ラノベの文体論について

うーん、ライトノベルの読み方なんて個人の自由。つまり文章に重きをおいても勝手というものなのですが……
ぶっちゃけ文章に酔いたいなら、ライトノベルに時間割く必要はないというかむしろ期待しても不幸になるだけでしょうね。
だって、多数派の読者は流麗な文章など別に求めているわけじゃないですから。
むしろ、読みにくくなるので過剰な文章表現は邪魔者扱いされる可能性があります。
そもそも需要が少ないのだから、供給だってそれに合わせたものになるのは道理。

ライトノベル作家の文体 - バカ小説とメイドさん至上主義なまいじゃー分室

なんて言われると逆に「ライトノベルの文章表現」について真剣に考察された記事が読みたくなります。ご存知の方、ぜひ教えてください。
僕の考えとしては、「ライトノベルの感想記事」が物語に偏重しているのは事実だと思います。ただ、ライトノベルの面白さと文章表現が直結していないのかと言えば、それは大いに疑問。人は語れることしか語らない。語れないことは瑣末なことだと考える。そりゃあまあ、文体論って文芸批評全体の中でもスルーされがちな分野ではありますが。
ラノベ作家の文章は「流麗な文章」ではないのか、そもそも「流麗な文章」とは何か、何故ラノベの文章は短時間で読めるのか。
「流麗な文章など別に求めているわけじゃない」と決め付けるのは、読者としての可能性を狭めるだけでしょう。まして、新しい読み方を提示しうる感想サイトの管理人としては他にも出来ることがあるのでは?