アニメ『しゅごキャラ!』が面白い!〜漫画的表現と意思の伝達について〜

「笑いは好き。ギャグも。でも、上手く笑わせられない自分は嫌い」

先日放送された第32話「ひとりぼっちのクイーン!」が最高に面白かったのと、DVD−BOXが欲しいので(冗談)、今回は久々に『しゅごキャラ!』の話。
参考:http://d.hatena.ne.jp/kurikuri-boy/20080513/1210671201

しゅごキャラ! アミュレットBOX 1 [DVD]

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第32話では、これまで人を寄せ付けないお嬢様キャラで通っていた「真城りま」(以下「りま」)の意外な一面が明らかになると共に、主人公「日奈森亜夢」(以下「俺の義妹」……ではなく「あむ」)の精神的な成長が鮮やかに描かれていました。ストーリィを簡単に追いながら、まずは映像演出について見ていきましょう。

今回の重要なモチーフは、最初の場面に登場する流行の漫画「ギャグマンガ大王」。この場面ではしゅごキャラたちの漫画を読んで大笑いしている姿が、画面の上部に配置された記号群によって強調されています。この場面から始まる物語前半の特徴として、最初のシーンに見られるような、まるで原作の「漫画」を模倣するように多用される漫符や吹きだし、デザイン化されたオノマトペの存在が挙げられるでしょう。


こういった漫画的表現は作り手と受け手の間に確かな「約束」が成立しているので、画面内のある言葉が「他の誰かに向けて発せられた」のか、それとも「本人にしか知覚されていない」のかを明確にする効果があります。吹きだしだと「口」の有無で区別されることが多いようですね。もちろん例外もありますが。


ところが、シリアスな場面に入るとこういった表現は一斉に姿を消し、演出は画面の構図やわずかな表情の変化によって感情の機微を伝える方向へと向かいます。「キャラ」という約束事から他者の意思を推し量り、そしてまた他者へ伝える情報をコントロールするという関係は破れ、次に訪れるのは思いが伝わったり伝わらなかったりする曖昧な状態に他なりません。

上に挙げたのは、りまがクラスメイトの前で「隠していた自分」を出してしまい、教室から逃げ出すシーン。ダッチアングル(水平でない斜めのアングル)で捉えられたこのシーンから、りまや彼女を追うあむの不安を読み取るのはそれほど難しくないでしょう。
また、漫符が多用される中でどうしても平面的、そして正面から向かい合った構図になりがちな画面構成において、視聴者の注意をひきつける重要なアクセントとして機能しているという点も見逃せません。


このように、装飾的でストレートに意思を伝える場面と、端整で隠喩的に感情を伝える場面とが交互に現れる、物語と画面の両方においてメリハリの利いた構成が『しゅごキャラ!』の魅力のひとつとして挙げられるだろうと思われます。


少しだけ話を脱線させますが、一時期フェミニズムの分野で流行った「シンデレラ・コンプレックス」という言葉を知っているでしょうか?
女の子は周囲の環境に大人しく従い、素直な気持ちで「じっと待っていれば」誰かが幸せにしてくれる、というイデオロギィを子どもの頃から昔話など多くの物語を通して刷り込まれるのだ、という話。でも現実に王子様はいないのだから女性たちよ目を覚ませ!という主張とセットで語られることが多いのですが、こういう議論を聞いていると現代の(ただし何十年も前からの)子どもたちが実際に触れる物語の豊かさ、多様性が見えていないのではないかという気がします。最近読んだ本にこの言葉が出てきたので、ちょっと思い出してみました(その本については週末に批判する予定)。
しゅごキャラ!』に話を戻すと、この作品は少女の変身願望を形にした物語であり、夢や恋愛といった一般的な価値観から逸脱することもありません。しかし、それでもこの作品は単純な「シンデレラ・ストーリィ」とは一線を画したものであると言えるでしょう。
彼女たちの持つ「夢」「なりたい自分」は、単純な憧れの対象、変身によって一挙に到達したい目標では、もはやありません。冒頭に挙げた真城りまの台詞を、その後の部分も含めてもう一度引用してみましょう。

「笑いは好き。ギャグも。でも、上手く笑わせられない自分は嫌い。
ちっちゃいとき、いつもふざけてみんなを笑わせてた。パパとママも笑ってくれるとうれしくて……。
でもあるときわかったの。笑うことは馬鹿みたいで、くだらないこと。笑いに逃げるのは、幼稚で弱い人のすることなの。笑えないギャグなんて、寒いだけでしょ……。
そんなの、誰もいらないの」

りまの「なりたい自分」に対する思いは、相当に屈折しています。今の自分は嫌い。でも、なりたい自分は幼稚で弱い人。
そんな彼女を諭すあむの思いも、やはり屈折しています。あむにとっての「なりたい自分」が時として自己嫌悪の種になるけれど(第1話)、現状に満足しているわけではない。
そこで彼女たちが選ぶのは、変身ではなく、漸進的な成長です。りまが嫌悪する成長過程での失敗(笑えないギャグ)を、あむは全力で肯定します。

「あんなのりま様じゃない!」
「りまだよ!……あれもりまだよ」

あむ自身もまた、失敗を重ねながら「大人の対応」を学んでいきます(第27話と32話を見比べてみよう)。「変身」という題材とは裏腹に、1年という放送機関の中で、現実の時間と歩調を合わせながらそれと見合った彼女たちの成長を感じさせてくれることが、何よりも楽しい。今回のラストシーンで不覚にも感動したのは僕だけではないでしょう。


それにしてもあむちゃんは大人になったなぁ(馴れ馴れしい)。なでしこが転校したときに、いじけて見るの止めようかと思った僕よりもずっと大人だよ(遠い目)。