『アリソンとリリア』―歴史と思い出

ライトノベル?何それ、美味しいの?」という僕にしては珍しく、原作は全部揃えてあります。国家的陰謀、貴種流離譚、生き別れになった家族etcがぽんぽん出てくる「設定ありき」の作品ですが、そこに日常と物語が上手く噛み合えば非常に面白い。
ただ、旅行に出かけた主人公とヒロインが事件に遭遇して解決、というパターンを毎回律儀に守っている辺りは水戸黄門かそれとも浅見光彦か、と思わなくもないし、登場人物が増えてくる後の方の作品は設定が入り組んでいるだけに薄くなってしまうという難点も。あと、最近ずっと上下2巻構成なのもマイナス。どうして小説家という人種は年を追うごとに文章が長くなるのか……

ストーリィについては、ちょっと観念的かつナイーブすぎるかなぁ、と。国家に正当性を与える「歴史」は作られたものである、私たちはその偽りを告発していくことで行き過ぎたナショナリズムを抑制するのだ、という考えが1980年代以降の歴史学で大いに流行りましたが(『創られた伝統』『民族とナショナリズム』『想像の共同体』など)、最近ではさすがに紋切り型というか、新鮮味がなくなってきたなぁという感じがします。
そもそも、ライトノベルの題材になるくらい「歴史とは作られたものである」という考えが広まっているにも関わらず、僕たちは依然として「歴史」に振り回されているのですから、上記のような批判が効果的なものではないことは明らかでしょう。世界に国家がふたつしかないという嫌すぎる設定なども含めて、単純でわかりやすく、受け入れやすい物語によって隠されてしまう、何か大切なものがあるように思われます。悪役がわけのわからない死に方をする辺りも、主人公に手を下させまいという作為が透けて見えるようで気に食わない。
アリソン (電撃文庫)

アリソン (電撃文庫)

ただ、シリーズ全体を通して見た場合、個人的にはやはり第1巻の話が一番面白いなと思います。アニメだと第2話、アリソンの不注意で怪我をしたウィルを、アリソンが背負って歩くシーン。直前まで飛行機に乗ってすいすい進んでいただけに、何もない道をてくてくと歩くアリソンがけなげで、応援したくなりました。
あと、このシリーズではウィルやアリソンによる「過去の思い出語り」が頻繁に登場するのですが、これが上記のような「歴史」を相対化し、ウィルとアリソン、そしてふたりと世界の間に確かなつながりを感じさせるものとして機能しています。「思い出」と「歴史」って、本当は比べられるようなものじゃないんですけどね。