米田庄太郎について(組合運動・政治運動)

社会的民本主義(=社会的デモクラシー)
・米田庄太郎『現代智識階級運動と成金とデモクラシー』(弘文堂書房、1919年)
本書の4・5章で民本主義の立場をかなり明確に打ち出している。その背景には「強国となるには政治的・社会的デモクラシーが必要」という認識がある。

今日世界の大勢たるデモクラシーに順応して政治的民本主義を完成し、調和社会的民本主義を発達させることは、今後世界の一大強国として我国が有力なる活動をなす為めには、必要欠く可からざる条件であると信ずるので、勿論夫れが我国に危険であるとは毛頭思はないのである。(p215-216)

(1)国体上のデモクラシーは許されないが、政体上のデモクラシー(=民本主義)はむしろ推奨されるべき。
(2)民本主義には政治的民本主義(=主権行使の方法に関する)と社会的民本主義(=主権行使の目的に関する)がある。

要するに余の民本主義と云ふは国体としてのデモクラシーではなく、国体の君主的なると民主的なるとを問はず、人民に参政権を認め、立憲的に政治を行ふことを意味するもの、即ち政体としてのデモクラシーを意味するものである。(p190)

一方、社会的民本主義は「主権行使の目的」に関わる。
主権行使の目的には、1.君主のため、2.貴族のため、3.資産者のため、4.労働者のため、5.諸階級の利益の調和のため、6.階級区別を撤廃した全人民のため、以上の6種類がある(p195-199)。社会的デモクラシーは一般に4に相当すると考えられているが、実際は4〜6にまたがっている。4に重きを置くものを「単一社会的民本主義」、5は「調和社会的民本主義」、6は「純一社会的民本主義」と呼ぶ(p203)。
「単一社会的民本主義」は「現に露西亜の過激派政府のなしつつあることであるが、併し是れは一時の変態にして永続す可き性質のものではない」(p204)、「而して純一社会的民本主義は敢て危険であるとは云はれないが、而も穏健ではないと思はれる」(p207)。
⇒調和的民本主義が妥当。

更に我国今日の状態に於て調和社会的民本主義の発達を図ると云ふことは、先づ労働者階級の発達を図ることを意味するのである。労働者階級の発達を図る為めの施設の甚だ幼稚なる我国の今日の状態に於て、諸階級間の利益の調和を図ると云ふことは、つまり労働者階級の利益を図ることを意味するのである。而して我国の労働者階級の健全なる発達を望むには先づ彼等をして労働組合を組織させて、其の物質的利益の増進を図らしめ、是れと同時に彼等を教育する期間を設定して、彼等の精神的発達を図ることである。
〔中略〕
而して普通選挙労働組合との間には甚だ親密なる関係あることは、欧米の輓近の発達を見れば明かに理解されるので、労働組合普通選挙の実行さるるに非ずば十分に発達し得ないと同時に、普通選挙労働組合が発達して労働者の実力がよく発達するにあらずば、健実なる効果を奏することは出来ないのである。(p213-215)

(3)政治的民本主義と社会的民本主義はどちらも必要。

抑々今日社会的民本主義と云ふはさきに述べし所によりて知らるる如く其何れの形態に於ても政治的民本主義の完成を前提として居るのである。〔中略〕如何に民の利益を図ることを主眼とする政治であつても、政治的民本主義の形式の完成を伴はないものであらば、夫れは厳密なる意味で謂ふ社会的民本主義ではないと云ふことは出来る。されば国学者国史家が我国歴代の 天皇の政治思想は民本主義であると云う其の民本主義なるものは政治的民本主義よりは寧ろ社会的民本主義に近いものであるが、而も厳密なる意味で云ふ社会的民本主義ではないと云はねばならぬ。(p229-230)

(4)「国民全体の利益を図る」ことが必要。

明治時代に於ては人民の一部分資産者階級が参政権を許され夫れによりて我国が大なる発達を遂げたのである。併し大正時代は更に夫れ以上に我国を発達させる任務を有つて居る。然らば如何にして大正時代は其の任務を盡すことが出来るか。是れ人民全体に参政権を許し、更に進んで穏和なる社会的民本主義を実行する、即ち資本家の利益と労働者の利益とを適当に調和し、啻に資本家の利益のみならず、労働者の利益をも図る即ち国民全体の利益を図ると云ふ事である。つまり明治時代以上に憲法の運用を拡張することである。(p272-273)


