歴史用語における「変」と「乱」の違いについて

一般個人が適当なことをつぶやくのはともかく、メディアがそれを鵜呑みにして適当な情報を拡散させるのはいかがなものかと。

ツイートによると、「変」は「成功したクーデター。成功して世の中が変わった、という勝者の視点から」、「乱」は「失敗したクーデター。反乱が起きたものの鎮圧した、というこれも勝者の視点」とのこと。あと、ほかに「○○の役」というのもあり、こちらは「他国や辺境での戦争。他国からの侵略(元寇弘安の役)でも使われる」だそうです。

「○○の変」と「○○の乱」の違いって? 日本史の勉強が捗る豆知識ツイートが話題に - ねとらぼ

ぱっと思いつくだけでも「壬申の乱」「応天門の変」「禁門の変」など上記の定義にあてはまらないものが多いようです。ただ、同じ事件を扱っていても教科書によって呼称が違うケースも多く存在し(「薬子の変」を「薬子の乱」と書く教科書もあるし、「禁門の変」を「蛤御門の戦い」と書くことも)、呼称の統一が図られてもその根拠が明確にされるわけではありません。また、研究状況の進展に伴って呼称が変化する場合もあります(「承久の変」から「承久の乱」へ、「ノモンハン事件」から「ノモンハン戦争」へ)。
武田忠利「歴史用語と歴史教育」(『歴史学研究』第628号)がこのような歴史用語をめぐる錯綜した状況を整理してくれているので、この論文に依拠して歴史用語の根拠について考えてみましょう。「(大化の)改新」や「(建武の)新政」「(明治)維新」など特定の事件にしか使われない用語を除くと、武力行使や暴動を伴う出来事には以下の用語が付けられます。
乱・変・役・戦・出兵・寇・合戦・事件・事変・戦争・征伐・征討・動乱・内乱・擾乱・一揆・騒乱・騒動・進駐・蜂起・闘争
特徴としては
1.変・乱・役・戦・合戦などの用語は明治初期までで、その後は使われないこと。とくに古代では変・乱が大部分を占める。
2.事件は明治以前には使われず、明治以後には国内・国外を問わず事件が使われること
3.民衆運動については前近代には一揆、近代以降は騒動が使われること
などが挙げられます。しかしこうした特徴に明確な根拠があるかといえば……
今回問題とされた「乱」と「変」の違いですが、武田氏は「乱が支配的政治体制の変革にも及びかねない反乱事件を含むのであるのに対し、変は政治的支配層の内部でおこった権力闘争に過ぎない事件である」という安田元久氏の見解、「相対的に短期間の、政治的・社会的な変動を伴わない支配層内部の権力闘争を『変』」とする木村茂光氏の見解を検討しつつ、近代に入ると士族反乱を最後に「乱」が使われなくなることから「乱」は武士身分やそれに準ずる僧兵などを主体とした国家権力への反乱であること、基本的には双方が武力衝突を予期した事件であり比較的大規模な事件であるか、もしくは不意に生じた小規模な事件がその後大規模な衝突に発展した場合などを「乱」の特徴として挙げています。
とはいえ、結局のところ歴史用語はデファクトスタンダードなので、どうしても漏れは出てくるし、「乱」を大規模な武力反乱、「変」を支配層内部の権力闘争と定義しても、どこまでを「大規模な武力反乱」と考えるかという事実評価の問題も絡んでくるので、厳密に定義するのは難しいようです。「禁門の変」と呼ぶか「蛤御門の戦い」と呼ぶかは、出来事の規模や性格(コップの中の争いと考えるか、倒幕などより大きな体制変化とつなげて考えるか)などの評価とも関連するわけです。「承久の乱」も戦前は「承久の変」と呼ばれていましたが、これは戦前「天皇はつねにもっとも尊い存在なのだから『反乱』を起こす道理がない」と考えられていたため。鎌倉幕府内部での権力闘争も「和田合戦」や「宝治合戦」「霜月騒動」など「乱」が使われていませんが、これについて武田氏は「鎌倉幕府内部の権力抗争は、私的内紛とみなされ、国家権力に対する反乱とは異なるものとして扱われてきたことを示している。……鎌倉幕府は単なる地方政権にすぎないという認識が反映されているのか、江戸時代のお家騒動と同程度の扱いである」と述べています。

