間違いに気付くってそんなに凄いことか?

こちらの記事が出てから、それなりの時間が経った。
働かなくても食っていける社会がもうすぐやってくるよ - アンカテ
生産性の向上から、将来は一握りの人間だけが働いて、残りは遊んで暮らす社会がやってくるという話。もちろん、本当に将来そのような社会がやってくるのかについては異論があって当然だし、実際にそれは多く出ている。
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ただ、多様な反応が出来るということ自体、文章に他人の反応を引き出す力があったのだとして評価できる。大量のトラックバックは記事の価値を保証するものであっても、その価値を貶めるものではないだろう。個人的には「一日なさざれば一日食らわず」という禅の言葉を久々に思い出せただけでも価値のある記事だった。色々な意味を引き出せるのも、文章の持つポテンシャルの高さ故だ。
だからこそ気になるのが、反論記事に散見される、元記事を見下したような態度である。
誰とは言わないが、この人たちは、間違いを指摘することで元記事より上に立ったとでも思っているのだろうか?
同じような事例はいくらでも見つけられる。マスコミを批判するのも自由だ。政治家を批判するのも自由だ。ただ、ジャーナリストも、政治家も、そのほとんどは批判している人間よりもずっと頭が良いだろう。他人を批判できるからといって、他人より頭が良いわけではない。
僕だって得意分野であれば専門の研究者が書いた論文の粗さがしくらいはできる。だからと言って、その論文を書いた研究者も、論文の内容を鵜呑みにした人も、どちらもバカだなんて死んでも言わない。言える訳がない。
どうやら僕は怒っているらしい。感情的な文章になっているが、このまま続ける。
反論記事を書くということは、ある種の政治的な行為である。そのため、記事を書くことで他人の上に立とうという意図がないとは言えないだろう。それが悪いというわけではない。問題は、その政治性に対して無自覚なことから来る醜悪さである。
だからこそ、異論・反論記事には誠実さが求められるのだと思う。「はてブはバカばかり」と言って、記事だけでなく読者までバカにするような人。「あるある大辞典」の視聴者に対して科学リテラシーがないとバカにする人は、一度自分の顔を鏡で見てみることをオススメする。