京アニKanonをめぐる冒険−Kanon関連記事まとめ

0.公式関連
TVアニメ「Kanon」公式HP
Kanon DVD vol.3 麻枝氏コメンタリー - なつみかん@はてな
1.原作関連
MilkyHorse.comの馬法学研究会 競馬サブカルチャー論・第20回:馬と『Kanon』その1〜雪が溶ける頃、冬の日の物語もまた、“思い出”に還る〜
2.アニメ版のシナリオ
全体:美少女ゲーム年代記 - milkyhorse(Rosebud Side) - TVアニメ「Kanon」(京都アニメーション版)マルチシナリオ構成分析表
序盤: KANON2006は悪くないと思うけど僕はしらん−Something Orange
真琴:真琴シナリオの気持ち悪さについて - トラコメ遊び
舞:第2期テレビアニメ版「Kanon」(京都アニメーション制作)・川澄舞シナリオにおける"世界観の穴" - milkyhorse(Rosebud Side) - 美少女ゲーム年代記
栞:Li_to_Mate BirthdaySong,Requiem (kanon栞シナリオ考ポエミーチック編)
名雪Old Dancer's BLOG Kanon 第22話「追想の交響楽〜symphony〜
あゆ:http://d.hatena.ne.jp/kagami/20070304#p6
3.サウンド
http://deeps.s101.xrea.com/nucleus/index.php?itemid=368
kanonの音響について〜名倉靖さんの仕事−ダ・ニッキ
http://stage6.divx.com/members/231277/videos/1040500
http://stage6.divx.com/members/231277/videos/1042741
4.テーマ別考察
http://d.hatena.ne.jp/kagami/20070312#p1
『Kanon』に見る「家族」の終焉 - tukinohaの絶対ブログ領域
Old Dancer's BLOGピロは何故いなくなったのか
独り言以外の何か−エロゲと食にまつわる話
5.その他、上のジャンルに収まらない記事
水瀬秋子さんの二つの謎について考えた - SSMGの人の日記
あゆあゆの「鯛焼問題」に関する法的考察 - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常
お箸が重い - KANON最大の面積を誇る聖地、札幌
http://blog.livedoor.jp/siam_junkie/archives/50695802.html
Uguu! - YouTube


以下、今回取り上げた記事群に関連して色々書きます。主観を挟まない(ように見せかける)無機質な「まとめ」が嫌いだからなどの個人的な好みのためなので、純粋に「まとめ」としてこの記事を使いたい方は読み飛ばしていただいても結構です。


0.「公式」について
最初に公式HPおよび麻枝准氏のコメント取り上げましたが、この記事の目的は公式見解を乗り越えること、言い換えるなら、圧倒的に正しいものとして僕たちの前に現れる「作者の見解」を無数にある見解のひとつまで引きずりおろすことに他なりません。
その過程を通して、今までよりは幾分か自由な視点で『Kanon』を見られるようになること。この記事がその一助となることができれば幸いです。


1.「原作関連」について
id:milkyhorseさんの記事には脱帽です。まさか、名雪の頼むイチゴサンデーにそのような深い意味があったとは……という冗談はともかく(いや、冗談も冴えているのですが)、専攻文献の相関関係なども含め、『Kanon』の「ファンタジー」「奇跡」という大きなテーマに正面から取り組んだ記事として非常に価値があります。他論考へのプラットホームとしても便利で、他の記事を取り上げる必要性を感じませんでした。
えっと、これは余談ですが、力のある論考には2つのパターンがあると考えます。ひとつは作品の9割を占める「大きなテーマ」を詳細に論じるパターン。もうひとつは、作品の1割程度でしかない、けれど革新的な要素を持ち上げるパターン。僕自身は後者に属しているのですが、これはたぶん僕がマルクス主義歴史学の洗礼を受けたからで……話が長くなりそうなので省略。とにかく、今回取り上げた記事群もその2つのうちどちらかには入ると思います。


2.「アニメ版のシナリオ」について
断っておきますが、こちらで取り上げた記事で示された解釈を僕が全面的に受け入れている。というわけではありません。
いかなる理論(あるいは理屈)を用いて物語を解釈するにしても、「なぜその理論でなくてはいけないのか」、「なぜ対象がアニメなのか」、「なぜ『Kanon』を選んだのか」という動機への問いかけが必要であり、それが書かれていないという点で若干の不満を感じさせる記事もあります。
しかし、リアルタイム視聴の「空気」を伝える上で優れていること、そして、多種多様なアプローチによって『Kanon』が解釈されたという事実そのものを重視してこれらの記事を選ばせてもらいました。後者はつまり、涼元悠一氏が言うところの

言ってみると『Kanon』って、世界観に穴が開いてるじゃないですか。
どうやっても、どうしようもない穴が開いていると。
でも、その穴があまりにも美しい穴なんですよ。
それで愕然としたんです。
この穴は偶然に開いたものなのか、それとも人為的に開けたものなのか見分けがつかない。
もし人為的に開けたのなら、この人たちは天才集団だと思ったわけです。
− 涼元悠一Aria vol.1』より −

ということによるのかな、と。


3.「サウンド」について
Kanon』に限らず、アニメの音楽それ自体を記述するのは非常に難しいことです。劇中曲というのは基本的に作品のナラティブ(物語的)な側面を強化する役割を製作者から与えられており、それを突き詰めていけば、音楽と物語の間には主従関係が出来てしまうのもやむをえないのかな、と思うので。
しかし実際には、音楽とはそれ自体で十分にナラティブなものであり、それを無視するのは映像本位の偏った見方であると言えるでしょう(作品は違いますが、『AIR』と『夏影』の関係がわかりやすいかと)。また、効果音と音楽とを安易に切り離すのも正しくありません。雪をサクサクと踏みしめる音、道行く人々の声、小鳥のさえずる声、これら全てが音楽と同様にナラティブな側面を持っています。
それぞれがナラティブなものを一度均質に並べた上で、全ての音(台詞も含む)を音楽として楽しむか、それとも相互関係を見出すか。『Kanon』のような音楽・効果音ともに高い質を保った作品であれば様々な楽しみ方が可能ではないでしょうか。理論的成熟が待たれます。


4.「テーマ別考察」について
先述したように「世界観に穴が開いている」ことに刺激されたのか『Kanon』では様々な方面からアプローチを試みる記事が多く書かれております(自分のも混じっていますが)。
作品解釈において、従来では瑣末なことだと考えられていた要素をあえて強調しテーマとして取り上げたり、異なるジャンルの理論によって作品を読み解く作業は、「作者の意図」を見直す上で有効な手段であると言えるでしょう。ただ、それをいかにして作品固有の、ジャンル固有の探求へと繋げていくかが難しいわけで、その問題意識を欠いた考察はたちまちくだらないものになってしまうというリスクもありますが。


5.「その他、上のジャンルに収まらない記事」について
こちらで取り上げたような記事は「お遊び」的なものとして捉えられることが多いと思いますが、僕らが『Kanon』に向かう際の「自然な態度」を打ち砕いてくれるものとして有用なものであると考えます。うぐぅ
結局、アニメをいかに見るべきかということについて決まった答えがあるわけではありませんが、こうした問いを常に念頭においておくこと自体が、アニメについて何か書こうとする人にとって必要なことであるということを結論としておきます。


そして冬は終わりを告げ、季節は『CLANNAD』の春へと移ってゆく。