大正期の社会と社会科学(6)―清水真木『忘れられた哲学者』について

大正から昭和戦前期にかけて大流行した新カント派哲学も現在ではほとんど忘れ去られ、廣松渉が弟子の大黒岳彦を「最後の新カント派」と紹介してから早数十年。哲学的素養に乏しい歴史学者にとっても、歴史学的素養に乏しい哲学者にとっても扱いづらく、思想史的に重要だと言われながら敬遠されてきました。近年になって僅かながら新カント派再評価の動きがあるように思うのですが、まさか新書で出るとは思わなかったので驚いています。
本書の主役は哲学者・文明批評家の土田杏村。短命であったことも関係して現在では知名度の低い人物ですが、1920〜30年代にかけて流行した、新カント派哲学を基礎とした文明批評=文化主義を代表する論者のひとりです。著者の清水真木氏は以前『思想』で「風景の終わり」という印象的なタイトルの論文を書いており、本書でも土田杏村や彼の議論の文脈が社会から失われていく、ある意味では土田的なものが「終わって」しまう過程が詳細に記述されています。実際、本書の半分近くは「いかに現在土田が読まれていないか、なぜ読まれないか、読まれたとしても誤解されるか」を説明することに費やされています。そうした傾向に抗い、土田杏村の「現代的意義、アクチュアリティ」を取り出すのが本書の目的なのですが(p6)、それに成功しているかといえば……。
本書では土田が生きた時代のあり方、大正デモクラシーとの関連についてはほとんど触れられていません(第1章で仄めかされる程度)。ただ、国家の繁栄と個人の幸福を無批判に重ね合わせるような明治的ナショナリズムが後退し、国家主義批判、利害関係の多元性や個人の「人格」の尊重、すなわち「社会と人間の発見」(飯田泰三)という大きな流れのなかで、それを基礎づける哲学が要請され、土田のような哲学者兼文明批評家が現れた、と言うことはできるでしょう。新カント派哲学では「価値」という概念が非常に重要な役割を果たしますが、ドイツでは価値の序列が重視されたのに対し、日本では(土田においては特に)「諸価値の平等」が重視されたという違い(第4章)は、上記の社会背景に由来すると考えられます。
ナショナリズムを批判して多元性を擁護し人格を尊重する。また本書ではほとんど扱われていませんが、マルクス主義に批判的であった点(つまり「マルクス主義は労働者文化ばかり贔屓してほかの文化をないがしろにする」という批判)などは、現代思想とも親和性を有しているように思われます。しかし……。

この「文化主義」あるいは「人格主義」は、「改造」「黎明」がスローガンであった一時期の論壇を風靡しつつも、実際には現実の社会にさしたる具体的影響力を行使することなくいつしか論壇の中心から姿を消してしまった。それもそのはずであり、この「文化主義」とは、そもそも現実の社会的な問題に対して解決の具体的な指針を提供する類のものではないのである。
――清水太郎「大正・昭和思想の「見失われた環」『現代思想』21(7)、1993年、229頁――

