語りうる部分と語りえない面白さ

「誰が言ったのかわからない言葉は、バーナード・ショウが言ったことにしておけ」という格言があります。この格言も誰が言ったのかわからないので、バーナード・ショウが言ったことに……という定番の冗談はともかく。
誰が言ったのかは知りませんが、「人は語りうることしか語らない」という格言があります。例えばミステリィの書評を読んでみると、みんなトリックについて言及しているんですね。論理的に正しい(正しくない)や、伏線が張られている(張られていない)など、ポイントが絞られているので1番語りやすいっていうのが原因だと思うのですが、じゃあ、みんなトリック以外に興味がないのかといえば、そうではない、はず。
ミステリィに限らず、語りたいことと語りうることのズレはどこにでも存在しますが、世間で名作と呼ばれる作品たちの多くはそのズレに対して意識的であったし、ズレを埋めようとしたのでしょう。涼宮ハルヒとか。
その一方で、語られない面白さであるが故に埋もれていく名作というのも存在します。テレビで見ているときは「凄い!超面白い!」と思ったのに、いざレビューを書き始めると、その作品のどこを面白いと思ったのかがわからなくなるような作品のことです。
僕にとっては『極上生徒会』とか『MADLAX』『魔法遣いに大切なこと』『攻殻機動隊』あたりがその手の作品に当たります。昔書いたレビューを読んでも「お前が面白いと思ったのは、本当にそこなのか?」と自問してしまう、書けば書くほど面白さを見失ってしまうことは往々にしてあることだと思います。
もしかしたら、書き手にとって一番健全なレビューというのは、でっかい字で「面白かった!」とだけ書くか、もしくは「面白さっていうのは伝えづらいものさ」と開き直るか、そのどちらかではないかなと思った次第。