「村田翁の演説 首相を痛罵して余念なし」(『東京朝日新聞』1914年3月15日)
シーメンス事件の関連記事。3月13日の貴族院本会議速記録からの転載である。演説をしているのは元水産官僚・貴族院議員の村田保。趣旨としては政府批判、与党政友会批判であるが、口汚さが(ある意味)興味深いので少し引用してみよう。

山本大臣閣下よ、閣下は人間の尊ぶ所の名誉、廉恥と云ふことを本員は御存知なくはないかと云ふことを疑ひます、何となれば人民が閣下に対しまして、公然公衆の前に於て閣下を国賊と言つて居るではありませぬか、又海軍収賄の発頭人だと云ふことを申して居ります、又閣下の面貌は監獄へ行けば類似のものは沢山あると言つて居ります

最後の部分については、当時の流行思想であったロンブローゾ犯罪人類学の影響が感じられる。「犯罪者になりやすい人間は、身体的に顕著な特徴を持っている」という考えのこと。ちなみに翌日の『二六新報』には泉鏡花論として次のようなことがかかれている。「〔鏡花の奇行の紹介に続けて〕「天才は狂気なり」とは、ロンブロゾーの説である、「狂人」が「天才」なのか、「天才」が「狂人」なのか、それは知らぬ〔中略〕私は言ふ、鏡花の「鏡」は、狂人の「狂」であるが故に、初めて其処に彼の価値があるのではないかと……」。
肯定的な意味においても、否定的な意味においても、「狂気」が社会的に注目を集めた時代であった。

「大正博の美人国」(『東京日日新聞』1914年3月13日)
安田雅彦によると、大正の15年間で合計116回の博覧会が開かれている。1914年の3月20日から7月31日まで開かれた東京大正博覧会はその中でも特に有名なものであるが、「自由・平和が協調〔ママ〕され産業博色が薄れ、文化性や娯楽性が盛り込まれるようになり、746万人を集めた」という。
参考:絵葉書に見る大正時代の博覧会
パビリオンの中では「美人島旅行館」が著名。選りすぐりの美女を様々な趣向を凝らして披露する、要はコスプレ美女の展示館である。今日取り上げる記事も(大正博覧会の準備段階で書かれたものだが)客寄せに美女を使っていたという話。
東京半襟組合(半襟は和服の襟につける飾りみたいなもの)は大正博覧会に、お座敷・茶室を備えた数寄屋造りの小展示場を設けた。「組合でも始めから女に縁の深い商売であるから此の座敷に座らせて看板にする美人の選択には随分苦心を重ね」、○○、○○、○○の三名(記事では実名・年齢・生家が書かれている)が選ばれた。この三人は「始めから賑やかな中に出て精々良縁を求めたいと希願して居つたのである」。「陳列上では一切他と口をきく事を厳禁されて居るが其代り努めて態度をしとやかに触れば散らん風情を見せると言ふ事である」。
なお、この記事では「美女による客寄せ」がこのパビリオンに限ったことではなく、いくつかの「余興飲食店」(おそらく性風俗店ではないだろうが、実態不明)でも用いられていることを伝えている。