これ〔上のような批判〕もまた繰り返えされてきた指摘であるが、われわれは次のような視点を付け加えてみることにする。大正期の「文化」は安易な流行語ともなり、表層的に使用され、多くの知識人層の批判を浴びる。ただその一方で、知識人層はまた自らの手でかなり質の異なる……「文化」の概念を育て上げようとしていたのだった。軽薄な「文化」と深遠な「文化」はしかし対立しつつ、その「文化主義」という局面において共存する。……たとえば、あまりにも深遠な哲学者たちによる「文化」は、その空虚さにおいてほとんど内容を欠いた器のようなものとなり、やがて訪れる内容の充溢を期待しなければならなくなる。……内容を欠いた空っぽな「文化」はやがて「日本」(=国民)という充実した内容物を手にし、自信たっぷりな表情を周囲に示すことになる。「文化」とは自他を区別する境界線であり、その器に収まる内容物そのものに関係なくただ差異は産出する装置だ(……「大正文化」もまた世界における自らの位置づけを意識することを出発点としたのだった)。
――北小路隆志「〈文化〉のポリティックス(1)―大正の「文化主義」を巡って」『情況』第2期7(9)、1996年――

こうした批判を退け、なお「アクチュアリティ」を主張するほどの説得力を本書から感じることはできませんでした(あと、第4章で左右田喜一郎と土田杏村の比較が行われていますが、左右田の見解を紹介する際、どの著作に基づいてそれを主張しているのかわかりづらい点が多々あったので、これも何とかしてほしい)。第3・4章では哲学史的な文脈のなかに土田を位置づけるべく、新プラトン主義、ヘーゲルフッサールライプニッツと縦横無尽に引用しながら比較を重ね、圧倒されるのですが、ライプニッツモナド論と土田の議論は似ていますねと言われても、そこにどういうアクチュアリティを見出しているのかよくわからない。
すでにほかの方が指摘されていますが、忘れられたのは土田だけでなく当時の新カント派哲学者ほとんどすべてなので、「なぜ土田が忘れられたか」と問いを立てるのは少々不毛な感じがします。むしろ「なぜ土田が(ある時期においてのみ)読まれたか」を考えるべきでしたね。


大正期は一般に社会学の確立期とされていますが、社会学自体は明治からあるわけで、正確には「〜社会学」の確立期というべきだろう、と私は思っています。「事実」と「価値・規範」の区別、さらに「事実」と「社会」の区別を前提にして、「価値・規範」の源泉として「社会」があると考える。つまり個々の事実や個人とは独立に社会が存在し、社会によって事実や個人に意味づけがなされる、というわけです。このように「事実とは区別され、同時に事実に価値・規範を与えるものとしての社会」を、価値・規範の種類に応じてそれぞ研究していこうというのが「〜社会学」であり、土田杏村は「価値の複数性」とそれに応じてやはり複数存在する「(特定の価値を共有する)社会」を論じることで「〜社会学」の成立を哲学的に基礎づけた、と言えるのではないでしょうか。この点については(土田を主題にしたものではありませんが)論文で書いたことがあるので以下を参照のこと(PDFです)。
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/hss/book/pdf/no96_02.pdf
しかし、土田のように「価値・規範」と「社会」をイコールで結びつけてしまって良いのだろうか……ということは、1930年代の土田が「典型的なナショナリスト」(第5章)であったことと合わせて考えてみる必要があるでしょう。価値・規範と社会がイコールであるならば、社会への参加を通してしか価値・規範の実現はできない、ということになります(田辺元の「種の論理」みたいですね)。それに比べると「いまの社会においては価値として認められないけれど、それでも価値と呼べる何かがあるのではないか」と考え、それを創造者価値と名付けた左右田喜一郎の方に私としては肩入れしたくなります。

「公共の場で化粧をするのは、外国では売春婦の客引きのサイン」という都市伝説について

17: ジャーマンスープレックス(SB-iPhone):2013/07/31(水) 16:56:54.26 id:yR0+anU9P
公共の場での化粧は、外国でやると売春OKのサイン。
中国行った時、高級ホテルのロビーで化粧してた日本人観光客の集団が、従業員に注意されてたわ。

http://news.2chblog.jp/archives/51758634.html

電車のなかで化粧をする女性を批判する文脈で上記の話がしばしば引用されるのですが(特にここ数年頻繁に目にします)、実際に海外で日本人女性が人前で化粧をしたとしても売春婦に見られるわけではなく、せいぜい「不作法」「行儀が悪い」と思われる程度であることはすでに複数の人が指摘しています。

