円城塔「ポスドクからポストポスドクへ」

http://ci.nii.ac.jp/naid/110006825822
最近初めて読みましたが、傑作ですね。ポスドク問題の「救いのなさ」を、元当事者の視点から鋭く切り取ったエッセイです。ポスドク本人、大学、行政、社会の無理解、そのどれかに責任を押しつけて済むような単純な話ではなく、深刻な構造的な問題であるということがよくわかります。

「良い研究ができれば気分の問題などは関係なくなる」
確かに一つの真理であるが、残念ながらこれは気分の問題などではない。
「自分の若い頃はそれは大変な苦労をしたものだ」
一円あればタクシーで東京中を走り回れた時代の話などは誰も聞いていないのだし、そもそも何の関係もない。

今の大学はただ常識的に生き続けることさえ困難な体制に移行しつつある。ただ、生き延びられる人が生きて研究を続けられることを祈るだけだ。多分、この言も定年までの任期を持つスタッフの方々の心には響くまい。

「救いのなさ」といえば、このエッセイが掲載された『日本物理学会誌』の編集後記も傑作です。

私自身もポスドク生活を10年以上経験しました。物理業界内にいると色々と細かい欠点が見えて、厳しい就職状況と合わせて、不平不満ばかりがあふれてしまうこともあるでしょう。しかし総体的に見れば、かなり住みやすい世界であり、ここで過ごすことのできる幸せをしみじみと感じます。取り巻く環境の厳しさを考えれば、今後、物理研究者も社会と接触し、社会に貢献していく道を探していかなければならないでしょう。しかし、「知」に対する謙虚さ、素直さ、好奇心の強さだけは、どんな環境、たとえ違う道に進んだとしても失うことのないようにしたいものです。

むろん、原稿がそろう前に編集後記を書き始めることなどよくある話ですが。むしろそうであってほしい。