠の中には、たとえ微小で捉えがたいほどだとしても、共同的なものがいささかもないということはありえない。私たちは共‐現せずにいるわけにはいかないのだ。ただファシズムの群衆だけが、具現された合一の狂気の中に共同体を無化してしまう傾向を示す。そしてそれと対をなすように、強制収容所はその本質において共同体を破壊する意思を示している。しかしおそらくそうした収容所の中にあってさえ、共同体はけっしてこの破壊への意志への抵抗を完全に止めてしまうことはないだろう。
――ジャン=リュック・ナンシー『無為の共同体』――