『アイドルマスター XENOGLOSSIA』に見る原作との付き合い方

アイドルマスター XENOGLOSSIA 1 [DVD]

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毎週夜更かししながら見ていますが、最近特に面白いなと感じます。「地球にしょっちゅう隕石が降ってくる」という大事件とは無関係に平々凡々な世界、そこにロボットアクションを滑り込ませ、日常的な感覚をもって非日常な世界を描こうとしているのだから上手いものです。目新しい要素はありませんが、ウェルメイドな作品という感じですね。
ところでAmazonのカスタマーレビューを見てみると、放送開始初期の評価には「原作レイプだ!ファック!」みたいな評価が目立つのに対し、現在に近づくに従って「原作と同じだったらダメだろ」「中途半端さがなくて良い」という評価が目立つようになってくる、という変化が起こっています。
Amazon.co.jpアイドルマスターXENOGLOSSIA (1)のレビュー
ウィンターガーデン』が発表されたときも「これは『デ・ジ・キャラット』の続編?それともパロディ?」という話が盛り上がっていましたね。ついでにそちらも見たのですが、不思議なことに絶賛意見ばかりでした(2人しか書いていないからというオチ。人気ないなぁ……)。
Amazon.co.jpウィンターガーデンのレビュー
続編とパロディの境界線、オリジナルと二次創作の境界線に関する自分の考えは『ウィンターガーデン』のときにまとめておいたので、そちらを参照してください。
続編とパロディには境界しかない - tukinohaの絶対ブログ領域
要約すると「偉い人(誰が偉いかはその時々で変わる)が続編だと言えば、それは続編である。また、それに従わない自由は誰にでもある」ということであり、そのため原作との一貫性は作品評価において重要な事柄であるとは言えない、と僕は考えています。
「このアニメは『THE IDOLM@STER』が原作である」とメーカーの人が言えば(たとえどのキャラクタも別人にしか見えなかったとしても)その通りになり、「『ウィンターガーデン』は『デ・ジ・キャラット』の続編です」と木谷高明が言えば続編になる。それだけ。たかがその程度のことなんだから、気に入らなければ原作の存在なんて忘れればいいんじゃないかな、と思うわけで。もちろんこれは極論であり、実際には作品の時間性(前作から10年後の話、なんてことになれば大抵の差異は許容できる)、ストーリィ構成に声優その他諸々が関わってくるのですが、本来恣意的なものである、というのはひとつの真実ではないかと。
前々から言っていますが、この世で一番信用してはいけない言説とは「原作を知らない人にはオススメできない」あるいは「原作を知らない人には理解しづらいのでは」です。『ムシウタ』とか『ムシウタ』とか、あと『ムシウタ』に関する言説とか。私は原作読んでないですけど、超面白いですよ。
あ、愚痴になってしまった。『XENOGLOSSIA』の話はまた今度ということで。