大正デモクラシーのある風景

野村隈畔『文化の問題』(京文社、1922年)より。

余が或る日、上野駅から市外線の電車に乗ると、帰営をいそぐ赤羽工兵隊の一兵士が余の側に腰をかけた。彼れは頻りに時計を出して眺め、帰営時間が遅くなると見えて電車の発車するのをもとかしがり、腰が落ち付かない風であった。そして彼れは堪えられなくなつて煙草を吸ひ初めた。彼れは電車内にあつて喫煙を遠慮すべきことを少しも知らない風であつた。すると後から酒に酔つた二人の男が這入つて来て、自分の前に立つて吊り革を握つた。・・・・・・間もなく一人の男が、帰営時間に追ひ立てられて気が気でない兵士の喫煙を見付け、それを攻撃するともなく大気焔をあげ初めた。「やあ!兵士君!煙草は遠慮し給へ、禁煙といふ訳ぢやないが、・・・・・・実は吾が輩も大に煙草は好きだが、しかし君そこが――フウ所謂デモクラシーで、今後の社会は大にデモクラシーが支配すべきものだねえ君!しかしだ、吾が輩の現下の問題は、デモクラシーが勝つた[ママ]、官僚軍閥が勝つかだ、軍閥が負けるかデモクラシーが負けるかだ、――なあ君痛快だね!」・・・・・・車内の人々は大に酔漢のデモクラシー論に傾聴した。(101-102頁)

電車内での喫煙を注意するのも、官僚軍閥を批判するのも、どれも根拠となるのは「デモクラシー」であった。