「ゼロ年代の想像力」について

SFマガジン』に掲載されている「ゼロ年代の想像力」を読みました。
細かい内容については既に他の方が詳しく紹介されているので触れませんが、記事の中で繰り返し主張されている「決断主義」「サバイブ感」について少し。
僕自身は『エヴァンゲリオン』よりも『無限のリヴァイアス』『コードギアス』の方がずっと好きなので記事の内容に共感するところが大きかったのですが、『エヴァンゲリオン』が古い想像力だっていうのは、そもそも両者を比べることがナンセンスじゃないのという気もします。
決断主義」「サバイブ感」というのも突き詰めれば単なるリアリティなんですよね。世界が明日滅んでも、恋人に振られても、家族が死んでもお腹は減る。学校だって行かなきゃいけない。悩んだって行動しないわけにはいかない。『コードギアス』はポップな印象とは異なり、リアリズム的な要素を多く持っています。
だから、「いかに現代社会を反映しているか」的な観点から作品を評価すれば、そりゃあ『コードギアス』が勝ちますよ。でも『エヴァンゲリオン』が描こうとしたのはより普遍的なものではないかな、と。「集団の中の孤独」はいつの時代にだってあるでしょうしね。
実に「善良な市民さん」らしいなとは思いますが、都合の悪い話(いかにも引きこもり的なエロゲが受けていること)は「オタクが遅れているからだ」で切り捨ててしまうのは恣意的過ぎないかという印象を受けました。
人生論としては至極もっともな内容かもしれませんが、何でわざわざサブカルの話を持ってくるのか、その必然性がわからなかったですね。小説でも演劇でもドラマでも何でも良い内容を「たまたま」サブカルに当てはめただけじゃないの?という気がします。