この“人前で化粧”という行為は、海外では本当にそこまで意味深なものなのでしょうか?
丸山さんによれば、海外で日本人女性が人前で化粧をしたとしても、ネット上で言われているほど売春婦に見られるわけではないそうです。ただ、地域によっては、そう見られてしまう可能性もあるとのこと。
たとえば、タイのバンコクでは、観光客に人気の屋台と、いわゆる“色街”とが目と鼻の先ということがあります。そういう立地の屋台でうっかり化粧直しをしていると、「この女は(出勤前の)売春婦だな」と誤解されるリスクは高いといえるでしょう。

http://news.ameba.jp/20121203-502/

 今回判明した事実をまとめておきましょう。
・人前や電車で化粧をする女は日本だけでなく、世界中にいる。
・海外でも大多数の人は、それをマナー違反だとみなしている。
・ただし、その理由は見苦しいから、という常識的なものであり、
・西洋では人前で化粧をするのは売春婦の客引きサインというのは、日本だけで通用する都市伝説にすぎない。
・西洋人のなかには、その都市伝説を聞くと侮辱されたと感じる人もいる。
 ですから日本のみなさん、および、マナー講師のみなさんに警告します。みなさんのマナーの常識をいますぐ改めてください。
 日本の若い女性が海外に行き、人前で化粧すると、まずまちがいなく軽蔑されます。しかし、売春婦と間違われたり、レイプされることはありません。尻軽女と思わせるのは、人前での化粧でなく、派手で露出の多い服装のほうでしょう。
 むしろ危険なのは、日本の中高年やマナー講師のみなさんです。ヨーロッパに行って、「人前で化粧するのは売春婦」などというデタラメを得意げに口にすると、ヨーロッパの人たちは侮辱か挑発とみなすおそれがあります。袋だたきにされたり、レイプされたりしても知りませんよ。

都市伝説の男反社会学講座ブログ

では、いったい「海外では人前で化粧をすると売春婦だと思われる」という都市伝説はどのようにして生まれたのでしょうか?簡単に調べてみたところ、1982年に新潮社から出版されたサトウサンペイ『ドタンバのマナー』で以下の記述が確認できます。

女性で口に手を当てて笑うのは、英国ではそしり笑いととられるし、フランスでは情交関係のサインととられるそうで、外国人も増えた今日、十分気をつける必要がある。
人前での化粧やブラッシングは、美人製造工程を見せるわけで、効果的ではない。外国でやると売春婦と思われる。(p32)

ドタンバのマナー (新潮文庫)

ドタンバのマナー (新潮文庫)

70年代後半から80年代は、海外旅行に出かける日本人のマナーの悪さが問題になっていた時期です。そんな時期に書かれた『ドタンバのマナー』は「日本人が海外でやりがちな失敗」をイラスト入りで紹介し、当時かなり売れたそうです(テレビアニメ化もされました→参照)。上記の都市伝説が広まるうえで、本書が重要な役割を果たしたのではないか、というのが私の仮説。
ところで『ドタンバのマナー』では「女性で口に手を当てて笑う」仕草がどのような意味を持つかについて、イギリスではこう、フランスではこう、と述べているのに対し、「人前での化粧やブラッシング」については「外国でやると」と一般論のように書いています。勢いに任せて書いた、という印象。
2006年ごろに朝日新聞の「声」欄である大学教授が「外国では人前で化粧をすると売春婦だと思われる」と書いているそうなのですが(参照)、『ドタンバのマナー』を元ネタにした知識が新聞記事を通してさらに拡散し、ネットでさらに広まったのではないかと推測されます。