消費組合論
・米田庄太郎『現代社会問題の社会学的考察』(弘文堂書房、1922年)。
・改造問題と消費組合
⇒「我々国民は政府に依頼するよりは一層多く吾人の協同的自助心に依頼せねばならぬことは明らかである」(p327)
・協同組合の国際的使命
国際協調の手段としての協同組合(ILOに対する評価とも関連して、大戦後の世界秩序を背景とした理論構築を米田が企図していたことが伺える)

要するに今日露国と他国との貿易関係はまだ公には恢復されて居らないが、併し実際に於ては同国の消費組合及び其の他の協同組合によりて外国貿易が行はれて居るので、吾人は之れによりて将来消費組合及び其他の協同組合が国際貿易上、如何なる役目を盡し得るかを推察し得るのである。(p328-329)

要するに将来若し国際貿易が各国の協同組合或は産業組合の国民的同盟会の間に行はれ、而して其の国民的同盟会が国際的同盟会或は聯合会を組織し、之れによりて国際貿易が合理的に規制さるるに至らんか、今日見るが如き国際的経済戦争が全く消滅し、又夫れより生ずる国と国との戦争も起らず、而して世界的平和は大いに進歩するであらうと思はれる。併しかかる時代は近き将来には尚ほ実現され難いかも知れないが、とにかく産業組合或は協同組合が国際貿易上にも活動するに至らば、少くも国際的経済戦争を緩和する事に少なからぬ貢献をなすに至るであらうと思はれる。(p334-335)

・協同組合は政治的に中立
「協同組合主義の消費組合」と「社会主義の消費組合」との違い(p354-355)


智識階級論
・米田庄太郎『現代智識階級運動と成金とデモクラシー』(弘文堂書房、1919年)
・新中等階級(=智識階級)とは

即ち新中等階級とは資産を有すると有せざるとに拘らず自己の修養せる智識又は技能によりて得られる所得即ち余が便宜上智識所得と称するものによりて生活をなし而して其の知識又は技能を有することによりて社会の尊敬を受けんとする人々の総体である。(p10)

智識階級の従属性(何者かから報酬を得ることによってしか生きられない)

即ち資産者階級および労働者階級は智識階級が存在しなくとも存立するを得るが、後者は前者を離れて独立に存在する事が出来ず、常に前者に依属するものである。(p108)

・智識階級の労働運動への参加
米田の観測では、「彼等を指導し、或は助け、或は彼等と合同して労働運動の発達に努力せる智識階級者」は今後ますます増加する。なぜなら、現代の智識階級は「資産階級に直接又は間接に使用せられ、又は保護されて居るが、而も其の与へられる処が少きが為め、到底生活の安全を望み難いと云ふこと」、「彼等〔労働者〕の現状を改善せんが為めに夫れぞれ起せる社会運動では、如何に成功しても、到底大したことは望み得られないから、一層根本的に現代社会組織の改造を図らんとすること」(p94―95)、という事情のため。そして労働運動が発達すれば「直接又は間接に労働者階級に使用せられ、或は保護されんが為めに、労働運動に参加する智識階級は大に増加するであらうと思はれる」(p96)
高等遊民問題が念頭に置かれている。

而して資産者階級を支配階級とする現代社会に於て、一方に於て労働者階級の人口が大に増加すると同時に、他方に於ては智識階級も大に増大した。此て資産者階級に対する労働者階級の反抗が益々強まると同時に、資産者階級は到底智識階級の全体を保護することが出来なくなつた。(p118)

労働運動に共鳴する知識人の増加、例えば米騒動(p154)。
・労働運動の組織化と智識階級

終りに余は尚ほ一言加へて置きたい事がある。夫れは労働者階級の社会的運動の生起発達を、只該階級内の状態及び形勢のみによりて推断せんとする見解に就てである。労働者階級内に於て一定の形勢が現れるに非ずば、彼等の社会的運動が起らないことは云ふまでもない。併しかかる形勢のみから起る彼等の運動は、一般に過激で突発的で、断続的で有て、決して組織的連続的に発達しない。而して労働者階級の社会運動が組織的計画的なる運動となり、有力なる社会的勢力として発達するには、少なくも其始めに於て智識階級の指導と献身的努力とを要するものである。(p137-138)

・智識階級運動が必要とされる日本的な特殊事情
イギリス労働党が「労働者」の概念を拡張して、智識階級もその中に含まれるようになったことに触れている。それとの対比において。

