荒川工『ワールズエンド・ガールフレンド』

よく訓練された横山三国志のファンであれば、「これは孔明の罠だ」と疑ってみるのはこれから騙されるフラグである、ということをよくご存じでしょう。本書はまさに「孔明の罠」という感じで、小賢しい読者(私とか)は見事に掌の上で踊らされ、悔しがってその後に相手の大きさに気付いて茫然とする、そんな本。

ワールズエンドガールフレンド (ガガガ文庫)

ワールズエンドガールフレンド (ガガガ文庫)

記憶喪失というモチーフがいかに便利なものであるかは、小説、漫画、アニメ、映画を問わず広範な分野で使われていることによって伺い知ることができます。その理由はおそらく、物語を動かす謎、記憶が失われたり戻ったりすることによる関係性の変化、同じ理由による人格の変化、という3要素をひとつのネタにつめ込むことが出来る、経済的なモチーフだという点にあるのでしょう。この変化形としては「戻らない記憶喪失」「治らない記憶障害」があって、こちらは逆に物語が動かず、関係性も変わらず、人格も変わらないというもどかしさが焦点化されます。
本書『ワールズエンド・ガールフレンド』はこれとよく似た記憶喪失プラス恋愛の物語であり、賢明な(というか物語慣れした)読者であれば50頁も読まないうちに結末まで予想してしまうでしょう。そして、その予想はおおむね当たります。しかし、最後の最後で賢明な読者は上記の枠組みの中に、もう少し高尚な(ということは読者を突き放すような)問いが隠されていることを知り、驚かされることでしょう。

この瞬間、俺は、君の言う世界の果てより少し手前にいた。そして答えは、古い世界の言い伝え―不安、ってやつに塗れてここにある。
――本書11ページ――

プロローグと題された本書の冒頭部分が、二重の意味でプロローグであったこと。Amazonのカスタマーレビューを見る限りでは、本当ならもう少し皮相な理解をされてもよさそうなところを、大半の読者が核心に触れているようです。巻末に収められた田中ロミオによる「解説」は本当にいい仕事をしたと思います。
思えば、人間の記憶をめぐる物語に「完結」という言葉は似つかわしくないのかもしれません。思い出してはまた忘れ、本人の記憶から完全に消えてしまっても別の人が覚えていたりする。個人が死んでも社会は存続するように、常に意識していなくても「覚えている」と言えるように。このことはまた、視点を変えることで生と死が、連続と断絶が容易に入れ替わることを示唆しています。森博嗣の『笑わない数学者』が描いた世界とやや通じるところがあるような気もします。