「ヤンマーニなアニメ」以外のMADLAX鑑賞法

最近話題のニコニコ動画では、全くわけのわからない(褒めてる)動画が地味に人気を集めている模様です。
http://www.nicovideo.jp/watch/utPXM4psJKwPc
この動画は『MADLAX』というアニメの挿入歌『nowhere』を改変したもの。「ヤンマーニ」なる謎のコーラスが微妙に面白いのですが、本当はヤンマーニとは言っていないとか、実は「ヤンマーイ」だとか、いや「ヤンマーイ」ではないことだけは保証しますとか、この歌を廻る言説は歌そのもの以上にカオスだったりして(詳細はこちらを参照)。そういえば「ヤンマーニ男」なんて人もいたっけ……
以上のように知名度では明らかに「ヤンマーニ」>『MADLAX』なのですが、このまま埋もれさせるには惜しいアニメでもあるので、この機会に『MADLAX』という作品を紹介したいと思います。

MADLAX Vol.1 (通常盤) [DVD]

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物語はふたつの視点から描かれます。ひとつはデタラメに強い女戦士マドラックスの視点。もうひとつは、世間知らずだけれど平凡な女学生マーガレットの視点です。物語の中盤までは戦場と学生生活という、それぞれの日常が描かれますのですが、この時点で「退屈だ!」と投げ出してしまう人が多いのが難点です。しかし、後半に入ると様子は一変、ファンタジィでファジィでファッショナブルなストーリィと演出が展開されることに。
正直、このアニメはすごく語りづらいです。観念的というか抽象的というか、そもそもどういう理屈で何が起こっているのかわかりづらい。それと、先述したように前半から中盤までの展開が淡々としていて、ミステリィにおけるトリックのような語りやすいパーツがないというのも、このアニメが語られない原因のひとつではないかと思います。そのためか、「通好み」なアニメだとみなされることの多い作品なのですが……僕はそう思いません。
マドラックスのアクションシーンを「常態」だと考えると、物語の大半は平凡極まりない話が占めています。しかし、その平凡な部分こそが『MADLAX』という作品の真価だと考えるなら、アクションシーンという非日常によって強調される『MADLAX』の日常は、比較するならば『ARIA』における日常以上の価値を描き出しました。
物語前半において描かれる、マーガレットとそのメイドであるエリノアの「日常」。それはそれで面白いものです。ただ、終盤においてその「日常」の欺瞞性が告発されたとき、同時に視聴者の持つメイドさん幻想が告発されたそのとき、物語前半の「日常」は新しい価値を獲得します。そういう意味では多層構造を持った、繰り返しの鑑賞に堪えうる作品であり、そういう作品を「通好み」と特権化してはいけない、と僕は思うのです。
ただ、ひたすらヤンマーニと連呼するとか、エリノアさん(世界一可愛いメイドさん)にひたすら萌えるとか、作品構造を分析するとか、色々な楽しみ方があってしかるべきでしょう。色々な楽しみ方が出来る、というのもこの作品の魅力なわけで。
腰を落ち着けてアニメを鑑賞したい方にはオススメです。
ちなみに、ヤンマーニの原曲はこちら。普通に名曲なんですけどね……