「もうひとつの世界 杏編」(『CLANNAD AFTER STORY』番外編)についての雑感

『CLANND』については最終話付近の展開がどうにも納得できなかったこともあり、このまま忘れてしまう予定でした。ただ、DVD最終巻に収録されている番外編「もうひとつの世界 杏編」の絵コンテ・演出が高雄統子さんだと聞き、これは一応チェックしなければ、というわけで観たのですが……。
「こいつは超のひとことで言えるもんじゃねぇ!!」(神楽)
というくらい超面白かったです。
これ、高雄統子さんの演出回のなかで一番良く出来ているというだけでなく、京アニ作品全体のなかでも1,2を争う傑作回だと思います。『CLANNAD』の中で一番演出が冴えていたのは確実。「みんな観よう。這ってでも観よう!」という感じですね。なんか無茶苦茶言ってますけど……。

CLANNAD AFTER STORY 8 (初回限定版) [DVD]

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という話はともかく、注目すべきは時間の密度とカットの強度ですね。たかだか30分で収めようというのだからストーリィに多少の難があるのは確かですけど、これほど完璧な(京アニという枠の中ではギリギリな)演出の前では全く問題にならないと感じました。
いくつか例を挙げていくと、まずカットサイズの選択が非常に的確です。クローズアップを主体にしながら、ロングショットを無駄遣いせず(これ重要)、要所で効果的に使っています。構図においても、京アニ作品では画面の中央ばかり使いがちですが、今回は画面の端から端まで有効に(余白を強調しながら)利用されています。かなり前に僕が『CLANNAD』を取り上げた際には、カット繋ぎの鋭さは認めるけれどワンカットごとの強度に不満が残るという風に書きましたが、そういった不満も今回は全く感じませんでした。
まず冒頭、ここでは台詞と映像の、付かず離れずという絶妙な距離感が素晴らしい。台詞と映像がそれぞれ別の内容を語ることで時間がぎゅっと凝縮されているのですが、それでも両者はバラバラにならず、際どいところで繋がっています。原作のファンは説明不足を批判しますが、30分という尺でそれなりに話を説明できているのは、この音声と映像の並行的な用法に依るところが大きいと言えるでしょう。
中盤から終盤にかけても似たシーンが現れます。青みがかった色彩で現される、椋の心象風景。人差し指を口に当てて、秘密の約束を行う杏。これは椋の独白に対する状況説明の役割を果たしているわけですが、それをわずかに裏切ってしまうような過剰性がそこには存在しています。それは椋の声を通して杏が語りかけるという形式をとることで、声の主体が複数化され、それが向けられるアドレス――朋也と我々の内面もまた複数化されるためでしょう。椋の声を聞く朋也、杏の声を聞く朋也、という風に。
朋也が椋に向けて(と彼は思っているが、実際は杏に向けて) 別れを切り出すシーンもまた、アドレスの複数性によって特徴付けられるでしょう。最初に朋也だけを映すことで彼の独白として、カメラを椋に向けて彼女への別れとして、椋のふりをした杏への告白として。高雄さんの演出回で頻繁に使われる「縦の構図」や「マルチレベルアクション」も同じように意味づけられるかもしれませんね。声を聞く当事者の他に「観客」の存在を仄めかすことで、「声」のアドレスを複数化する。それによって、我々はアドレスを選択する自由を手に入れ、主体的に「声」を受け取ることが可能となるのです。
雨の中で朋也と杏が出会うシーンに関しては、唐突すぎるという批判は免れがたいと思います。ただ、ふたりが出会った直後の長回しであったり、帰ろうとする杏の手をつかみ、抱きしめようとするまでのたっぷりとした間の取り方であったり、水溜りを歩く足の描写であったりは、自然音によって「雨」を印象付け、それに仮託された杏の心情もまたわかりやすく表現されていました。
エンディングテーマが流れ出してから、エピローグにいたるまでの時間の凝縮具合もすごい。姉妹の和解、椋の立ち直りが矢継ぎ早にフラッシュカットで描写されるのですが、台詞と映像との、決してストレートではない緩やかな連繋によってバラバラにならず、直線的な時間の中に位置づけられています。ついでに言えば最後のキスシーンもいい。くねっと曲がった上り坂の一番奥にふたりを配置して、視線が自然に誘導されて、でも遠くてよく見えなくて、もっと見せろ!と。
おそらく後で修正するでしょうが、とりあえずこれくらいで。