「内閣弾劾演説会」(『大阪朝日新聞』1914年3月12日)
シーメンス事件を直接のきっかけとしているのだろうが、当時の山本権兵衛首相、原敬内務大臣に対するほぼ全面的な批判が述べられている。実際に演説会が行われたのは3月10日。複数の人物が演説しているので、要点だけあげておく。
・山本内閣は不敬であるという批判
「毎日社原豊太郎氏は明治天皇の御製〔の歌〕を奉読して山本、原両相を攻撃し〔中略〕本社木崎愛吉氏は良民の催せる演説会場に多数の警官が出張するは何故なるやと詰り憲政を破壊する閣臣を攻撃するには少々の負傷くらいは覚悟の前なりとて満場を唸らせ夫れより御即位大典の性質を論じ憲政を毒する現内閣員は陛下の罪人なりと云ふや〔中略〕国民は必ず御大典期までに彼等を葬るべしと痛論し
補足:五箇条の御誓文にある「万機公論に決すべし」を援用して、議会を弾圧する専制政府を批判するロジックは、日本に議会が作られる以前(自由民権運動期)から存在する。福沢諭吉はこのような「論敵を不敬と決めつける絶対的否定」を議会主義の精神に相反するものとして批判していた。
・司法批判
「渡邊菊之助は「国民の覚悟」と題し日本の法律は中流以上の社会に対しては殆ど権威を有せずとて司法権の存在を疑ひ」「板野友造氏は権力あるものの犯罪は之を如何ともする能はざる如き状態にては国民風教に関する一大事なり」
・ところてん主義
「法学博士岡村司氏は「政治上に於ける老人跋扈の弊」と題し今日最も不快なるは老人跋扈の弊なり余は之を心太主義と称せんとす恁るヨボヨボ連中が後より順々に押し出されて政界に現るるは誠に困ったものなり」