『BITTERSWEET FOOLS』に関する雑感

BITTERSWEET FOOLS

BITTERSWEET FOOLS

エロゲ業界における永遠の中二病集団「minori」の処女作(処女崇拝的な意味で)……もとい、今週末に発売を控えた『ef - the latter tale.』の前哨戦として、minoriのデビュー作である『BITTERSWEET FOOLS』をプレイしました。
最初に作品トータルとしての印象を書いておくと、恋愛を機軸とした物語作りに対して不慣れなことによるぎこちなさ、それと同時に初々しさと野心を感じさせる、デビューを飾るのにふさわしい作品であると僕は思います。特に最近の作品(『はるのあしおと』『ef』)が『BITTERSWEET FOOLS』と共通する点を多く持ち、同時にこの作品が残した課題に対して積極的に取り組んでいることを考えると、やはりminoriというメーカを語る上で外せない作品であると言えるでしょう。


この作品で採用されている群像劇という手法について。
群像劇を採用する上で避けて通れない問題は「いかにして話を終わらせるか」ということにあります。もちろん群像劇以外の作品においても重要な関心事であることに変わりはないのですが、明確な主人公が存在しない以上明確な終わりも存在しない群像劇では、特に話を終わらせることが難しい。もうひとつ、群像劇には必然的について回る視点人物の変化を伴った場面転換をいかにスムーズにつなげるか、という点も問題となるでしょう。
この作品に関して正直に書けば、どちらもあまり上手く処理出来ていません。おそらくは深みがあるのだろう設定が思い出したように現れて話を落とす、性急な終わらせ方。視点人物のめまぐるしい変化はこの手の作品に不慣れな読者を置いてきぼりにしてしまう(海外の小説では視点人物がコロコロ変化するのも珍しくないんですけどね)。こういった点から、舌足らずなシナリオ、と評価せざるを得ません。
せめて声がついていれば、イベント画と上手く組み合わされていれば。『ef』でそういった課題を上手くクリアしている点はさすがですが、この時点では「インタラクティブ・ノベル」という自賛も空回りに終わっています。
群像劇という形式を通して描き出そうとしたもの、それ自体には共感するところが多いのですが、それだけにもったいない。

「兄さんのこと……最後まで分からなかった……」


「ティ……人は他人のことなど分からない……肉親でも……それは自分じゃないというだけで何も分からない……」


「違うよ……私は……分かったつもりでいれさえすれば良かったのに……兄さんはそれさえ拒んだ……」


―『BITTERSWEET FOOLS』第15話より―


しかし、群像劇におけるもうひとつの重要な要素、「舞台」を魅力的に描くという点に関しては成功したと言えるのではないでしょうか。
作品の舞台となっているのは、アルノ川のほとりに広がる花の都、フィレンツェ。主要な観光地はどれも半径2キロ程度のエリアに集中し、歩いてどこにでも行くことが出来るという小さな都市。そこに住んでいるのは、文化史に燦然と輝く都市文化を生み出しながら、ダンテによって「ひねくれた忘恩の民」「強欲で嫉妬深く高慢な輩」(『神曲』地獄編)と呼ばれたフィレンツェ人。トマス・ハリスハンニバル』でもレクター博士の滞在地としてフィレンツェが描かれていましたが、この難解な都市には創作意欲を掻き立てる魅力があるのかもしれません。
実際、冒険小説のように街中を歩き回らせることでフィレンツェの魅力を「体感」させる構成も、誰も彼も一癖あるキャラクタ造形も、実に良く出来ていると思います。この辺は実在する都市を舞台にしている強みであって(たとえそれが「余所者から見たフィレンツェ」であっても)、似た雰囲気の都市を舞台にしながらそれが架空の都市であることの限界を抜けきれずにいる『ef』以上に豊かなイメージを、人によっては感じられるのではないかと思います。
ただ惜しむべき点は、物語が設定に食われた形になっていること、ただこの一点に尽きるでしょう。同じ群像劇の『ef』がそれをどう克復するのか、楽しみにしながら週末を待ちたいと思います。


あとはまあ、ロリについて。大人としてそれはどうなんだ、という描写が目に付きますが、そんなこと言い出すとエロゲにならないので放置。minori公式ページの作品紹介では

作品の命であるこのストーリーを、いかに魅力あるものにするかという事。それこそが私達の目指す『BITTERSWEET FOOLS』の作品作りでした。
その中で大きなポイントとなったのは、“Hシーンの為の物語”ではなく、“物語の為のHシーン”という、映画や小説などでは至極当然の発想。Hシーンを含む各イベントシーンが物語を自然に盛り上げ、プレイする方が無理なく作品世界に入り込んで行ける。そんな、正に一本の映画のような味わいの“美少女ゲーム”。それがこの作品であり、「まず、物語ありき」という姿勢で作り上げた本作のストーリーを、どうぞお楽しみください。

とありますが、物語上の必然性なんてないよ!単に「愛の告白」と「Hシーン」がセットで描かれているというだけで、Hシーンをする前とした後でキャラクタに変化があるわけでもなし、なければないで困らない。むしろないからこそ家庭用に移植されたのでしょう。本当の意味でHシーンに必然性が生まれてくるのは『はるのあしおと』以降であると僕は考えていますが、問題意識だけは最初からあったということで……。