業務(?)連絡と雑記
トンネルを抜ける前から雪国だった。トンネルを抜けてもやっぱり雪国だった。その次のトンネルを抜けてもやっぱり雪国だった。次の次のトンネルを抜けても雪国だった。雪国。雪国。どこまで行っても雪国。雪国。
富山から京都に帰ってきました。これから楽しいことをしよう!と思ったら雪がどんどこ降っていたので、意気消沈。今日は金閣寺にコアな拝観者が集まることでしょう。
もうひとつのブログを更新しました。今回のテーマは「革命」について。
http://d.hatena.ne.jp/tukinoha2/20080218/p1
「明治維新は革命と呼べるのか?」という問題がだいぶ昔に話題となりましたが、答えはおしえて!gooにも書いてあるとおり「革命の定義による」です。例えば、司馬遼太郎は奇兵隊の存在を強調して「あれは単に軍事的な現象ではなく、その出現そのものが、封建制の崩壊という点で重要」であり、体制の変化に市民階級が重要な役割を果たしたのだから「もうこれははっきり「革命」という言葉で言っていいと思う」としています。しかし、権力の担い手は前時代の権力者の中から出てきているのだから「革命」ではない、とも言えるわけで。
もっとも、こんな議論は単なる言葉遊びに過ぎないのですが……。
実家に引きこもっている間は色々本を読みましたが、専門の本を除くと、面白かったのはこれですね。
- 作者: ロバートグラッツァー,Robert Glatzer,吉田俊太郎
- 出版社/メーカー: フィルムアート社
- 発売日: 2002/12
- メディア: 単行本
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この本に何かメッセージがあるとしたら、それは「世界はもっと映画クリティックを必要としている」ということになるだろう。もちろんその全員がプロである必要はなくて、あなたの潜在意識の中にある批評家の魂が「恥ずかしいから」とか「間違っているかもしれないから」とか「自信がないから」という理由で隠されている現状がなくなるべきだという意味でこのメッセージを掲げることにした。それに「クリティック」つまり批評家という言葉が「ネガティブ」「つまらない」「悪である」と考えられないようになってほしい。映画について知れば知るほど、映画をもっともっと楽しむことが出来るし、作品の良さにもっと気づくだけじゃなくて、悪いところにも気がつくようになるのだから。
(ロバート・グラッツァー『シネマ頭脳』)
「世界はもっと映画クリティックを必要としている」
おお……格好良い……。
「あのね、世界には、絶対的に何かが足りないんだよ!」
みんなが、全員が幸福になるための、何かが足りないの!
その足りないってことが作り上げた悲しみだとか苦しみが、
別のつらいことの原因になってるんだよ!
(椎野きらり『キラ☆キラ』)
『“文学少女”と死にたがりの道化』を再読。ライトノベルに出てくる学校が「〜高校」じゃなくて「〜学園(学院)」であることが多いのは、やっぱりエロゲの影響なのかなぁ。あと、「文学少女」の名前が読子さん、遠子さんと最近珍しい「〜子」であるのは、「文学少女」というイメージ自体が時代がかっているためか。