「人前で化粧をするのは不作法だ」と思うのは個人の自由ですが、外国でそうした人を見つけて「あ、この人は売春婦なんだ」と勘違いするとトラブルの原因になりかねません。「外国で化粧をしている日本人が売春婦と間違われた」といった話がまことしやかにささやかれたりしますが、「外国」のイメージとしても恐ろしくステレオタイプというか、普通に考えれば作り話だとわかりそうなものですが……。

ぱじゃまソフト『プリズム・アーク』

PRISM ARK リマスター版

PRISM ARK リマスター版

冒険活劇かつ貴種流離譚。冒険活劇である以上「敵」が出てくるわけですが、巨大ロボットのような体躯に大きな翼、頭上には光の輪をもった「天使」として敵が描かれているという点には新鮮さを感じました。むろん「堕天使」として敵を描くこと自体はありふれた発想ですが、記号的な天使には収まらないインパクト、背景にある物語を想像させる存在感をもったデザインだと思います。
実際、世界設定もよくできています。おそらくはキリスト教イスラム教をモチーフにしたであろう宗教戦争を背景に、突如敵国の兵器として現れた「天使」の謎を中心に物語を展開していくわけですが、(だいたい予想はつくのですが)真相への興味でぐいぐい読ませていく。……ただし、1周目までは。
これ、全7周も必要な話ですかね?共通ルートは長いし、個別ルートに入っても半分くらいは共通テキストだし、どのルートも判を押したように同じ結末へと向かっていくので、2、3週もしたあたりで飽きてしまいます。ウリの戦闘パートも作業感が強いですし。「天使」の扱いもそこらの量産型兵器という感じで、設定の重さに見合った待遇を得られなかったという印象が。
一言でいうと、名作になり損ねた凡作。
唯一よかったのはフェル編(このルートだけやって終わりにするのも可)。天使の登場で始まった物語が、天使の謎を中心に展開され、そして天使の活躍によって閉じられるという首尾一貫性が気持ち良いです。一方主人公はと言えば、最後まで読んでもどういう人間なのかよくわからなかった、というのが率直な感想。いや、むしろ読み進めるほどにわからなくなると言うべきか……。ヒロインに対してとる態度によってシナリオを分岐させていく以上、多少の性格のブレはやむを得ないのですが、それならばなおのこと「この主人公にとって譲れないことは何か」を明確にしてほしかった、と。

伊藤博文は死の間際に「馬鹿な奴だ」と言ったのか?

明治42年(1909年)10月、ロシア帝国蔵相ウラジーミル・ココツェフ(ココフツォフ)と満州・朝鮮問題について非公式に話し合うため訪れたハルビン駅で、大韓帝国の民族運動家・安重根によって射殺された。このとき伊藤は「3発あたった。相手は誰だ」と叫んだという。安はロシア官憲にその場で捕縛された。伊藤は絶命までの約30分間に、側近らと幾つか会話を交わしたが、死の間際に、自分を撃ったのが朝鮮人だったことを知らされ、「俺を撃ったりして、馬鹿な奴だ」と呟いたといわれる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E5%8D%9A%E6%96%87

最近2chまとめブログで「韓国併合に反対だった伊藤を暗殺した安重根は馬鹿だし、その安を英雄扱いしている今の韓国政府も馬鹿」みたいな話をよく目にするのですが、その論拠になっているのが(たぶん)上記のwikipediaの記事だと思われます。しかし、出典が書いてない(つまり何を根拠にして書いているのかがわからない)のです。
近年『日本史研究』誌上で「いつ伊藤博文韓国併合に同意したか・伊藤はどの程度具体的な韓国統治構想をもっていたか」をめぐる論争が行われています。どの時点で同意したか、は問題になっても、伊藤が死ぬまで韓国併合に反対していたか否か、は問題にならないようです。そうであるならば、伊藤が死の間際に「(韓国併合に反対の)俺を撃ったりして、馬鹿な奴だ」と呟くのは少し不自然ではないでしょうか。でもまあ、反対していた時期もあるのだし、撃たれて気が動転していればおかしくないのか?わかんないですね。
出典をご存知の方は教えてください。