「内閣弾劾演説会」(『大阪朝日新聞』1914年3月12日)
シーメンス事件を直接のきっかけとしているのだろうが、当時の山本権兵衛首相、原敬内務大臣に対するほぼ全面的な批判が述べられている。実際に演説会が行われたのは3月10日。複数の人物が演説しているので、要点だけあげておく。
・山本内閣は不敬であるという批判
「毎日社原豊太郎氏は明治天皇の御製〔の歌〕を奉読して山本、原両相を攻撃し〔中略〕本社木崎愛吉氏は良民の催せる演説会場に多数の警官が出張するは何故なるやと詰り憲政を破壊する閣臣を攻撃するには少々の負傷くらいは覚悟の前なりとて満場を唸らせ夫れより御即位大典の性質を論じ憲政を毒する現内閣員は陛下の罪人なりと云ふや〔中略〕国民は必ず御大典期までに彼等を葬るべしと痛論し
補足:五箇条の御誓文にある「万機公論に決すべし」を援用して、議会を弾圧する専制政府を批判するロジックは、日本に議会が作られる以前(自由民権運動期)から存在する。福沢諭吉はこのような「論敵を不敬と決めつける絶対的否定」を議会主義の精神に相反するものとして批判していた。
・司法批判
「渡邊菊之助は「国民の覚悟」と題し日本の法律は中流以上の社会に対しては殆ど権威を有せずとて司法権の存在を疑ひ」「板野友造氏は権力あるものの犯罪は之を如何ともする能はざる如き状態にては国民風教に関する一大事なり」
・ところてん主義
「法学博士岡村司氏は「政治上に於ける老人跋扈の弊」と題し今日最も不快なるは老人跋扈の弊なり余は之を心太主義と称せんとす恁るヨボヨボ連中が後より順々に押し出されて政界に現るるは誠に困ったものなり」

長谷川哲也『ナポレオン 覇道進撃』

現在連載されている歴史を題材とした漫画のなかで一番面白いのは、長谷川哲也の『ナポレオン』ではないかと思う今日この頃。途中で一度タイトルが変わっているのですが、通して21冊、連載期間は10年に及びます。徐々に話の進むペースが速くなっているので、あと5年くらいで完結するのではないでしょうか。
本作に描かれるナポレオン・ポナパルトですが、これがナポレオン像のスタンダードになるんじゃないかというくらい妙な説得力があります。「アウステルリッツの戦い」の直前に兵士を鼓舞してまわり、兵隊を慈しむような視線を向けながら「みんないいやつだ。明日お前たちの何割かが死ぬ。残念だ」と独白するナポレオン。何割かが死ぬ(使い捨てる)ことは当然なのです。
最近はナポレオンが完璧すぎて話の中心になりにくく、周囲の(ナポレオンの)元帥たちを中心に話が展開しているような感もあります。アウステルリッツに勝利し、ヨーロッパの覇者に近づいたフランス帝国。戦線も拡大し元帥たちの出番も増えていくわけですが、彼らがどう描かれるのか。また、ロシア遠征での敗退からワーテルローでの最後の戦いに続く没落期をどう描くのか。これから益々楽しみな漫画です。


そういえば『サガフロンティア2』で「サウスマウンドトップの戦い」という戦争が描かれるのですが、これって明らかにワーテルローが元ネタですよね?>識者

「其後の谷中村(上・下)」(『都新聞』1914年3月11日・12日)
足尾銅山から流出した毒物が洪水によって渡良瀬川周辺地域に広がり、大きな被害を出した足尾銅山鉱毒事件の「その後」についての記事。谷中村を洪水を防ぐための貯水池にするため、居住地を買収、最後まで残った18件の家屋も強制執行により撤去された(1907年)。しかし彼らは仮小屋を建て、鉱毒反対運動の中心人物であった田中正造と共に谷中村に住み続けた。本記事が書かれた1914年は田中正造が亡くなった翌年であり、「田中翁に愛された土民の一人」の語りという体裁をとっている。
本記事によると、貯水池に指定された谷中村であるが、「去年の暮頃から水は全くひいて只今は見渡す限りの田畑が広々と一味縁に乾いて」いる。山から雪解け水が流れてくる春先になると、村は大きな沼のようになるという。しかし「それが為に附近の水害が助かるといふ効能は少しもありません」。この住民によると「田中翁の治水論が実行されれば貯水池などの必要は」なく、にも関わらず谷中村が貯水池にされたことへの抗議から村に住み続けているのだという。
男の住民は魚をとったり隣村へ日雇い仕事に出かけたりして、女は菅笠を編んだり機織をしたりして生計を立てている。しかし魚は年々取れなくなっている。また、1913年12月には警察署から田中正造の遺骨を谷中村の中に安置することを厳禁する命令がきたという。
・関連リンク

