『ヱヴァ破』感想

ストーリィのネタバレにならない範囲で箇条書き。
・「もしもヱヴァの監督が〜だったら」
押井守の場合」。公開前からインタビューをばんばん受けて、「初号機の角はファルスのメタファー」とか「ラストシーンはセックスの隠喩」などとネタバレして顰蹙を買う。
富野由悠季の場合」。普通に面白い映画を作って、5年後に「あんな映画を作ったせいで社会に適応できないアニメオタクを増やしてしまった。アニメなんて見てないで表に出ろ」と言い放つ。
宮崎駿の場合」。Qの主人公は小さい方の綾波になる。
出崎統の場合」。スプラッタなシーンで血がキラキラと輝き出す。観客はあまりの眩しさに目を覆う。
・ここから真面目な感想。冒頭「スタジオカラー」のテロップに合わせてウルトラマンの変身音が鳴った瞬間、吹き出しそうになったのだけど、同じ劇場にいたほとんどの人が気づいていないっぽかった。次回作のタイトルが「ヱヴァQ」って、ウルトラマン繋がり?シンジ君をサルベージしたらカネゴンになってたりするわけ?
・テレビ版においては主役3人を含めて、ゲンドウもミサトもリツコも、登場人物すべてが「チルドレン」で、親をやってるのがエヴァ初号機と二号機だけだった。「ターミネーター2」でサラが「ターミネーターが理想的な保護者」だと言っていたが、まさにそういう状況。新劇場版では「チルドレン」という言葉が一切使われなくなった代わりに、ゲンドウがきちんと父親やってる辺りが意味深。
・テレビ版もそうだけど、車の中で行われる会話は大抵ぎすぎすして、そこから解放されると同時に円滑なコミュニケーションが可能となる。これはヒッチコックの時代からそう。近くにいながら触れ合うことが出来ないというシチュエーションからの類推に由来するものか。
・「裏モード、ザ・ビースト!」という台詞を聞きながら東先生はきっと喜んでいたに違いない。確かにマリって「仮想の痛みを楽しんでいる」という点で動物化論に適合しそうだし。ただ、だからどうしたという話ではある。
・トラック27という未知の領域に進ませたのはマリで、その意味で彼女が物語のキーになるのは確実だけど、それがあくまで記号論的な意味に留まり、実際はアスカの代役レベル(兼ギャグ要員)でしかないというアンバランスさが解釈を難しくしている。
・個人的にはテレビ版最終話の「学園エヴァ」から抜け出してきたような存在だな、と思った。彼女はまさしくオルタナティブ、可能性そのものだけど、それだけに彼女自身の性格はよくわからない。
・アスカが電話をつなぎっぱなしにしながら、ハンズフリーでミサトと会話している辺りに時代の流れを感じた。相手に向かって話かけるのではなく、独白が結果として相手に聞こえてしまうという会話のスタイル。対話でありながら相手との距離を感じさせない演出だと思う。
・「ヱヴァ」の世界はおそらく、使徒と戦うためにそちら方面の技術だけが発展し、それ以外の技術や文化はむしろ遅れているのだろう。いかにも昔風の歌謡曲が流れたり、カセットウォークマン使っていたり。
・「エヴァと食事」というテーマで結構話せるかもしれないな、と思ったけど、何を書いてもストーリィのネタバレになるので略。
・シンジ君の「そんなの嫌なんだよ!」という台詞がカットされて、テレビ版の「前向きなようで後ろ向き」な性格が払拭されている。
・そのうち(ネタバレしても許される時期になったら)何か書くかも。