只一言に愚見の主旨を云ひ表はさば、余は我国に於ては先づ智識階級の経済的及び政治的運動を組織的に発達させ、而して之に伴うて労働者階級の経済的及び政治的運動を組織的に発達させることが、両者の関係の適当なる発達方針であると思ふのである。(p167)

要するに国民一般の政治的自由が早く発達せる国に於ては労働運動は先づ労働組合や消費組合なぞの如き自助的経済的運動の方針に於て発達し、之に反して国民一般の政治的自由の発達の後れて居る国に於ては、労働運動は先づ政治的運動の方針に於て発達すると云ふことが出来ると思ふ。されば今我国の如く国民一般の政治的自由の発達が比較的に後れて居る国に於て、主として智識階級者の指導の下に、労働運動が発達するに於ては、恐らくは欧州大陸に於て見るが如く、夫れは主として政治的運動の方針に於て発達するであらうと思はれる。併し夫は果して我国に於ける労働運動の健全なる発達を希望する上から見て喜ぶべきことであらうか。(p290―291)

然らば何れの方針の発達について、政府も識者も亦資本家も共に力を合せて、之を奨励し、援助し指導することが出来るか、又然なす可きかと云ふに、余は夫れは労働組合運動の方針であると思ふ。(p310―311)

ILO憲章に触れ、その諸原則とくに労働組合の発達に力を注がねばならない、と主張(p311)

我国が国際連盟を脱しない以上は、何人でも労働組合の発達を助長せんが為めに努力するのが、国家の為めであつて、之を妨止し、或は圧迫せんとするは、国家に対して甚だ不忠であると云はねばならぬ。

・米田庄太郎『現代社会問題の社会学的考察』(弘文堂書房、1922年)。
智識階級の労働運動への参加と、労働運動の文化的意義

労働運動の大に発達するに至つて労働者自身の中より段々指導者が起つて来たが、併し今日に於ても矢張り智識階級は労働運動の指導者として甚だ重要なる地位を占めて居る。殊に労働運動の思想的基礎の方面に於て、常に益々之を発達さえる任務に当て居るのは智識階級である。是れは余の既に公にせる幾多の論文に於て論述せる、余の社会学的一原理の上から考へて然る可きことであるのである。(p195)

貴族階級やブールヂヨア階級が智識階級の協力によらずば、夫れ夫れ特有の文明を発達させることが出来なかつたと同様に、労働者階級も亦智識階級の協力によらずば、到底其の特有の文明を発達させる事が出来ないのである。(p196)

・智識階級の「唯物主義」から「唯心主義」への変化

今輓近に至つて近代労働者階級の哲学的思潮が、唯物主義的より唯心主義的に転化し来れる根源も、矢張り彼等を指導する智識階級の人々に於ける思潮の変動にある。即ち其等の人々が唯物主義的哲学思想に疑ひを起し、而して唯心主義的哲学思想に耳を傾け、以て社会思想の改造或は新発展を試みんとする傾向を発達させて来たことが、即ち近代労働者階級に於ける哲学思潮の変動の根源である。(p238)

原因1.「唯物思想を基礎とする社会思想の理論的行き詰り」(p239)、2.「唯物主義を基礎とする社会運動の実際的行き詰り」(同)、3.「輓近の哲学的思想界に於て新理想主義が勃興」(同)。

要するに現代ブールヂヨア階級の実際的生活は全く唯物主義的のものにして、唯物主義的近代文明はブールヂヨア階級の文明である。資本主義的精神は唯物主義の最も深い表出である。之れに反して労働者階級は旧理想主義の如き、現実を離れた貴族的な理想主義は勿論承認することは出来ないが、併し現実に即して現実に囚はれず、現実を突破して現実を改造せんとする新理想主義こそ、実に労働者階級の哲学である可きである。(p240)

・米田正太郎「精神的創造或は発明の心理」『改造』2巻6号(1920年)。
戦後「改造」の原動力について。

今日改造問題を以て単に一時的な流行物に過ぎないものとして之を蔑視し、之れに触れないのを以て自ら高しとするが如き学究は、真の学究ではなくして徒食の遊民である。(p3)

而して本論文に於て余の論究せんとするは、改造の根底たる新思想は心理学上より見て如何にして天才家の脳裡に生れるかと云ふ問題である。然るに余の見る処によれば改造とはつまりは精神的創造である。されば改造の心理は結局精神的創造の心理によりて究明せらる可きものである。而して今日余輩の専攻する社会学に於ては、一般に精神的創造を発明と称して居る。(p4)