1914年、残留村民らが田中正造の霊を祀る田中霊祀を建設したところ、河川法違反で連行され、裁判で罰金刑を受けた。なお同様の裁判はこれ以前にも数例ある。いずれも、仮小屋に住んでいた元村民が小屋の修理をした際に河川法違反に問われたものである。
1917年2月25日ごろ、残留村民18名が藤岡町に移住。ほぼ無人状態となる。田中霊祀も同年3月に藤岡町に移転した。

谷中村 - Wikipedia

現在は、渡良瀬川遊水池(谷中村跡)は面積33k㎡、2億トンの貯水が可能。ゴルフ場に利用されているが、雨のたびに冠水する。
遊水池はもともと冠水用地であり、周辺へ洪水被害の波及しないようにする目的で建設されたものである。
渡良瀬川遊水池が機能したのは、渡良瀬川に足尾ダム・草木ダムが建設された、戦後のことである。渡良瀬川遊水池は、単独では洪水対策としては無力であった。

「谷中村滅亡史」を読む

「大丸組の不正工事」(『二六新報』1914年3月10日)
要約:「土木の請負工事に不正なくんば、請負師は立行く者に非ずといふのが、彼等社会の常に口にする言葉である」。3月9日から13日にかけて『二六新報』は、土木の下請け工事において手抜き工事が常態化しており、その典型例として大丸組の不正工事を告発する内容の記事を連載している。その第二回であるこの日の記事では、北海道の広尾線(現在は廃線)の敷設工事、宇治川の架橋工事における手抜きが批判されている。
なお、翌日・翌々日の記事では鬼怒川の水力発電所工事が取り上げられている。
参照http://www.doboku.shimotsuke.net/kurobedamu.html
工事において発注元が下請けの大丸組に対し、莫大な報奨金と引き換えに工事を急がせ、結果多くの死者が出た。以下、3月12日の記事から引用。

炭山とか銅山とか云うものは事実上警察権以外にある従つて弱い奴は片つ端から強者の為に圧倒されて仕舞ふ〔中略〕会社で工事半ばに阪谷東京市長を始め株主新聞社等を招待したが此時などは三人も横死したのを目撃した〔攻略〕

なお同日の記事では、公共事業の受注に関して、下請けを受注する際には赤字が出ることを最初から予想し「其他の諸経費」で利益を出すこと、受注に際しては(土木会社のエージェントである)請負師と発注元(この場合は官僚)のあいだで賄賂の授受が行われることが「公然の秘密」であること、などが書かれている。
ちなみにこの時期はシーメンス事件(戦艦の発注における贈収賄事件)が世上を騒がせていた。当時流行語大賞が存在していれば、大賞はまちがいなく「コンミッション(賄賂のこと)」だったろう。

半年ほどサボっていましたが、また書き始めることにしました。今日再開することに深い意味があるわけではないのですが、しいて言えば昨日の研究会で「昔の新聞を読まなければならない」と思ったことがきっかけでしょうか。歴史の勉強のために古い新聞を読んで、ついでにブログの記事にしてやろう、と。
そんなわけで「百年前の今日」と題した連載を始めます。ぴったり百年前(今日であれば1914年3月10日)の新聞から、私の関心を引いた記事を紹介していくという企画です。いろいろな新聞を使いますが、出典はすべて『新聞集成大正編年史』。一応毎日更新するつもりですが、飽きたらやめます。
あとは『仮面ライダーBLACK RX』を毎週ニコ動で見てました。バイオライダーに変身してゲル化(攻撃無効)→敵に接近→変身を解除すると同時にキック、というコンボは少し卑怯すぎはしないでしょうか。それと、今期のアニメでは『未確認で進行形』が良いです。「OP映像が良いアニメは本編も良い(逆は真ではない)」という自説がまた証明されてしまいました。