『キラ☆キラ』論(1)―敗北の経験について

キラ☆キラ

キラ☆キラ

ミネルヴァの梟は黄昏に飛び立つ」というヘーゲルの言葉はあまりに有名である。ひとつのものが完成し、崩壊し始めるときに、新たな知のあり方が可能となる。黄昏は夜更けであると同時に夜明けでもあるのだ。「現実的なものは合理的である」というもうひとつの命題とは完全に矛盾しているように思われるのだが、それは措いておこう。
今回、『キラ☆キラ』という作品を通して「終り」を象徴するもののひとつである「敗北」の経験について考えてみたい、と思っている。「ミネルヴァの梟」のように、敗北という終りが同時に始まりでもあるような経験があるとすれば、それはどのようなものなのか。『キラ☆キラ』においてはノーマルエンドとトゥルーエンドという風に複数の物語が序列化され、トゥルーエンドへと至るための必然的な敗北としてバッドエンドが位置づけられる。そのことは敗北と犠牲が、トゥルーエンドにおいてどのように受け止められたのかという問いを必然的に喚起することになるだろう。

「あのね、世界には、絶対的に何かが足りないんだよ!みんなが、全員が幸福になるための、何かが足りないの!その足りないってことが作り上げた悲しみだとか苦しみが、別のつらいことの原因になってるんだよ!」
――石動千絵編「chapter3」――

「世界には、絶対的に何かが足りない」以上、敗北と喪失は必然である。この世界に、永遠に勝ち続ける人間がいるだろうか?しかしその一方で、この世界は非常に「負けにくい」世界でもある。一度の敗北は致命傷にもなりかねない。だからこそ、敗北に抗するために、物事の終りを始まりへと置き換えるために、敗北を「物語る」という行為が必要になるのではないだろうか。
敗北が深ければ深いほど、物語の必要性は高まる。しかし敗北が深く、喪失が大きすぎると、今度は物語ることそのものが困難になる。

私はいつも、理由のない絶望と共に目が覚める。起きた瞬間、泣き出しそうになる。
――石動千絵編「chapter3」――

このモノローグこそが、『キラ☆キラ』という作品の本質を最も的確に表しているように思われる。間欠泉のように沸きあがる喪失感。それは、物語の「自然な流れ」として出てきたものではない。そのことが、逆に敗北を物語ることの困難さを表していると言えるのではないだろうか。


以上のような問題を考える上で無視できない作品がふたつある。ひとつは田中ロミオによる『CROSS†CHANNEL』であり、もうひとつは麻枝准らによる『CLANNAD』である(あと『シュタインズ・ゲート』)。『CROSS†CHANNEL』については先日の田中ロミオ論でも触れたが、そのメシア的な時間において、敗北によって失われたものを(読み替えを伴いながら)甦らせようとする。決定的な喪失を回避し、同時に敗北を「始まり」へと読み替える。それはすなわち「世界を認識するあり方を変えることで、ゆるやかに世界を変える」ということなのだが、これは「認識のあり方さえ変えれば、幸福はすでに実現されているんだ」という日本主義のイデオロギィと紙一重の考え方でもある(分厚い紙だが)。喪失のリアリティを捉えきれていない、と批判することは可能だろう。
CLANNAD』ははっきりいって全然わからない。私は『CLANNAD』を読み終えたとき、怒りながら泣いていたような気がする。喪失をなかったことにしたわけではないのだが、かといって喪失が受け止められるわけでも、救済されるわけでもない。麻枝准に関しては詳しい人が多いのでこれ以上は書かないが、それでもなお「無視できない」作品ではある。
これらの作品を「無視できない」のは、それぞれシナリオ構造も含めたエロゲの文体において「新しかった」ためだろう。それに対して『キラ☆キラ』の文体(すなわち瀬戸口廉也の文体)は、きわめて普通である。上手いことは確かだが、瀬戸口氏がのちに小説家へと転進したことからもわかるように、近代小説の文体としてはきわめてオーソドックスなものである。だが、敗北の深さを抉り出す技量に関しては前二者を上回っている。むしろ、ひねりのない文体とマルチシナリオとの違和感が、敗北と正面から向き合う必要性を生み出したというべきだろうか。


敗北と向き合う、というと仰々しく聞こえるが、それは我々の日常のリアリティを描くことと通底している、と言えるだろう。

「社会のほとんどの人は、負けている人たちでしょう。藤田省三氏がよくいってましたが、権力者の名前だけを記録にとどめるような歴史からすれば、ほとんどの人は存在しなかったことになってしまいます。」
「そういうのが、「政治史」ですよね。」
「「だから政治史は駄目なんだ」といっていました。」
――市村弘正杉田敦『社会の喪失』中公新書、115頁――

『キラ☆キラ』の物語は、まず主人公が付き合っていた彼女から振られる場面から始まる。主人公はやがて仲間たちとパンクバンドを結成するが、「パンクバンドをやっているような人間は、普通の人よりも現実を変える力がない」と言われてしまう。この敗北と喪失に主人公たちはどう向き合うのか。検討を続けてみよう。
(次回で終り)