小島あきら『まなびや』『わ!』

まなびや 1 (ガンガンコミックスJOKER)

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わ! 1 (ガンガンコミックスONLINE)

わ! 1 (ガンガンコミックスONLINE)

このブログでは、ひとつの記事でひとつの作品を取り上げるのがいつものやり方なのですが、今回はあえて2作品を同時に取り上げてみました。たぶん、合わせて読んだ方が、小島あきらという漫画家の「多様性」みたいなものがわかると思うのです。それは普通のストーリィ漫画を描きながら一方で四コマ漫画を描いているというだけでなく、その形式の違いを「内面」と「風景」の有無によって一層際立たせている、という意味で。
『わ!』においては「片思いの連鎖が生み出す群像劇」が描かれているらしいのですが、少なくとも今のところ、群像劇らしくはないと思います。一対一の関係が複数描かれているというだけであって、ある関係がまったく別の関係に影響を及ぼすような、群像劇らしい飛躍がそこには存在していない。そんなわけでストーリィの完成度としては『まなびや』の方を僕は評価します。ただ、『まなびや』にだってそれほど大したストーリィが描かれているわけではありません。思いつきで行動する主人公、思い込みで走り出すヒロインたち、ステレオタイプな脇役たち……。ありふれたキャラクタたち、ですが、なぜか彼らが豊かな感情を持っているように見えてしまう。
たぶん、ここにある種の倒錯があると思うのです。私小説的な「自意識」を有した人物によって、「私ではないもの」として風景が見出されるのではなく、「私ではない」風景があるからそこに佇む人物が自意識を有しているように見える。そういう倒錯。それは『わ!』において禁欲的なまでに抑えられている方法でもあります。
片思いをテーマにした『わ!』ではなく、今のところは平凡な学園生活を描いた『まなびや』の方において「告白」というモチーフが鮮やかに描かれていることも倒錯といえば倒錯ですね。人は告白するべき内面があるから告白するのではなく、告白という制度によってまさに内面が生まれるのだ、といったのはフーコーでしたっけ。『まなびや』の主人公は「そうか、俺は青春がしたかったのか!」みたいなことを言い、ヒロインは「私は自分が大嫌い!」と叫びますが、彼らはまさに語りながら自己の内面を形成していく。もちろん『わ!』においても「告白」というモチーフは頻出するのですが、それよりも一段深いところを『まなびや』は描いているように思われます。
現在は作者の病気で連載が中断しているそうですが、早く回復されてこの続きを書いてくれることを切に願います。本当に。