『ギャラクシーエンジェる〜ん』よりパロディとパスティッシュ

パロディって何なのでしょうか。
ギャラクシーエンジェる〜ん』を見ながらそんなことを考えました。この作品の中では『デ・ジ・キャラット』からのセルフ(?)パロディや、『トップをねらえ!』のアクションに対するパロディなど、さまざまな種類のパロディが披露されています。しかし、この作品においては引用元のイメージが大切に守られており、「茶化している」「ネタにしている」という感じはあまりしません。では、どういった目的を持って他作品からイメージを借用してきたのでしょうか?今回はそのことについて考えてみたいと思います。

ギャラクシーエンジェる〜ん』における他作品からのイメージの借用は、パロディという用語の持つイメージとはあまり合いません。むしろ、パスティッシュと呼んだほうが適切かもしれませんね。パロディとパスティッシュの違いは、パロディが(程度の差はあっても)オリジナルとの差異を強調するものであるのに対し、パスティッシュはオリジナルとの同一性を強調する点にあります。
つまり、製作者が語りたい内容を、同一の内容を持った他作品によって代弁させることがパスティッシュを用いる目的だと考えられます(もしくは「独創性」に対する皮肉)。『ギャラクシーエンジェる〜ん』におけるイメージの借用もこの目的によって行われたのでしょう。


しかし、パスティッシュというのは技法として扱えるほど「特殊」なことなのでしょうか。むしろ、それと意識しないだけで現代アニメの中では当然のように使われているのではないでしょうか。有名になりすぎた先行作品にイメージを重ねること、記号的なキャラクタ造形などなど、同一性を強調することはあまりにありふれています。
つまり、現代のアニメ(特に萌えアニメ)においては全体が少なからずパスティッシュ的であり、表現技法のひとつとしてパスティッシュを用いようとしても、全体に埋没してしまうという問題が起りうるのです。
この作品においては、パスティッシュではなくパロディが欲しかった。それが僕の感想です。でも最近は上質なパロディをあまり見ないですね。もしかしたらアニメを見る人や作る人にとって過去の作品は、その本質を探ったり茶化したりする対照ではなく、単なるデータベースの一部に過ぎないのではないか、などと邪推してみたり……。
要するに『ナースウィッチ小麦ちゃん』を見ておけば良いんじゃない?ということ。

ナースウィッチ小麦ちゃんマジカルτ 炎のArashi! 掲示板大決戦

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