ぱれっと『晴れときどきお天気雨』についての雑感

晴れときどきお天気雨

晴れときどきお天気雨

――この街に“神様”がやって来る。
http://www.clearrave.co.jp/product/hareten/index.html

 人の願いを叶える不思議な力をもった「神様」が普通に存在する世界。主人公たちの住む街にやってきた神様は新米で頼りがいのないドジっ娘でした。しかし、ひたむきな彼女の姿は人々の眠っていた願い・抑えられていた願いを呼び起こし、うつろいゆく日常を少しずつ変えていく。本作『晴れときどきお天気雨』は、そんな「願い」と「神様」をめぐるお話です。タイトルどおり内容は至ってハートフル。ときどき修羅場ったりしますが、最後はハッピーエンドです。
 私にとってシナリオNYAON、原画くすくす(そして主題歌WHITE-LIPS)の組み合わせは「とりあえず積んでおいて、他にやるゲームがないときは優先的に崩す」という位置づけ。大傑作は期待できない代わりに、綺麗にまとまって読後感の良い作品を継続的に出してくれる人たちという感じですね。これまで『Dear my friend』『もしも明日が晴れならば』『さくらシュトラッセ』をプレイしてきましたが、どれも平凡といえば平凡なストーリィのなかにひとひねりを加えていて、新作が出ればたぶん買うだろう、というくらいには気に入っています。
 本作の主人公は恋愛事に鈍感で両親は海外出張中で妹はお兄ちゃん大好きで、というテンプレートに乗っかりつつ、目標を見つけるとそれに向けて情熱的に取り組む活動的な人間として描かれており、私としては好感を持ちました。車椅子生活をおくる妹を学校に受け入れるため、主人公とその親友は生徒会に入って立場を固め、理事長と交渉して校舎のバリアフリー化を進める……というエピソードは特に印象的で、あまりの真っ当さに「これはモテるよなぁ」と。ものの道理をきちんと描いている、とでも言いましょうか。車椅子生活を送る妹がいたら当然必要になる日常生活上のあれこれはきちんと描く、その妹に手を出したら周囲の人がどう思うかも逃げずに描く。そういうある種の真面目さが発揮されていたように思います。その割には、生徒会活動であれ、車椅子生活であれ、妖怪退治であれ、描写自体は簡潔に過ぎているような気もしますが。
 『さくらシュトラッセ』の主人公にも似たような印象を受けましたが(料理人としてのプロ意識の強さ)、『晴れ天』の方はもう少し等身大というか、愚直な感じ。それが鼻につく、と思う人もいるでしょうけど。
 しかし、これも毎回のことではありますが、個別ルートに突入する終盤よりも共通ルートの序〜中盤の方が面白いんですよねえ。特に主要登場人物が勢ぞろいして、個別ルートのフラグを立てつつ、日常的なトラブルをめぐって話を展開する中盤が良いです(今回は序盤がやや冴えないかもしれない)。個別ルートの方はやや型にはまった感があるのですが(「恋愛と友情」「子供のころに抱えた負い目」「世間の目」「思いをはっきり伝えないことによるすれ違い」という定番の展開)、それに比べると共通ルートは自由な発想で描かれていると感じます。もっとも、恋人関係にいったん亀裂を与えたのちに修復するという展開から外れることができない以上、個別ルートの自由度が限定されるのはいかんともしがたいのですが……。
 あと、本作の分岐システムは少し変わっていて、1本道のルートの途中途中に個別ルートに入る分岐が用意されており、それを選択すれば個別ルート、選択しなければ共通ルートが続くという形式になっています(HERMIT『世界でいちばんNG(だめ)な恋』を思い出しました)。要するにメインヒロインのルートに入るにはそれ以外の全員のフラグを折らなければならない、というわけです。「相手を振る」というよりは「問題に踏み込まないことを選択する」という方が適切で、個別ルートのフラグが折られたあとも不完全燃焼な関係が続いていくこともある。こうした構造上の特性を活かした、もっと複雑でドロドロした話にもできたと思うのですが、結局は定番の話に落ち着いている。一番最初にフラグが折られる絢音が、その後の話でもっと絡んでくると面白かったのですが(キャラクタとしても一番魅力的ですし)。
 あと、本作はある種の超能力モノというか、割と何でもできる異能をもった「神様」を物語の中心に置いています。それが超能力者ではなく「神様」と呼ばれるのは「神様は人の願いを叶えてくれる。では神様の願いは誰が叶えるのか」というテーマを描くためだと思うのですが、あまりこのテーマが深められたという感じはしません。ただ絢音編での能力と物語との絡ませ方はユニークで、「神様」云々の話を置いておけばかなり完成度の高い話だったと思います。やっぱり絢音が話の中心になる中盤が一番面白いと思うんですよねぇ……。破壊力のある可愛さ、というか。
 簡潔な文章、テンポの良い展開、振幅のある人間描写など、良作としての条件は十分に満たしていると思います。「主人公の親友」ポジションであるところの虎太郎くんをめぐる話には意表を突かれました。恋愛を扱っても一対一の関係に閉じこもらない、登場人物全員が関わってくる。ストーリーテラーと呼ぶべき手腕であると言えるでしょう。これでもう少し奥行きのある人間像というか、単純な理解を拒むような強度を持った人間を描ければなお良いのですが。
なお、OP・ED・挿入歌はすべてwhite-lips。名曲揃いですが、とくにEDテーマの「ひまわり」はwhite-lipsの良さが出ています。

