Angel Beats!』が物語の転換点を迎え、盛り上がりを見せている今日この頃。その一方、私は反時代的にも『リトルバスターズ!』を読み進めていました。昨日読み終わりましたけど、まあまあ面白かったですね、序盤がかったるかった割には。
そんなわけで『リトルバスターズ!』について何か書いてみようか、と思うのですが、何も出てこない。
よくあるループ物に一見非合理な(しかし結果としては合理的な)解釈を施してみました、という程度の作品であるようにも思えるし、いやそれだけではないだろう、という気もする。人間賛歌の安易さを批判してみたくもなるけれど、その安易さを突破する可能性もテクストの中に秘められているような気もする。麻枝准のシナリオに関しては、東浩紀や福嶋亮太によって主にシナリオ構成を対象とした分析が行われていますが、もういちどベタに読み直して、その上で彼らのメタな読みと組み合わせてみる必要があるでしょう。
麻枝准のシナリオを批判するのは容易いけれど、上手く批判するのは難しい。その難しさを、今更ながら感じています。『CLANNAD』もそうですが、エピローグは明らかに余分。特に『リトルバスターズ!』は、エピローグのためだけに、入れ子構造の世界が二重の入れ子構造になってしまっている。それは明らかに蛇足というかテーマから脱線しているのですが、脱線している部分にこそ解釈の可能性があるのではないかと思います。「自殺に失敗した若者、自爆に失敗した女性、死線を潜り抜けた病人は、明日の哲学者の予兆であるかもしれない」(小泉義之「自爆する子の前で哲学は可能か」)。
詳しくは次回。