学園アニメは無条件で善であるらしい

以前『コードギアス 反逆のルルーシュ』という作品に言及したのですが、この作品では自らが持つイデオロギー性に対する自己批判が絶えず行われています。主人公のゼロにしろ、スザクにしろ、自分のことを正しいと考えながらも常に「本当に正しいのか?」という疑念に苛まれている。ある種のイデオロギーが登場しても、すぐに批判されてしまう。本来なら批評家が粗さがしをするところを、自分でやってしまう。そうすることで改めて批判させる余地を与えない、ある意味では無敵な作品なのです。
それに対して『がくえんゆーとぴあ まなびストレート!』では、学園生活を楽しくしようという目的がほとんど無条件で受け入れられています。「学園生活が楽しいって、そりゃ学園しか知らないからじゃないの?」みたいな捻くれたことをいうやつはひとりもいません。ある意味、近年の作品では最もイデオロギー性が強い作品かもしれません。
一応断っておきますが、どちらかが良い、悪いという話ではありません。対極に位置する両者が同じ時期に表れ、どちらも概ね高評価を受けているという事実が、僕には興味深く感じられたということです。
もうちょっとサンプルを増やしてみましょう。今期の作品を自己批判性、という観点で分類すると『パンプキンシザース』、『Venus Versus Virus』は『コードギアス』に近い。『セイントオクトーバー』、『ひだまりスケッチ』、『おとぎ銃士赤ずきん』、『Kanon』は『まなびストレート』に近い。
若干ですが傾向らしきものが見えてきました。戦争や政治、戦いなどいかにもイデオロギー的な内容が主題となる作品では自己批判が行われても、日常に価値を見出す作品では、日常の価値それ自体の真偽が問われないという傾向があります。『Kanon』には非常に多くの人が言及していますが、それって作品内部での問題意識が希薄な分、外部から補おうという自浄作用が働いているからではないでしょうか。
でも冷静に考えると、学園を楽しくしようとか、家族は仲良くしようとか、押し付けがましい考え方ですよね。学園の外にはもっと楽しいことがあるかもしれない。家族が酷いやつなら嫌いになった方が良いかもしれない。もしかしたら、幸せである必要すらないかもしれない。
学園、そして家族という価値を破壊するアニメがあるとしたら、ぜひ見てみたいですね。