森山大輔『ワールドエンブリオ』

最近少年画報社の漫画ばかり買っている気がします(『ナポレオン』とか『僕らはみんな河合荘』とか)。『ワンブリ』は最近になって読み始めたのですが、1週間ほどで既刊を全て読んでしまいました。とりあえず絵柄が気に入れば買って損はしないと思います(個人的にはいまいちフェティシズムが刺激されない、綺麗すぎる印象を受けますが)。個人的には7巻が面白さのピーク。現在はクライマックスに向けて風呂敷をたたみ始めているところですが、人間関係をめぐる魅力的なドラマが複雑な設定に食われて消化不良を起こしている感じがします。
ストーリィをかいつまんで述べておくと……
ある日突然姿を消した姉代わりの女性「天音」。廃病院で見つけた大きな繭。その繭から生まれた子供「ネーネ」は幼いころの天音と瓜二つの顔をしていた。ネーネを育てれば天音に関する手がかりが得られるかもしれない、というわけで主人公はネーネと家族になり、愛情を注ぐ。一方、普通の人間よりもずっと速くネーネは成長し、それに伴って主人公が自分に向ける気持ちを理解できるようになる。
作中で経過した時間はだいたい1年くらいですが、そのなかでネーネの姿は2歳児くらい〜17、8歳くらいまで成長します。主人公が小さなネーネにかけた言葉の真意を、成長したネーネが気づいてしまう。ネーネの姿がどんどん変わっていくのは見ていて面白いですし、お話の動かし方としてもユニークかつ説得的で良いですね。しかし、ネーネとはいったい何者か、みたいな設定の部分に深入りして、主人公・天音・ネーネの関係性をめぐる物語がどこかに行ってしまったような。
個人的にはネーネが家出するエピソードなんかが好きなんですけど、「主人公とネーネの関係にはこういう可能性もある」ということを示す以上の意味はなかったようで。羅列的というか、こういう考え方もある、こういう可能性もあるということを片っ端から列挙していく。そのなかには正解も含まれているのですが、列挙されたものを眺めているうちに、何が問題だったかを忘れてしまう。よく練られた物語だと思うのですが、私はもうちょっとシンプルで独断的な話の方が好みかなぁ。